韓玉の 浅きくもりを ことさらに 言ひてまことの 色を語らず
*これも、以前試練の天使のつぶやきで発表されたものです。ワイドショーなどで、毎日のように朴槿恵の話題が取り上げられていた時でした。彼も言っていましたが、テレビで女性の悪口を言っている馬鹿男の様が、醜いなどというものではありませんでしたね。愚かな汚職の疑惑が持ち上がると、これを幸いと好きなように言っていた。自分よりいいと感じる女性をいじめてやりたいという、馬鹿男のいやらしい心が透けて見えたものです。
「韓玉(からたま)」は、外国産の美しい宝石のことです。ここではもちろん朴槿恵を表します。昔から、花や玉などということばは、美しい女性のことを表すものでした。
韓の国の美しい玉の、浅いくもりのことばかりをついて、その宝石の本当の美しい色のことなど、誰も言わないのだ。
政治家というものは、真新しい真珠のように真っ白でいられるものではありません。馬鹿なことばかりしている馬鹿としょっちゅう付き合っておらねばできない仕事ですから、一度や二度は絶対に、汚い水に手をつけねばならないのです。大事なのは、その人の誠だ。自分の欲得のためではなく、国のためであるならば、たとえくもりはついても、その石の本当の色は変わりはしない。
朴槿恵が国のためにしてくれたよいことはあるはずだ。それでみな助かっているはずだ。彼女がいてくれるだけで、助かることがあるはずだ。なぜみな、そこを見ないのか。大切なのはその人の本当の力と、国のためにそれでいいことをしようとする、真の心なのだ。
試練の天使はそう言いたかったのでしょう。できる政治家が、馬鹿に倒されていくことほど、政治家にとってつらいことはありません。
ところで、表題の歌ですが、試練の天使の作品にしては、少々うますぎると思いませんか。そう感じた人は正しい。実はこの歌には、友人による添削が入っています。
最初彼がこの歌をひねっていた時、「しらつゆの玉のくもりを…」という風に詠んでいました。「しらつゆの」は「玉」にかかる枕詞です。それを横から聞いていたある友人が、「韓玉」から始めるのがよいと、助言したのです。そうすれば朴槿恵を表す意が強くなると。彼はそれを聞いてなるほどと思い、「韓玉のあさきくもりを…」となおしたのです。
これで、歌としてはかなり完成度が高くなりました。心に響いた人も多いはずです。しかしわたしの意見を言わせてもらえば、この歌は、彼の作品にしては少々品が良すぎますね。彼はもっと、不器用な方がいい。
荒々しかろうが、ぎすぎすしていようが、鷹の爪を生で食わせるようなきつさが、彼の魅力です。まあこれもいいですが。
歌というものは、歌詠みの個性がまっすぐに現れているのがよいですよ。そこにその人の美しさを感じるのがいい。ですがわたしたちは、それぞれのまことの色を尊重しますから、時には美しい友人の色を自分に取り入れることもあるのです。
互いに互いの真価がわかっていますから。お互いによいところを提供しあうことができる。
これも、それぞれのまことの色を見て、尊敬しあっているからです。