くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

一週間

2011年01月06日 09時07分58秒 | ちょっとおもろい

今年と言う年になって一週間。 七草だわさ。

だんだんボケることが多くなっても、まだこのくらいなら今年のことと聞かれてもすぐに思い出せるか

年々、初詣の和服姿が減っている。

そうそう 写真入りの賀状の数も心なしか減ったような。
やっぱり業者の印刷に出すと高いんだよなぁー。
自作プリンターのは多少、フレーム枠に入ったものもあった。

そんな世の中にあったからか? 和装の画像入り賀状がつい嬉しくなった。

血縁関係の定かではないところではありますが、我称;次女(左)と相称;前世双子(右)
いずれも美しい。

吾ぞと思われる方は今からでも遅くはありません。
是非一葉、お届けくださりあれ。

ついでに「お年玉」当たらんかなぁ?

 


のほほんと生きてるなぁ

2011年01月06日 00時23分34秒 | ひとりごと

この世に絶対の正義なんて在るはずがない

映画相棒-劇場版Ⅱ』の中のひとつの台詞だ。

キャリアの自己保全が暗躍する世界にあっては多かれ少なかれ有る問題だと思う。

それが医療界の『白い巨塔』であったり、財界の『華麗なる一族』、政界と防衛界と商社の絡んだ『不毛地帯』であったりと山崎豊子サンの長編小説では見事によく書かれている。

頭ひとつ口ひとつで不特定多数の人々から、それらの人物を取り巻く世の中の流れまで大きく左右させてしまうのだから影響は大きい。

表立った人は見えてもその裏の画策は計り知れないところに根付いていて、深いところで関わっていて策略をめぐらせている人物も多いだろう。

実際の社会ではもっとドロドロしたものだろうと推測しきれない。
現に社長の交代で学閥・派閥でゴロリと役員が入れ替わったりする社会や、まともに生きてきたことが全くの悪行と評されたりして非難の的と化してしまうことなども当たり前のようだ。

少なくとも都会住まいで組織の一員だった頃から、片田舎住まいの小さな個人商店となってからは、そういう世界(社会)からは疎開したように思う。

いわゆるやり手・出来る男からは逃避した形かも知れないし、ある意味では脱落者・不適合者なのかも知れないと卑下して自己嫌悪に陥る時もある。

でも、人間らしく生きて行けているような気がするのは本音。

そういった社会でバリバリやっていたかも知れないし、ある種の憧憬を捨て切れていないのもこれまた本音。

まあ、そんな真っ只中に居たら・・・こんな愚かなブログなんてものもやっていないだろう。

映画がエンドロールから明けて席を立つ観客達から、つぶやきの声すら何も聞こえないまま皆さんが黙々と出て行かれたのに、それぞれの人がどんなことを感じていたのかは知る由も無い。

この世と決別のときが来たときに 「あー良かった」と思って閻魔様の前でお裁きを受けたいものだとシミジミ思った。