祈りゐて 照る日を浴びる みみなぐさ 夢詩香
*たまには俳句をやりましょう。この記事を発表するのは5月の下旬ですが、書いているのは2月の初旬です。オランダミミナグサが咲き始めたころです。
この花は、かのじょも好きでしたね。冬が穏やかになり始め、日差しが柔らかくなってきたころに咲く、目立たない白い花です。あまり人目を引かないが、近寄ってよくよく見てみれば、大変に愛らしい。きれいな心が見える。あの人はこういうのが好きだった。小さなものに心惹かれて見に行くと、とても美しいものがある。信じられないほどきよい心が、あまりにありきたりなところにある。道端や庭の隅や、明日には刈られてしまいそうな空き地の中に咲いている。
人間はまだ知りはすまい。こんな小さな花の中にある心が、人間を幸せにしてくれと、神に祈っていることを。
そんな心が、絶え間なく人里に咲いてくれているからこそ、人間の暮らしがよくなっていくのだということを。
小さな花だが、神はそのようなきれいな心を見失うことはない。どんな小さな祈りも聞き逃さないほど、神はたくさんの耳を持っていらっしゃる。
千耳という名をさしあげたいほどに。
その耳は、この世のすべての花の祈りを聞き逃さないほどに、幽玄微妙な感覚を持っているのだ。
そのような愛の祈りの声を聞くことができるようになり、あふれるほどの愛に包まれて生きていたことに気付くころには、人間も美しいものになっていることでしょう。
日差しをあびているミミナグサは美しいですね。ミミナグサは「耳菜草」だ。葉っぱがネズミの耳に似ていることから来ているそうです。日本のミミナグサは、写真のオランダミミナグサとは違いますが、どちらもナデシコ科で、道端などに生えるかわいらしい野花です。
神の呼ぶ 声を聞き知る 耳菜草 夢詩香