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心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

梨大博物館―「朝鮮時代の女性の生涯」展

2014-09-06 | 博物館

私が住んでいた新村(シンチョン)の隣駅は梨大です。2番か3番出口で地上に出、まっすぐ

数分進めばそのまま梨花女子大学(以下梨大と省略)という韓国名門私立女子大の校内に

入ります。韓国の大学には博物館や美術館を併設している所が多く、梨大も規模は大きくは

ありませんが充実した所蔵品があるようです。

 

7月も半ばを過ぎたある休日、カットをしに梨大前の美容院へ行った帰りに寄ってみました。

11年前にも一度訪れたことがありますが、その時の主要な展示は現代アートでした。

現在は「朝鮮時代の女性の生涯」をテーマとした展示です。

   

       博物館全景(内部は撮影不可で展示品の写真はありません)

一番初めの展示は태항아리という蓋つきの陶磁器の壺でした。항아리は甕とか壺を

意味します。태は辞書を引いてみると、「胎」つまり新生児を出産した後、母体に不要

となって出てくる胎盤を収め地中に埋めるための壺でした。出産に絡む事を‘穢れ’と

捉える思想が主流と思っていた古い時代に、生命を生む為の行為に関わるものが、大切に

扱われた事実を知って厳粛な気持ちになりました。

 

続いて産着に始まる成長過程ごとの衣服・装身具等、主要には両班(ヤンバン)と

云われる貴族階級の女性の身の回りのものが、一生を終えるまでの段階を追って

展示されています。

絹で作られた生まれたばかりの赤ちゃんに着せる産着の何と柔らかく肌触り良さ

そうなこと!冬は日本よりもうんと寒い朝鮮半島、子供用の外套や頭にかぶる頭巾の

ようなものもドラマで見た大人用のものの縮小版といった感じで、面白かったです。

 

会場に掲示されたこの展示に関する説明をご紹介します。

性理学の理念が社会の主軸となっていく過程で、朝鮮時代の女性は時代的に変化した地位

と生活を送ることになる。 朝鮮前期には男性と同等に財産を相続し、先祖を迎える祭事を

主管し、出産後にも子供の養育のために実家に居住できる権利があったが、儒教的規範が

強化される朝鮮末期に達すると、男女の内外法、七去の悪、再婚禁止のような家父長的な

秩序の中で、両親と夫に順応する人生を強要された。 それでも与えられた場所で家の生計を

立てて、子供を正しく善良に養育するとともに、繊細で豊富な芸術的感性を表現することが

できた女性たちは、朝鮮社会を支える内在的な力となった。 本展示の1室では女性の出生に

関連した胎壷をはじめとして、成長期に着用した服飾と装身具、婚礼に使われた遺物、そして

中年期と老年期に着用した服飾、最後に命を終える時用意された副葬品と子孫が着た喪服まで

展示することによって、朝鮮時代の女性の一生を見渡してみようと思う。 また、階層によって

受け持つ役割が違う朝鮮時代の王室の女性たちと両班(ヤンバン)および平民、専門職に

従事した女性たちの、固有な人生があらわれた服飾遺物と生活用品を通じて、朝鮮女性の

多様な活動と人生の姿を注意深くご覧ください。

 

 李氏朝鮮の時代が儒教社会だった事は有名ですから、私もつい最近までは朝鮮も

女性は‘三界に家なし’的に、幼小期は親に、結婚したら夫に、老いては子どもに従って

生きることを余儀なくされる存在だと思っていました。ですから韓国で5万ウォン札が

発行された時、一番金額の高い紙幣が女性の肖像画であることに、本当に吃驚しました。

又その肖像画に描かれている人物は、朝鮮時代の高名な儒者栗谷李珥(ユルゴク 

イ・イ)の母で申師任堂(シン・サイムダン)という女性ですが、彼女とその子李珥は共に

彼女の母の実家である江凌の烏竹軒で生まれたと知って、不思議な思いを抱きました。

韓国に日本女性が出産の時、実家に戻ってするようなそういう習慣が、あるかどうか

実際のところは知りませんが、あると仮定してもソウル在住の申家の嫁である申師任堂の

母は、自分の実家である烏竹軒で出産する可能性はありますが、その子(つまり申師任堂)は

自分の実家であるソウルの申家で出産するのではないかしら?と思いPCで検索して

みたことがあります。

 

すると申師任堂が江陵の烏竹軒で李珥を生むことになったのは、夫を亡くした後実家である

烏竹軒に住むようになっていた李氏が病気になり、娘である申師任堂が看病の為に滞在

している時に生まれたのだということだそうです。李氏は一人娘だった為に、女性ながら実家の

遺産を相続し、夫の死後は烏竹軒に住むようになっていたようです。子供が女性だけなら

それは当然のことと受け止めていましたが、政治体制の移行期という事で制度的な整備が

行き届かず、緩やかな規範の中にあったという事のようでした。関係ありませんが、私も規則や

制度は緩やかなのが好きです。人間個人個人の自由な発想や行動が尊重され、活かせるので

はないかと思うからです。

 

申師任堂は朝鮮一の女流画家と評される人で、この「朝鮮時代の女性の生涯」展にも

申師任堂作とされる枯梅花帖という絵が出展されています。朝鮮初期の緩やかな規範の

中で、理解心ある婚家の家族にも恵まれ十二分に才能を開花させた女性に思われます。

ミュウジアムショップも小さいながら充実していて、文具等お土産向きの小品の品揃えも良いと

思います。朝鮮時代の女性の生き方に関心のある方、お手頃でちょっと気のきいたお土産を

手に入れたい方、お勧めです。한번 가 보시면 어떨까?(一度いらっしゃってみたらどうでしょう?)


「澗松文華」展-第二部「葆華閣展」

2014-08-13 | 博物館

7月23日、チング来韓2日目です。未明まで雨音は凄まじく其の儘降り続く

なら3年前と同じく傘を差していてもずぶ濡れになりそうな雨です。でもきっと

朝になれば雨脚が弱まると信じて浅い眠りに~。

明けて傘がなくても歩けそうなくらいの空の下、チングが宿泊する4号線

明洞駅から乗り換えなしで行ける東大門歴史資料公園駅の東大門デザインプラザ

で開催中の「澗松文華」展へ。平日の午前というのに、結構人が入っています。

 

3月から開催中のこの展覧会、6月半ばで一部が終了し、今は第二部「葆華閣展」

です。今回見逃せない作品はシン・ユンボクの「美人図」です。一時は宮中絵師に

までなりながら、その最後は誰にも知られずひっそり歴史から消えた絵師が描いた

李氏朝鮮時代の女性の肖像画です。

 

美人図(114.0x45.5cm)検索により借用の写真です。

やや斜め左寄りに目線を置いて、一人の女人をその人の念頭にある想いも含めて

丸ごと写し取ったかの如く、見るものに様々な想像の翼を与えてくれそうです。

 

韓国ドラマファンならご覧になった方がいらっしゃると思いますが、この絵師に触発

されて作家イ・ジョンミン氏が書いたのが、ドラマ『風の絵師』にもなった小説『風の

絵師』です。作家は幼小の頃家族のお使いで、タバコを買いに出てその箱に描か

れた美しい色彩の絵に感動し‘この絵を描いたのは、きっとこの絵のように美しい

女性に違いないと思ったとそうです。

その信念は無残にも中学の美術の時間に崩されたそうですが、彼の絵師に対する

興味は継続し構想は温められ、小説執筆へとなったようです。

 

カンソン美術館はこれまで春秋の年2回各15日間だけ、一般に公開されてきましたが

この『美人図』が展示されたのは過去2回だけだと言います。DDPでの展示はまさに

見逃せない絶好のチャンスだと言えるのではないでしょうか!私はドラマを見終えた後

どうにかしてキム・ホンドとシン・ユンボクの絵をたくさん見られないものかと、思いつく

美術館・博物館を探すこと2度目の訪韓で、2度目の『美人図』公開を運よく見ることが

出来ました。したがって今回で2度目の『美人図』観賞でした^^

 

何を考えているの?と思わず問いかけたくなりそうな可憐な姿です!

 

芸術鑑賞の後はソウルの人物や街を見たいというチングのため、東大門市場

見学です。以前秋学期に留学した折、持たずに出かけた冬物衣料を探して間口

1間程のお店が、ずらりと並ぶ建物(平和市場)を端から端まで歩いて探したこと

があります。季節の変わり目になると、市場に出かけ家族の衣類を大きな黒い

ビニール袋いっぱいに詰めて、購入して行くオンマやオンニ達、ディープなソウルの

人々の姿がみられると行ってみたのですが、あると思った場所はどこまで歩いても

衣類ではなくズック靴を始め靴、くつ、クツ・・・靴類市場でした。オットケ?

 

止むなくお昼に切り替え、確か東大門駅歩いて数分のところにタッカンマリ通りが

あったはずとお昼をとることにしました。このお店も記憶が曖昧だったせいで見つ

けるまでに、時間がかかってしまいましたが何とか探して無事おいしいお昼を

いただくことができました^^

 

この後は仁寺洞でお土産を探しながら北上し、北村のメドゥプ工房でショッピングを

終え、、韓屋がズラリ並んだ北村を見学しました。韓屋が一定程度まとまって

見られる地域は他の都市にもありますし、同じソウルに南山韓屋村という移築して

展示されたところもあります。北村の素晴らしいところは、実際に人が住み日々の

暮らしがその中で営まれている生きた韓屋が感じられるところにあるといいます。

 

また上り坂をのぼりながら北村までたどり着いて、歩いてきた方角を振り返ると

そこには軒先をきゅっとあげた韓屋の屋根と、空を隔ててチョンノのビル群や遠く

南山や南山タワーが、一望のもとに見渡すことができます。この景色は一見の価値が

あります。それを背景にチングも記念写真を撮りました。そうこうするうち傘が必要な

気配になったので、再び仁寺洞に行きパッピンスと韓菓でお八つタイムにしました。

 今年はこれで2度目のパッピンスです^^

 


国立中央博物館-必見の美しい生命体と私の好きな仏像達

2014-08-10 | 博物館

7月22日日本から来たチングと共に、国立中央博物館へ行ってきました。韓国は2度目

というチング、どこに案内したら喜んでもらえるか・・色々考えて博物館めぐりにしようと

思っていたら、天気予報も丁度雨でした。あわてることも残念がることもなく粛々と想定内

の見学を致しました^^

この博物館正面から見た右側が常設の展示館です。エントランスはそのまま展示棟を

左右に分ける、3階吹き抜けの廊下となって奥まで続きます。左側一番手前の展示室は

古代石器時代から始まります。まずはセオリー通り最初から見ていきます。

興味を惹かれたものは、チングは英語の解説を、私は韓国語の解説をそれぞれ読み

確認し合ったりしながら見ていくうち、彼女の大学時代の専攻が歴史関係だったことも

判明し、こうした遺物を楽しんで見てもらえることが分かりました^^

1階の左側だけで結構時間をとってしまったので、その次は一番見てもらいたかった

仏教美術関係の部屋へ急ぎました。右側3階にあります。

 

私が敬愛する俳優が美しい生命体と名付け、日本の広隆寺にある弥勒菩薩と合わせ

て3兄弟と称した金銅弥勒菩薩半跏思惟像を、チングに是非見てもらいたかったのです。

ただ単純に美しいものを見せたい思いと、敬愛する人が美しく思うものに共感してほしい

想いと、どうしても欲張ってしまいます^^

2体ある国宝弥勒菩薩のうち、この日は78号が展示されていました。より女性的な

イメージのする方です。この部屋はとりわけ薄暗い照明で、いつ撮ろうとしてもうまく

撮れなかった写真を、今回スマホで撮ってみたらどうにか撮れました^^;

 国宝78号金銅弥勒菩薩半跏思惟像(ガラスケースに照明が映り込んでしまっていますがご容赦を!)

 

ちなみに国宝83号と日本の木造弥勒菩薩もご紹介します。素材の違いはありますが

こちらが日本のものにより酷似していて、兄弟かもしれないという考えに納得できます。

6・7世紀という渡航手段が不自由な時代に、今よりももっと自由でおおらかな交流が

あったはずと想定される兄弟説です。弥勒信仰への期待からこの像が海を越えて、あるいは

日本で作られるきっかけを作ったとしたなら、現代の弥勒は家族が敬愛し期待する彼

その人であることは間違いないでしょう。

国宝83号金銅弥勒菩薩半跏思惟像(ネットから借用した映像です)

 日本の国宝第1号木造弥勒菩薩半跏思惟像(ネットから借用した映像です)

 

 

とても小さいながら華麗で美しい仏像もあります。

 

 

 

<私の好きな仏像たち>2009年に撮った写真より

 

 

金銅仏を作ることができなかった時代にこうした鉄で鋳造された仏像が作られた

そうです。飛鳥寺の仏像に心ひかれる経験をした事があるんですが、その後

韓国を訪れて、博物館で鉄製の仏様たちを見つけた時は、本当に小躍りせん

ばかりに嬉しかったのを覚えています。

展示室に所狭しと展示されたたくさんの像を飽くことなく眺め、私好みの仏様が

いらっしゃらないかと探したりしました。5年前ももう少し多かったような気がします。

鉄製の仏像を現代の人々がありがたがらないのか、今はほんの数体が展示されて

いるだけなのが寂しかったです。

 

 


国立古宮博物館

2014-06-25 | 博物館
昨日今日と関東地方は不安定な天候で、ニュースでは低地の浸水箇所に車が
進入して、大変なことになったケースや狭い範囲に、集中して降る雹の問題が
話題になっていました。それを見ていたウリナムピョン、雪掻きを思い出した
らしく、あの大量の氷、高齢者の家の周囲は自治体で対処してもらわないと
無理だよと、自分の今後も含めて心配していました^^


さて今日は、久々に韓国ネタ、といってもヨンジュンさんの話題でなくて
ソウル滞在中に出かけた博物館のご紹介です。



景福宮の敷地内西南の角にあるこの建物は、国立中央博物館が現在地(地下鉄
4号線イチョン駅)に移転するまで、ここに仮住まいを定めていた場所です。
現在は2000年頃には、徳寿宮に展示されていた朝鮮王朝の遺物が、展示される
国立古宮博物館となっています。

エントラスホール(2階)から入って、左へ進み第一室「朝鮮王朝の国王」室は
今回何故かとても興味をひかれました。多分歴史ドラマの影響だろうと思います。
時間をかけゆっくり見学しました。ドラマで耳にした朝鮮王朝の事物など、目の
当たりに出来てとても良かったです。展示物を一部ご紹介します。

御宝(印章):国家と王権を象徴するもので一般的には王の印章を意味するが
      王妃、王世子の儀礼用印章もこう称される。

御冊(オチェク):位が授けられたり尊号をおくる時、御宝と共におくられた書で
       おくられる人物の徳を称賛する文章が刻まれた。材料は王・王妃が
       玉製、世子・世子嬪は竹製
       大韓帝国以後は皇帝・皇后の御冊は金で作られた。

御真(オジンー王の肖像画):先代王を追慕すると同時に、彼らに見守られて王室と 
      国が繁栄するように、祈願して描かれた。太祖から純宗まで描かれ
      眞殿に奉安。生前描かれた物は図写、死後描かれた物は追写、毀損
      したり眞殿を新しくする時は原本を写して模写した。
      御真は当代一の宮中画員(絵師)が、厳格な審査を経て選抜され、王の
      活き活きした姿ばかりでなく、内面の人品と精神までも表現しようと
      努力した。完成した御真は、直接王に仕える如く最高の礼をつくし
      眞殿に奉安し背景にはいつも、王の象徴である日月五峰図を置いた。

家系図:璿源錄-直系のみ収録、宗親録ー王の息子中、嫡子のみ収録
    類附録―王の娘とその後孫、王妃世譜、敦寧譜帖―王妃の家門と外戚
    王の婿を対象に収録

儀軌:王室儀礼-行事の記録

朝鮮王朝実録:国王が亡くなると歴史編纂機関である春秋館で、臨時に実録庁を
       設置し、史官が平生記録しておいた史草と各官庁の記録など各種
       資料を集め実録を作った。
       史草は史官が毎日国王の周辺で繰り広げられる事を記録したもの。
       この史草は王も見ることが出来なかった。史官は記録に公正を期す
       よう努力した。初草、中草、正草の三段階の修正作業を経て実録を
       完成させた。初草、中草は事実の流失を避けるために書かれた紙を
       水で洗って文字を落とした(洗草)。

国朝宝鑑:王の統治行為中後代の王の手本になるような立派な政治を選んで集めた
     もの。実録を見ることが出来ないためこれを通して教訓を得た。

図書は初期は弘文館で、正祖の代からは1776年から奎章閣で管理した。性理学を
統治理念として採択した朝鮮は、文字と礼で国を治めようとする文治と礼治を指向
した。学問を尊びそれを下支えするために集賢庁など学術研究機関が発達した。

王の教育機関は経筵、世子の教育機関は書筵と言われ、毎日朝・昼・晩三度ずつ当代
最高の学者に教育を受けた。従って朝鮮の国王は、政治的指導者であると同時に最高の
学者でもあった。又その文字も精神と心を表わすものとして精進が求められた。


2階第一室だけで数時間を要した故宮博物館、他に宮殿・王室の生活・王室儀礼・
大韓帝国と皇室・天文と科学室などもあり、とても見ごたえがあります。その時の
興味で見る部屋を選んで見学するのもいいのではないでしょうか。

天文と科学室は1階と地下一階に2部屋あり、ハナヨ284P天象列次分野之図を刻んだ
石もあります。失われてしまった王朝に思いを馳せる手がかりに溢れたところです。

韓国家具博物館

2014-03-05 | 博物館



門の「ハングッ カグ パンムルガン(聞こえ方を主体にカタカナ表記)」の文字

家具博物館はソウル市の北部にある城北洞でも、かなり高い所にあります。
ぺヨンジュン家族ならご存知の方が多いイ・ヒョジェ先生のお店や、その
お向かいにある吉祥寺(キルサンサ)を通り過ぎた次の道路を右へ曲がります。
こんな案内表示が見えてきます↓

急な坂道をぜいぜい言いながら少し登って行くと、左手に・・・というより道路を
曲がった時、既に左側の崖の上は博物館なのでした。三清閣で既に1時39分で
したから走らないまでも、遅刻しないよう大急ぎでした(ゼイゼイ)。

ここの観覧は、事前に予約をしなければなりません。因みに日曜・月曜は休館日です。
当日の予約では、2時以降の観覧になるそうなので、一番早い2時にしました。

到着すると丁度門が閉じられるところでした。


大慌てでチケットを求め(20000W)あたふたと2時開始のツアーの最後尾に
着きました。時間ごとに英語か韓国語で職員がガイドをして下さいます。
私が外国人であることで、英語のツアーにしますかと聞かれました。いえ韓国語で
と言葉だけは格好よく答えましたが、実は説明は早口で半分くらいしか
聞き取れません。それでも漢字語の多い韓国語、その上家具の説明なので音(オン)
から話されている内容の予測が付く時もあって、英語よりは断然多く理解できます。
ここは魅力あるものが多そうです。回り始める前に、写真撮影について伺うと
展示品については厳禁で、途中マダン(庭)に出るから、そこでは写しても良いそうです。

現代の建築物(多分)ですが、コンセプトは韓屋のイメージでつくられた展示部分
は、家具の種別・材料別に順路良く展示されています。まずは木製のオッチャン(옷 장)
衣装箪笥からです。パンフレットも何もありませんので、簡単にバッグの中に偶々
入っていた封筒の余白にメモをしましたが、聞くことにだけ必死でたくさんは書け
ませんでした。

樫や黒柿の木、楓の木などなど木目を利用して美しく作った家具、貝(チョゲ)や
亀の甲羅(何と言いましたっけ?)で美しく象嵌したものもあります。
そのほか竹製の物も時代を経て美しい色に変化しています。オッチャンだったか、
衣装箱だったか、紙製の物もありました。
集められたたくさんの家具は、地方などで捨てられようとしていた家具を惜しんだ
個人が、私的に収集したものだとか、朝鮮時代の作られて500年程経ったものが
多いそうです。

ハムと云われる結婚の時男性から女性に贈られる結納の箱もありました。このハムは
最初の家具だそうです。そして両班で官職についていた人は、官服を専用のハムに
入れていたのだそうで(カンボク チャン)家具は朝鮮時代は男性の文化だった
そうです。

他に小さな引き出しが幾つも並んだ薬箪笥(ヤク チャン)、サインキョと云われる
4人で担ぐ輿、小盤(ソバン)等々・・・。
数冊ずつを入れていくつも重ねて使う本箱(これが本当の本箱ですね^^)、ここのは
前面に蓋もついていましたが、書物に合わせて大きさが若干ずつ違うたくさんの箱を
重ねて使うのは、ヒョゼ先生のお店の2階(でしたでしょうか)の箱型の整理箱を
思い出します。

本箱の置き場所は、コシルとかテチョン マルとか云われる共同の部屋(寝る部屋
に高く積んだ本箱を重ねるのは危険だから)ですが、休む時など読みたい本を自分
の部屋に持っていく時には、箱ごと持って行けるので持ち運びに良かったそうです。
生活の知恵ですね。


展示棟での観覧を終えると、別な建物に入ります。今見てきた家具が実際どのように
使われていたのかを示すために、韓屋が移築されています。朝鮮王朝の公主(王女)の私宅
だったものだそうです。ここは入り口に向かって、一番右の部分にアンバン(女主人の部屋)
左部分が当主の居住部分、住みわけはされていますが、別棟にはなっていませんでした。

部屋と部屋を仕切っている戸は全てハナヨ359Pに見られるプンハプムンで、来客の多い時
戸を重ねて上にはね上げ、家全体を一つの空間に作ることが出来る形になっていました。

女主人の部屋の窓から、チョウォンよろしく肘を掛け目を外にやると、広い庭の先には
松が植えられ、塀の先にはソウルの街の眺望が拡がっています。この日も曇ってはいましたが
割合良い方だそうです。良し悪しはソウルタワーが見えるかどうかだと。この日はうっすら
見えました。

この部屋から見える庭部分は日本でふつう庭という時の「庭園」として作られて
いますが、通常韓国の家にある外部の空間(とりわけ家族の暮らしの中心部分を為す部屋の
前庭の部分)は「マダン」と呼び、植栽をしたり等庭園としては造らないそうです。
(ドラマで見ていてもマダンは屋根のない家事室のような重要な生活空間ですよね。)

ハノクの見学を終えるとしばらく休憩兼フォトタイムがあります。

その後、居住空間の棟の向かい側にある倉庫・台所棟を見て見学は終了です。
所要時間一時間、展示物をじっくり味わうにはとても足りない時間でした。それだけここが
豊富で充実した博物館なのだということですね。