はしための 下の帯をぞ 形見とし 西の門より 後宮を去れ
*これは、以前試練の天使が、金瓶梅のことなど話題にしていたので、誰かが詠んでみた歌です。金瓶梅はいわゆる官能小説の古典ですが、わたしは読んでいるわけではありません。ただ教養として、主人公の西門慶(せいもんけい)が、金持ちで権力者で光源氏も真っ青な美形で、もてまくってもてまくって、美人の妻をたくさん持っているということを知っているくらいです。
まあ、男の都合の良い願望を、一心に浴びているキャラだと言えますね。
中国人の名前には、司馬とか夏侯とか諸葛とかいう二字性があることは知っていましたが、西門という姓はこれで初めて知りました。調べてみると、珍しいが、本当にあるらしい。人間の名前というのもおもしろいですね。司馬懿、夏侯惇、諸葛亮、こういうと人物像が浮かぶ人は、三国志に通じている人です。二字姓というのはなんとなく特別な響きがある。色事師の名前に使われると、かなりかっこいい感じになりますね。おもしろい。
まあここまでくればわかるでしょうが、「西の門より後宮を去れ」は、馬鹿男は西門慶のような都合のよい夢は捨て、いさぎよく後宮のようなところから出ていけという意味です。
はしための下着など形見にでも持って、さっさとこんな汚い夢から出て行くがいい。
ハレムなんぞ、夢の夢ですよ。
過去の歴史では、そういうものを作った男もいましたがね、そういう男は、後が大変なことになっているのです。その人生で自分の相手をさせた女性ひとりひとりの人生の責任を取らねばならないからです。阿呆なんですよ。百人も女性を囲ったら、百人の女性すべてを幸せにせねばならない。責任逃れをすることはできません。法則は必ず、馬鹿な男の元に、請求書を顔に書き込んだ女性を連れてくる。その顔を見た途端、その馬鹿男はその女性のために、すべてを与えねばならなくなるのです。
皇帝や殿様などになって、後宮や大奥のようなところに好きなだけ美女を集めて、やりたい放題にやった男は、今も大変な苦労をしているのです。
光源氏のように、プレイボーイを気取っていろんな女性と遊ぶのも、法則的に無理です。現実的に男は、妻や恋人を持っていながら、ほかに二人目の女性と関係を結ぶだけで、痛い破滅がやってきます。それだけで、苦しめてしまう人間の数がとても増えるからです。
女性は、生涯にひとりだけにしておいたほうがよい。連れ合いに先立たれて再婚するなどということはよくありますが、その場合も、過重負担になります。苦労はあるだろうが、やもめ暮らしをがんばって生きるのが勉強だと思い、再婚はあまりしないほうがよいというのが、本当です。
男性はもうそろそろ、自分の分というものをわからねばならない。馬鹿な男の夢は捨てなさい。
アダムとイヴはエデンの東から楽園を出て行ったが、馬鹿男は西の門から、汚い男の夢から追放されるのだ。そんなことを想像すれば、西門慶の名前もおもしろく生きるというものだ。西の門の慶びと書く。あんなものが出て行けばめでたいという意にとれないこともない。