持ち帰りの仕事で寝たのが午前3時頃だった。6時過ぎ、そろそろ起きなくてはと思いつつ、なお寝床にいた。その時、ある特定人物に向けられる自分の怒りのことを思っていた。それを相手に向けて直接ぶつけることはほとんどないが、自分の中につねにその怒りを感じていた。それが自分自身に向けられた怒りの投影であることは頭で分かってはいたが、自分の何に向けられた怒りなのかは今ひとつ分からなかった。
しかし、その時「あ、そうだったのか」と感じたことがあった。それは自分の中の特定の何かに向けられた怒りではなかったのだ。死すべき肉体をもって生きていることからくる、恐れや怯え。いつもはすっかり忘れさっているが、一瞬一瞬、次がどうなるか分からないことへの怯えや不安。そんなものが、私の根底に横たわっているのではないか。そういう不安定な状況そのもの(それが生きるということなのだが)への怒りなのではないか。
自分の底に潜む、恐れや怯えが少しは分かるような気がした。命というものが、つねにそういう危うい状況の中にあるということへの、深き怒り。その理不尽への怒り。そんなものが私の根底に横たわっているような気がした。その怒りが、外部へと投影されるのだ。
しかし、その時「あ、そうだったのか」と感じたことがあった。それは自分の中の特定の何かに向けられた怒りではなかったのだ。死すべき肉体をもって生きていることからくる、恐れや怯え。いつもはすっかり忘れさっているが、一瞬一瞬、次がどうなるか分からないことへの怯えや不安。そんなものが、私の根底に横たわっているのではないか。そういう不安定な状況そのもの(それが生きるということなのだが)への怒りなのではないか。
自分の底に潜む、恐れや怯えが少しは分かるような気がした。命というものが、つねにそういう危うい状況の中にあるということへの、深き怒り。その理不尽への怒り。そんなものが私の根底に横たわっているような気がした。その怒りが、外部へと投影されるのだ。