高座の わきにますぐの 麻をうゑ 国書をとぢる 白紐をよれ
*これは試練の天使の作品です。つぶやきの中で一度紹介されたものですから、覚えておられる方もいるでしょう。
「高座(たかくら)」とは、天皇の玉座のことです。「国書(こくしょ)」とは、まあ説明するまでもないでしょうが、国の元首がその国の名で出す外交文書のことです。
「麻をうゑ」の「うゑ」は「植ゑ」ではなく「生ゑ」にしたかったらしいのだが、それだと「はえ」と読まれる恐れがあるので、ひらがなにしたそうです。「とぢる」は「閉づ」ではなく「綴づ」です。「とづ」の連体形は本当は「とづる」だが、なんとなく彼はそうしたくなかったらしいです。
古臭くて硬くなるのがいやだったらしい。時には古語の文法に合わなくても、自分の感覚に気持ちいい表現をとるのがいいでしょう。詠んだ人が気持ちいいと思っている歌の方が、すんなりと入ってきます。それに今は、古語が日常語であった昔とは違いますから、かなり言語的な技術には、融通が利きます。確かに読んでみれば、「とづる」より「とぢる」とした方が、彼らしくて清々しい。
天皇の玉座のわきに、まっすぐな麻を植え、国家の元首が出すという国書を閉じる白い紐をよりなさい。
まあ、真意は解説しなくてもわかるでしょう。彼は政治家ですから。痛い意見を歌にして、誰かに伝えるのは、なかなかに粋ですばらしい。
こういう表現力を、ぜひに皆さんも身につけてもらいたい。事務的にそっけなく言うよりも、美しい隠喩で真意を伝えれば、人間の心だけでなく、魂に入り込む。そしてその人の人生そのものに、深い指針を与える。
歌とはそういうものだ。この歌を与えられた本人は、かなりこれが効いているはずですよ。
発想の流れは簡単だ。麻という言葉を使いたい。それを国の元首に結び付けたい。麻とは糸やひもや布を作るものだ。国家元首にかかわるもので紐を使うものと言えば、国書を綴じる紐くらいだろう。いいね。この線で詠ってみよう。
まあこんな感じでしょう。高座のわきという言葉にも、もろに日本の総理大臣ということばが隠れていますね。「ますぐ」という言葉にも、何かの意味がある。
難しいことはたくさんあるでしょう。だがこれをできないと言って断ることは、できません。そうわたしは言います。言えばもはや馬鹿になる。どんな苦難が待ち受けていても、馬鹿でないのなら、やらねばなりません。歌とはそういうものだ。
わかりますね。