流れきて つひにむかふる おにここめ 夢詩香
*俳句が続きます。これはだいぶ前に詠んだものですね。わたしがこのブログを始めたころ、数日で百句あまりを詠んだことがありますが、これはその一つです。わたしたちはこういうことが普通にできます。実を言うと、この原稿を書いているのも、2月4日です。
ゾスマの霧の風景も、ブログで3分の1くらいを発表したころには、もう全部書き終わっていました。ことさらには言いませんでしたがね。霧の風景をあなたがたが読み終わったころには、アルヤが幻の少女たちを八分くらいまで仕上げていました。
かのじょが生きていた頃も、これくらいのことはしていたでしょう。月の世の物語も、毎日発表していましたね。またあのすばらしい日記も、毎日書いていましたね。こんなことくらい当然だと思っていたのか、平気で馬鹿にしていましたが、同じことができますか。やれるものなら、やってごらんなさい。
毎日やるということはかろうじて真似できても、あそこまで水準の高い内容のものが書けますか。はっきり言って無理でしょう。言っておきますが、かのじょのあの仕事を馬鹿にした人は、いずれ同じことをやらねばならないという、法則上の結果が生じています。人を馬鹿にすると、よくそんなことになるのです。
「おにここめ」の「ここめ」は妖怪のことです。ですから「おにここめ」というのは非常に醜くて恐ろしい鬼のことです。まあ句の意は、馬鹿がいろんな嫌なことをしてきて、とうとう妖怪のように恐ろしい運命がやってきたという意味です。
阿呆は何もわかっていませんから、平気で人を馬鹿にしていじめるのですよ。自分の力というものがわかっていない。ですから、やったことが自分に返ってきたとき、自分の力ではどうしようもない運命が降りかかって来たりするのです。
他人が軽々とやっているからと言って、それを簡単なことだと思ってはいけません。わたしたちはこんなことができるようになるまで、それはそれは長い間修行してきたのです。わたしたちは、あなたがたとは、積み重ねてきた年月が違う。それも、ものすごい差なのです。あなたがたがまだ動物だったころ、わたしたちはもうすでに相当な高い存在でした。嫌になる現実かもしれませんが、自己存在にとって、霊魂としての年齢というものは、越えられない壁なのです。どうしてもみな、自分より先に生まれた存在には、勝てないのです。
ここは十分にわかっていた方がよろしい。それでないとまた、馬鹿な失敗をします。
馬鹿は自分の浅知恵で理解できる世界がすべてだと思っていますから、自分以外の人間がみんな馬鹿に見えるのです。わかっていないのは自分の方だということがわからない。だから平気で痛いことをして、みんなを馬鹿にするのだが、それが返ってきたときになってようやく、自分には何もできないということを思い知る。それが馬鹿というもの。
あなたがたも今、かのじょを馬鹿にした反動が自分に出てきている。人を馬鹿にすればこんなことになるということが、だいぶわかって来たでしょう。とうとう鬼ここめがやってきた。
もうすでに遅いと言う人もたくさんいますが、この経験をよい教訓とできる人は、もう二度と、人を馬鹿にするようなことをしてはなりません。