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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想へのかすかな抵抗感

2006年05月07日 | 瞑想日記
昼、家族が食事をしている間に瞑想。始める前、やはりあの「めんどうくささ」の感覚が少しあった。瞑想を始めて少しの間、そのことで「思考」が続いた。日常的な生活感覚からすると、瞑想はおそらく無意味で無駄なものと感じられるのだ。無意識にそう感じ取られるのだろう。それが「めんどうくさささ」「けったるさ」など、ちょっとした抵抗感につながっているのだ。

瞑想を始めると、あの静けさの感覚が戻ってきて、日常生活とは別の時空間の中に入る。その感覚は分かっているはずなのだが、日常的な意識にとっては忘れられているから、若干の抵抗があるのだろうお。微妙な感覚だが、あえて言葉にすればこんなところか。この表現は、外れてはいないだろうが、もう少し別の感覚もあるかも知れない。

ひさしぶりに『ブッダのヴィパッサナー瞑想・基本マニュアル』のレビューを、読書日誌の方に書くつもり。

瞑想と食事

2006年05月07日 | 瞑想日記
◆瞑想と食事
瞑想(座禅)を始める前、少しだけ「めんどうくさい」と感じることが多い。しかし、座って数分すると、心は落ち着き、あとはサティの力で静かなリラックス状態に入っていく。腹の動きから時々心が飛ぶことはあるが、すぐにサティを入れて腹の動きに戻ってくる。さらに心は落ち着き、この状態をいつまでも続けていたいと感じる。実際には、生活の中での次の動きが気になったりして、40分ほどで組んだ脚をほどくわけだが。

始める前に感じるかすかな「めんどうくささ」と、始めたあとの心地よさとの対比が、我ながら不思議だ。しかし今後、瞑想の時間が増えていくような気がする。そのためのポイントのひとつが食事だろう。満腹状態だと「まあ、いいや、止めておこう」になってしまうことが多い。昨日、出来なかった一日断食、今日は行うつもりだ。そして瞑想の時間ももう一度とろう。

◆集中とサティ
初心に帰って、地橋先生の『ブッダのヴィパッサナー瞑想・基本マニュアル(増補・新版)』を読んでいる。基本的なことが間違いなくできているかの確認。合宿などで何度も指導を受けてきたので、ほとんど心身に染み付いてはいる。しかし、中心対象からはずれたときに、「しまった、ダメだ」と感じる心は、まだある程度は残っているようだ。

「集中も大事ですが、気づき(サティ)はもっと大事です。したがって中心対象から心がそれることを、あまり気にする必要はありません」というような言葉は、私にとっては何度でも確認することが大切だ。その度に、そうなんだと自分に言って聞かせている感じだ。