ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

呼ぶもの

2017-05-23 04:20:47 | 短歌





星に染む 風は心を 吹き抜ける 高きところに 呼ぶものはたれ






*これも、現代語と古語がほどよく混じっている例ですね。かのじょの古い作品ですが、古語では「抜ける」は「抜く」です。連体形も「抜くる」。

ですがこの歌では、どう考えても「抜ける」の方がいいですね。そのほうが風の清々しさが出る。痛いことではないですよ。言葉はやわらかく使った方がよい。感覚的に、現代語の方が優れていると思ったときは、現代語の方を使った方がよいと思います。

星に染まった風が、わたしの心を吹き抜ける。高いところから、わたしを呼ぶ者がいる。それは誰だろう。

これを詠んだのは、確か例の日記を発表した前後ではなかったか。高い存在からの、接触があった頃でした。自分に課された使命がどんなに重いものになってしまったかということには、まだ気づいていなかったが、何かが自分に何かをさせようとしているということは、わかっていた。

星に染まった風というのは、要するに、天使の声という意味です。

もうわかるでしょう。この世界に生き残っていた天使がほとんどかのじょだけだったので、ほかの天使が大勢かのじょのところに来ていたのです。こちら側に生きていたかのじょは、それをなんとなく感じていた。だからそれをこのような歌で表現したのだが。

まさかそれがこんな運命に流れていくとは思っていなかった。




うたびとよ 鳥の衣を ひるがへし はるかならめや なつかしき空




詩人よ。鳥のようなその衣を翻して飛ぼう。あの懐かしい空は、はるかに遠いものであろうか。いや、決してそうではない。

「めや」は、推量の助動詞「む」の已然形と係助詞「や」のつながったもので、反語の意が加わった推量の意を表します。「~だろうか、いいや~ではない」という感じです。こういう感じを詠むときは、古語が有効ですね。「めや」の二文字でここまで表現するのは、現代語には無理ですから。

いずれなつかしい故郷に翼を返して帰ることができるまで、この世界で生きてやっていくことができると思っていた。それは豊かな仕事をして、決して遠くはない故郷に帰れば、少しの間休んで、またこの世界に来ることができると思っていた。しかし、神はそういう運命をかのじょにくれませんでした。

ほかの天使が強引に人生を終わらせねばならないほど、痛いことになりすぎたのは、馬鹿な人間が大勢固まって、あまりにひどいことをしすぎたからです。いやなことをするというにも、恐ろしい馬鹿をやりすぎた。呵責も葛藤もなく、人間は馬鹿の暗闇の中に自分を溶かし、獣よりも愚かなことをやった。

それで、かのじょという天使が、すべてだめになったのです。

あほうめ。

どんなことをやっても取り返せない結末があるということを、あなたがたは思い知らねばなりません。「いいや決してそうではない」などという反語の尾ひれはつかない。

はるかに去りきって、もう二度と戻っては来ない。

そういう場合有効なのは、完了の助動詞「り」か「ぬ」でしょう。




うたびとは 鳥の衣を ひるがへし はるかに去りぬ ふるさとの空     夢詩香






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