高級ブランド”への転換で迷走脱却日本流の品質と接客で急拡大ユニクロ(中国戦略)という題名で日経ビジネスにユニクロの中国事業が紹介されています。先日ユニクロが淘宝に出店したという報道が有り、その後淘宝での売上も好調に推移していると報道されていますが、ユニクロの中国事業は、私自身が思う理想的な中国進出を実行していると思っています。
この記事には、ネットは記載されていませんが、ユニクロの中国事業展開の経緯が掲載されています。日本でそれなりの利益を獲得し、投資ができる企業だからできる面もあるでしょうが、中堅レベルの企業にとって中国市場を如何にせめて行くかで非常に参考になると思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090610/197244/?P=1
・上海浦東の「正大広場」内のユニクロは、2006年12月に鳴り物入りでオープンした旗艦店で、約2300㎡というアジア最大級の売り場面積を誇る。
・店の内装業品展示は日本と同じだ。商品も日本と全く同じ。袋に印刷されたカタカナの「コットン」などの表示の上に、中国語のシールが張られている。
・同じ商品だが、価格は全般に日本より2割程度高い。平均賃金が月2500元(約3万8000円)の上海では、ユニクロは高級品の部類に入る
・ユニクロの中国事業は、2002年9月に上海に出店したのが始まり。香港と上海を中心に13店(2007年8月期末時点)を出店している。業績は堅調だ。香港の売上高営業利益率は25%を超え、約15%の国内ユニクロ事業よりはるかに高い。上海など中国本土も前年は赤字だったが、香港の成功モデルを移植し、2007年8月期に黒字化した。
・ユニクロの、昨年の中国事業の売上高は約53億円。グループ全体の1%にすぎないが、前年比でほぼ倍増する成長軌道に乗っている。
・ユニクロ中国の社長、潘氏は中国・北京出身だが、日本の大学・大学院を卒業後、1995年にファーストリテイリングに新卒入社した。日本で店員や店長を務めた後、商品部門で仕入先の中国工場との調整に奔走。2001年に中国法人の副総経理に就任し、翌年の上海初出店に携わった。
・ユニクロは当初日本同様マスを狙ったが、売上は伸び悩み、出退店を繰り返した。「日本のユニクロと同様に、最適価格でマス市場を狙う戦略は中国では難しかった。中国のマス市場の顧客は収入が低く、価格競争が激しい。地場の市場では、パンツ(ズボン)2本20元(約300円)で売っている」
・「中国産」のイメージが強いユニクロだが、生地などの素材は世界中から良質なものを中国に集めて縫製している。イタリアや日本からの輸入が多く、中国産の素材は少ない。中国は繊維産業保護のため輸入関税率が高い。素材から中国産の現地製品に比べコスト競争力に乏しかった。当初は、価格設定を日本より2~3 割安くしたため、利幅も薄かった。
・2005年9月に香港初出店。日本のユニクロと同じ商品を扱い、価格は日本より2割程度高くした。価格相応に「日本は上質」というメッセージを打ち出した。商品の表示は日本語と円のままにして、棚で別途香港ドルの価格を表示するほどの徹底ぶりだ。
・店舗は、柳井社長の判断で、「最初から大型店、フルライン」にし、1500㎡の場所に出店したが、香港は家賃が高い為に、立地で妥協せざるを得ず、寂れたショッピングモールの 3階だった。しかし、オープン後、3階からモールの外まで行列ができる状況が2週間続いた。この1店舗で初年度から約1億円の平均月商をたたき出し、日本のユニクロを上回る利益率を実現。
・その後、中国国内の既存店の撤退等を進めた上で、2006年になって、上海で抜本的な改革を断行した。中国向け商品をやめて日本と同じ商品に一本化。香港と同様の高めの価格に切り替え、対象顧客も「マス」ではなく、25~40歳の収入に余裕がある(月収3500元以上の)オフィス勤務者に絞り込んだ。
・2006年7月の「港匯広場店」を刷新、東京の目黒駅ビル内にある最新仕様のユニクロ店舗を参考にして全面改装。店内の随所にマネキンを配して、コーディネートを提案する売り方に徹した。売り場も従来比3倍の1000㎡に大型化。増床しても面積当たりの効率が下がらず、売上高も3倍になる成果が出た。刷新2年目も、売上高は上海全体の経済成長を上回る前年比30%増で推移している。
・ 旗艦店の出店を迷っていた潘は、香港での戦略が上海でも通用すると確信。2300㎡の売り場面積を持つ正大広場店の出店を決断した。同年9月に契約し12月にオープンするという早さだった。
・新店の宣伝を担当したのは、8月に中途入社したばかりの羅怡(ルオイー)だ。経済成長が著しい上海には、世界中のカジュアル衣料SPA(製造小売り)が相次いで進出している。正大広場のモール内だけでも、スウェーデンのH&M、スペインのZARAなど、ユニクロのライバルたちがひしめく。他社が派手な宣伝を展開するなか、ユニクロの予算は100万元(約 1500万円)程度と多くなかった。テレビCMは控え、新聞広告や交通広告などで、地道に「アジア最大の旗艦店」というメッセージを訴えた。テレビCMは控え、新聞広告や交通広告などで、地道に「アジア最大の旗艦店」というメッセージを訴えた。
・12月9日、正大広場店のオープン当日は、香港初出店の再現だった。9台のレジがフル稼働しても100人もの行列ができた。初日だけで6000人以上の買い上げ客数を記録。1年近くたった現在でも日曜日で2000人程度の客数を維持している。
・上海での市場調査によると、ユニクロのリピーター比率は8割を超える。これはほかの外資ブランドを押さえ、衣料ブランドの中で1位だという。潘は「新しいブランドが来ても、商売が揺らぐほどの影響は無い。市場は大きいし、経済成長に伴ってユニクロが対象とする顧客層は増える。競合他社を気にするより、この人たちに確実にファンになってもらうことが重要」と話す。
・実際に、ユニクロをよく利用するという日系企業勤務の上海人は「価格は高いが品質はいい。店員が親切で接客態度が気に入っている。外資の類似の衣料店に比べてレベルが高い」と評する。
・こうした評判の種をまいたのが、辰己幸士だ。10年前の潘と同じく、中国ビジネスにかかわることを希望して2004年に入社。日本で店長を務めたのち、2006年3月に店長として上海に赴任した。
・店舗運営の本質は、日本でも中国でも変わらない。ただCS(顧客サービス)に課題があると感じ、ユニクロの店員は、入社1カ月以内に2日間みっちりと研修を受ける。あいさつやレジでの応対などの接客の基準を作り、ロールプレイングなどを通じて中国の人にも分かりやすいような内容のCS研修を実施。
・人材確保は、中国のユニクロにとって大きなリスク要因だ。日本なら知名度が高い分、人は集まりやすい。「中国では競合の進出もあって、人材の争奪戦になっている」と潘は言う。中国の若者はハングリー精神が旺盛。ユニクロも給与に格差を付けており、店員から店長に昇進すると給与が数倍になるユニクロも給与に格差を付けており、店員から店長に昇進すると給与が数倍になるほどだ。それでも、育成した人材が他社に流出するケースが後を絶たない。
ユニクロは北京再出店などによって、2007年8月期末に13店だった中国の店舗数を、1年でほぼ倍増させる計画だ。潘は「早く動かないと世界競争に勝てない。これまでは『模索』の段階だったが、今は拡大再生産の時。ただ、課題は山積みだ」と話す。店舗人材を核とした現場力を維持しながら急拡大する難しさは、潘が一番よく知っている。
⇒如何でしょう?私が強く感じたのは
・日本に留学した中国人学生を新卒で雇用し、日本国内でみっちり育てた人を、中国事業の責任者にしたこと。
・敗者復活戦を香港から始めて中国に参入した事
・対象顧客を中間所得層にしたこ事
・価格は日本より2割増に抑えている事(最近店舗に行くと、同じくらいおかなとも思いますけど
・マーケも中途入社とはいえ中国人社員を使った事
・顧客対応教育をみっちり行うこと
・ポジションにより給与格差がハッキリしている事。
ユニクロの場合、生産という面で中国との関係は長いですから、中国人新卒社員の雇用とかの対応も早かった方かとは思います。でも、対象顧客層、価格設定、日本で教育した中国人に事業を任せること、中国人社員の教育と給与格差。どれも中国進出で肝といわれることなんですが、実は実際にできている会社は極めて少ないのが実情です。
香港からの再出発も良いんですよね。中国で流行る日本の商品は、かならずしも在日中国人や日本ファンの中国人から始まるのではなく、香港経由の物が非常に多いと思われます。香港のテレビドラマが大陸では大変な人気があります(中国大陸しえのドラマの評価はあまりかんばしくないですね)ので、そのドラマに出てくる物とかって中国人に認知される可能性は高いはずなんです。
ネットに関しても、ユニクロは独自サイトに加えて、淘宝のB2Cのサイトを作った事は既報ですが、実は僕らのやっているC2Cのサイトも出しています。実に中国の実情を捉えていると感心します。
言うわ易く行うは難しを文字通り実行しているのでしょうね。確かにユニクロの社員の転職率は低くは無かったようです。様は引き抜きに合うんですよね。
古い中国企業を総代理店にしている会社なんて、絶対にこういう真似は出来ないでしょうね。的確な市場の情報が入りませんから。今から中国に出ようと言う企業は、規模や資金面の制約があるでしょうが、ユニクロ流を取る、如何に同じように展開するかを考えないと行けないでしょうね。
この記事には、ネットは記載されていませんが、ユニクロの中国事業展開の経緯が掲載されています。日本でそれなりの利益を獲得し、投資ができる企業だからできる面もあるでしょうが、中堅レベルの企業にとって中国市場を如何にせめて行くかで非常に参考になると思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090610/197244/?P=1
・上海浦東の「正大広場」内のユニクロは、2006年12月に鳴り物入りでオープンした旗艦店で、約2300㎡というアジア最大級の売り場面積を誇る。
・店の内装業品展示は日本と同じだ。商品も日本と全く同じ。袋に印刷されたカタカナの「コットン」などの表示の上に、中国語のシールが張られている。
・同じ商品だが、価格は全般に日本より2割程度高い。平均賃金が月2500元(約3万8000円)の上海では、ユニクロは高級品の部類に入る
・ユニクロの中国事業は、2002年9月に上海に出店したのが始まり。香港と上海を中心に13店(2007年8月期末時点)を出店している。業績は堅調だ。香港の売上高営業利益率は25%を超え、約15%の国内ユニクロ事業よりはるかに高い。上海など中国本土も前年は赤字だったが、香港の成功モデルを移植し、2007年8月期に黒字化した。
・ユニクロの、昨年の中国事業の売上高は約53億円。グループ全体の1%にすぎないが、前年比でほぼ倍増する成長軌道に乗っている。
・ユニクロ中国の社長、潘氏は中国・北京出身だが、日本の大学・大学院を卒業後、1995年にファーストリテイリングに新卒入社した。日本で店員や店長を務めた後、商品部門で仕入先の中国工場との調整に奔走。2001年に中国法人の副総経理に就任し、翌年の上海初出店に携わった。
・ユニクロは当初日本同様マスを狙ったが、売上は伸び悩み、出退店を繰り返した。「日本のユニクロと同様に、最適価格でマス市場を狙う戦略は中国では難しかった。中国のマス市場の顧客は収入が低く、価格競争が激しい。地場の市場では、パンツ(ズボン)2本20元(約300円)で売っている」
・「中国産」のイメージが強いユニクロだが、生地などの素材は世界中から良質なものを中国に集めて縫製している。イタリアや日本からの輸入が多く、中国産の素材は少ない。中国は繊維産業保護のため輸入関税率が高い。素材から中国産の現地製品に比べコスト競争力に乏しかった。当初は、価格設定を日本より2~3 割安くしたため、利幅も薄かった。
・2005年9月に香港初出店。日本のユニクロと同じ商品を扱い、価格は日本より2割程度高くした。価格相応に「日本は上質」というメッセージを打ち出した。商品の表示は日本語と円のままにして、棚で別途香港ドルの価格を表示するほどの徹底ぶりだ。
・店舗は、柳井社長の判断で、「最初から大型店、フルライン」にし、1500㎡の場所に出店したが、香港は家賃が高い為に、立地で妥協せざるを得ず、寂れたショッピングモールの 3階だった。しかし、オープン後、3階からモールの外まで行列ができる状況が2週間続いた。この1店舗で初年度から約1億円の平均月商をたたき出し、日本のユニクロを上回る利益率を実現。
・その後、中国国内の既存店の撤退等を進めた上で、2006年になって、上海で抜本的な改革を断行した。中国向け商品をやめて日本と同じ商品に一本化。香港と同様の高めの価格に切り替え、対象顧客も「マス」ではなく、25~40歳の収入に余裕がある(月収3500元以上の)オフィス勤務者に絞り込んだ。
・2006年7月の「港匯広場店」を刷新、東京の目黒駅ビル内にある最新仕様のユニクロ店舗を参考にして全面改装。店内の随所にマネキンを配して、コーディネートを提案する売り方に徹した。売り場も従来比3倍の1000㎡に大型化。増床しても面積当たりの効率が下がらず、売上高も3倍になる成果が出た。刷新2年目も、売上高は上海全体の経済成長を上回る前年比30%増で推移している。
・ 旗艦店の出店を迷っていた潘は、香港での戦略が上海でも通用すると確信。2300㎡の売り場面積を持つ正大広場店の出店を決断した。同年9月に契約し12月にオープンするという早さだった。
・新店の宣伝を担当したのは、8月に中途入社したばかりの羅怡(ルオイー)だ。経済成長が著しい上海には、世界中のカジュアル衣料SPA(製造小売り)が相次いで進出している。正大広場のモール内だけでも、スウェーデンのH&M、スペインのZARAなど、ユニクロのライバルたちがひしめく。他社が派手な宣伝を展開するなか、ユニクロの予算は100万元(約 1500万円)程度と多くなかった。テレビCMは控え、新聞広告や交通広告などで、地道に「アジア最大の旗艦店」というメッセージを訴えた。テレビCMは控え、新聞広告や交通広告などで、地道に「アジア最大の旗艦店」というメッセージを訴えた。
・12月9日、正大広場店のオープン当日は、香港初出店の再現だった。9台のレジがフル稼働しても100人もの行列ができた。初日だけで6000人以上の買い上げ客数を記録。1年近くたった現在でも日曜日で2000人程度の客数を維持している。
・上海での市場調査によると、ユニクロのリピーター比率は8割を超える。これはほかの外資ブランドを押さえ、衣料ブランドの中で1位だという。潘は「新しいブランドが来ても、商売が揺らぐほどの影響は無い。市場は大きいし、経済成長に伴ってユニクロが対象とする顧客層は増える。競合他社を気にするより、この人たちに確実にファンになってもらうことが重要」と話す。
・実際に、ユニクロをよく利用するという日系企業勤務の上海人は「価格は高いが品質はいい。店員が親切で接客態度が気に入っている。外資の類似の衣料店に比べてレベルが高い」と評する。
・こうした評判の種をまいたのが、辰己幸士だ。10年前の潘と同じく、中国ビジネスにかかわることを希望して2004年に入社。日本で店長を務めたのち、2006年3月に店長として上海に赴任した。
・店舗運営の本質は、日本でも中国でも変わらない。ただCS(顧客サービス)に課題があると感じ、ユニクロの店員は、入社1カ月以内に2日間みっちりと研修を受ける。あいさつやレジでの応対などの接客の基準を作り、ロールプレイングなどを通じて中国の人にも分かりやすいような内容のCS研修を実施。
・人材確保は、中国のユニクロにとって大きなリスク要因だ。日本なら知名度が高い分、人は集まりやすい。「中国では競合の進出もあって、人材の争奪戦になっている」と潘は言う。中国の若者はハングリー精神が旺盛。ユニクロも給与に格差を付けており、店員から店長に昇進すると給与が数倍になるユニクロも給与に格差を付けており、店員から店長に昇進すると給与が数倍になるほどだ。それでも、育成した人材が他社に流出するケースが後を絶たない。
ユニクロは北京再出店などによって、2007年8月期末に13店だった中国の店舗数を、1年でほぼ倍増させる計画だ。潘は「早く動かないと世界競争に勝てない。これまでは『模索』の段階だったが、今は拡大再生産の時。ただ、課題は山積みだ」と話す。店舗人材を核とした現場力を維持しながら急拡大する難しさは、潘が一番よく知っている。
⇒如何でしょう?私が強く感じたのは
・日本に留学した中国人学生を新卒で雇用し、日本国内でみっちり育てた人を、中国事業の責任者にしたこと。
・敗者復活戦を香港から始めて中国に参入した事
・対象顧客を中間所得層にしたこ事
・価格は日本より2割増に抑えている事(最近店舗に行くと、同じくらいおかなとも思いますけど
・マーケも中途入社とはいえ中国人社員を使った事
・顧客対応教育をみっちり行うこと
・ポジションにより給与格差がハッキリしている事。
ユニクロの場合、生産という面で中国との関係は長いですから、中国人新卒社員の雇用とかの対応も早かった方かとは思います。でも、対象顧客層、価格設定、日本で教育した中国人に事業を任せること、中国人社員の教育と給与格差。どれも中国進出で肝といわれることなんですが、実は実際にできている会社は極めて少ないのが実情です。
香港からの再出発も良いんですよね。中国で流行る日本の商品は、かならずしも在日中国人や日本ファンの中国人から始まるのではなく、香港経由の物が非常に多いと思われます。香港のテレビドラマが大陸では大変な人気があります(中国大陸しえのドラマの評価はあまりかんばしくないですね)ので、そのドラマに出てくる物とかって中国人に認知される可能性は高いはずなんです。
ネットに関しても、ユニクロは独自サイトに加えて、淘宝のB2Cのサイトを作った事は既報ですが、実は僕らのやっているC2Cのサイトも出しています。実に中国の実情を捉えていると感心します。
言うわ易く行うは難しを文字通り実行しているのでしょうね。確かにユニクロの社員の転職率は低くは無かったようです。様は引き抜きに合うんですよね。
古い中国企業を総代理店にしている会社なんて、絶対にこういう真似は出来ないでしょうね。的確な市場の情報が入りませんから。今から中国に出ようと言う企業は、規模や資金面の制約があるでしょうが、ユニクロ流を取る、如何に同じように展開するかを考えないと行けないでしょうね。