日中越境EC雑感

2008年に上海でたおばおに店を作るところから始めて、早もうすぐ10年。余りの変化に驚きの連続

瀋陽 (奉天)

2006-10-01 | 旅行(中国その他)

 中国は今日から国慶節休暇で1週間ほど休みになります。建国記念日で1週間も休みになるのは共産国家らしいと思いますが、アメリカの7月4日の大騒ぎや、韓国の8月15日のお祝い振りを見ると、日本の建国記念日って単純に休日になるだけでわびしい気もします(まぁ、これも敗戦による影響でしょうけど)。<o:p></o:p>

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 この休暇を利用して瀋陽に来ています。元々は奉天という名前で日本人にはなじみが深いところです。近年は、4年ほど前の瀋陽事件(亡命北朝鮮人が日本領事館の敷地内で中国の公安につかまった事件)、や最近日本人がタクシーの運転手を殴ったという噂で反日暴動が発生した等、比較的親日といわれる東北部の中では反日のイメージの強い町です。<o:p></o:p>

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 日露戦争時の奉天大会戦、張作霖爆殺事件、柳条湖事件(満州事変の開始)等、日中の近世史における大きな事件が発生した場所でもまります。奉天が最大の都市であるにもかかわらず、満州国建国時に、首都を長春(新京)においた大きな理由は、張作霖の息子張学良の拠点であり、当時から反日の気運が強かったのも一員と何かで読んだことがありますので、今の状況はやむをえないのかもしれません。<o:p></o:p>

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 何はともあれ、昼頃上海を出発し、2時間半ほどで瀋陽空港いに到着、ホテルについたのが4時過ぎと遅かったものですから、清朝代目の皇帝ホンタイジのお墓である北陵公園に行ってきました。中国の皇帝は、墓を作らないモンゴル族の元朝を除き立派な陵墓を作っています。今まで北京の明の13陵の一つ、西安の始皇帝陵、南京の明の朱元璋、同じく南京の三国志の孫権の墓、成都の同じく三国志の劉備の墓、孫文の墓を見てきましたけど、墓そのものはさほど巨大ではないのですが、城壁に囲まれた中に盛土をしていますし、故宮に似た建物に囲まれる形になっているあたり、ちょっと変わっています。ホンタイジの死んだ翌年に清軍が北京に入場していますので、元々の墓を作ったときはあくまでも東北の一政権ということで、さほど大きくない。その後清朝が強大になるにつれて子孫が拡大していったというのが事実なのでしょう。世界遺産にもいつのまにかなっていました。<o:p></o:p>

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 陵墓の周りは広大な公園になっており、私たちは陵墓を見るのに30元、その前に公園そのものに入るのに6元払ったのですけど、夕方6時以降は公園は無料になるとの事で、瀋陽市民の憩の場になっているようです。嫁も上海にはこんな大きな公園は無いよ、と羨ましがっていました。<o:p></o:p>

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 その後、日本のどこかの駅をモデルにしたという瀋陽駅を見に行こうとバスにのったのですが、どこで降りるか解らない(社内放送が無いんです)で困っていたところ、やたらライトアップされたヨーロッパ風の建物が並んでいる広場に差し掛かり、あわてて降りてみました。ここが中山公園で、旧満州国時代の日本の建物が多く残っている処です。<o:p></o:p>

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 面白いのは、大和ホテルはホテル、奉天警察署は奉天市公安局、横浜正金銀行(東京銀行の元の名前)は工商銀行、興業銀行(興銀ですかね?)も銀行と、元々の建物の構造のせいか同じ用途に使われていることです。関東軍司令部の建物が工会総部が使っているんだけ違和感があったのですが、元々はここは拓殖会社のもので、満州事件の一時期のみ関東軍が使っていたとネットで調べて解り、納得した次第です。旧建物の名前は其々のビルに掲示されているのですが、一つ日満空軍というビルがありましたけど、当時の日本軍に空軍はなかったはずなのに、と思いました。<o:p></o:p>

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 気温が8度から24度と随分差があるせいか、どうも風邪を引いたみたいです。。<o:p></o:p>

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コメント
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