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カネボウ白斑:美白成分に細胞毒性 専門誌に発表

2014年07月06日 | 健康・病気

 

 

毎日新聞 20140705日 2317分(最終更新 0705日 2358分)

 

 肌がまだらに白くなる「白斑」を起こし自主回収されたカネボウ化粧品(東京)の製品の美白成分である「ロドデノール」という物質には、色素細胞に対する毒性があるとの研究結果を、同社の研究所などのチームがまとめたことが5日、分かった。皮膚科の専門誌に発表した。

 

 チームは、培養した人間の皮膚細胞を使って実験した。しみの元にもなるメラニン色素が細胞の中で作られる際には、チロシナーゼという酵素が働く。ロドデノールは、この酵素と反応して色素ができるのを邪魔する。だが大量に使うと、この酵素との反応を通じて別の物質ができ、それによって色素を作る細胞そのものを死に追いやり、白く色が抜けた状態が生じる可能性が示された。(共同)

 


素晴らしき狂人

2014年07月04日 | 社会・経済

 

ウィンザー通信http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/d7687e6f43b62b9370cba44a9b11bcd1?fb_action_ids=310057302489675&fb_action_types=og.likes&fb_source=feed_opengraph&action_object_map=%7B%22310057302489675%22%3A264652110345159%7D&action_type_map=%7B%22310057302489675%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D 

 2013年05月08 | 日本とわたし

 この、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏による証言を、ぜひ読んでください。
この証言は、国会図書館内にある資料からのもので、戦争放棄条項、憲法第九条が生まれたいきさつが、事細かに書かれています。

憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。

以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしにはわからん。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱うなった。

「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」

なんちゅうすばらしい言葉やとかと思う。
これを今、チンケな政治家がいじろうとしてる。
日本が、原爆を落とされて重傷を負った日本が果たした歴史的使命を、浅はかな人間に奪われてたまるか!

死中に活!

肝っ玉が座った。

↓以下は、証言の中で特に感銘を受けた言葉を抜粋させてもろたもの。

原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った。
世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない。
そして、戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないもの。
原子爆弾が登場した以上、一刻も早く軍拡競争を止めなければならぬとわかっていても、それは不可能。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿。

軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある。
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだ。

要するに、世界は今、一人の狂人を必要としているということである。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ。

    
日本民族は、幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は、今や一挙に、下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって、日本民族は依然として、神の民族だと思う。
何故なら、武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人は、その悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。
すなわち日本は、この神の声を、世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々と、この大道を行けばよい。

死中に活というのは、その意味である


↓以下、転載はじめ


この資料は、国会図書館内にある、憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを、
(今川)が、川西市立図書館を通じて、国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、
さらにそのコピーを、ワードに移し替えたものである。

昭和三十九年二月


幣原先生から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情について

ー平野三郎氏 記―

憲法調査会事務局

は し が き
この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

昭和三十九年二月
憲法調査会事務局


第一部

私が、幣原先生から、憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。
同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。
場所は、世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
 
側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、
当日は、私が、戦争放棄条項や天皇の地位について、日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて、幣原先生にお答え願ったのである。
その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を、整理したものである。
 
なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように、口外しないようにいわれたのであるが、
昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみて、あえて公にすることにしたのである。


元衆議院議員・平野三郎氏: 
かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから、是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。   
あれは、現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ、独立の暁には、当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。 

幣原喜重郎氏:  
いや、そうではない。
あれは一時的なものではなく、長い間、僕が考えた末の、最終的な結論というようなものだ。

平野氏:
そうしますと、一体どういうことになるのですか。
軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

幣原氏:  
それは、
死中に活だよ。
一口に言えばそういうことになる。

平野氏:
死中に活といいますと……。

幣原氏:
たしかに、今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし、原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った、と僕は思う。
何故なら、この兵器は、今後更に幾十倍、幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は、短時間のうちに、交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。
そうなれば、世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない
そして、
戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる

平野氏:
しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

幣原氏:
そうだ。
世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。
しかし、実際問題として、世界中が武器を持たないという真空状態を、考えることはできない


それについては、僕の考えを少し話さなければならないが、僕は、世界は結局、一つにならなければならないと思う。
つまり、世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて、一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。
だが、何らかの形における世界の連合方式というものが、絶対に必要になる。
何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも、各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ、世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は、最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。
しかしその武力は、一個に統一されなければならない
二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、
交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも、武力が威嚇手段として行使される。
したがって、勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には、無限の軍拡競争が展開され、遂に武力衝突を引き起こす。
すなわち、戦争をなくするための基本的条件は、武力の統一であって、
例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が、進んで、且つ誠意をもって、それに参加している状態、
この条件の下で、各国の軍備が、国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、
それに反対して結束するかもしれない、如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。

    
そういう世界は、歴史上存在している。
ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは、日本である。
徳川家康が開いた、三百年の単一政府がそれである。
この例は、世界を維持する唯一の手段が、武力の統一であることを示している。
    
要するに、世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関が、やがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、
その同盟が、国際的に統一された武力を所有して、世界警察としての行為を行うほかはない。

このことは、理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし、原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す時が来た、と僕は信じた訳だ。

平野氏:
それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は、大国同志が国際的に話し合って決めることで、
日本のような敗戦国が、そんな偉そうなことを言ってみたところで、どうにもならぬのではないですか。

幣原氏:
そこだよ、君。
負けた国が負けたからそういうことを言う、と人は言うだろう。
君の言うとおり、正にそうだ。
しかし、負けた日本だからこそできることなのだ。
おそらく世界には、大戦争はもうあるまい。
もちろん、戦争の危機は、今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。
第二次世界大戦が、人類が全滅を避けて戦うことのできた、最後の機会になると僕は思う。
如何に各国が、その権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、
いかなる理想も人類の生存には優先しないことを、各国とも理解するからである。
   
したがって各国は、それぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題は、どのような方法と時間を通じて、世界がその至高の理想に到達するかということにある。
人類は、有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、
唯一つ断言できることは、その成否は一に、軍縮にかかっているということだ。   
もしも有効な軍縮協定ができなければ、戦争は必然に起こるだろう。
既に言った通り、軍拡競争というものは、際限のない悪循環を繰り返すからだ。
常に、相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り、安心できない。
この心理は果てしなく拡がって行き、何時かは破綻が起る。
すなわち、協定なき世界は、静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく
その静けさがどれだけ持ちこたえるかは、結局時間の問題に過ぎないという恐るべき不安状態の連続になる
のである。 
   
そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。
世の中に、軍縮ほど難しいものはない
交渉に当たるものに与えられる任務は、如何にして相手を欺瞞するかにある。
国家というものは、極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを、交渉者に要求する
虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争である。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないもの
なのだ。 
    
原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。
むしろ軍縮交渉は、合法的スパイ活動の場面として、利用される程である。
不信と猜疑が無くならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、
原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられる
だろう。
    
そのような瀬戸際に追いつめれても、各国はなお、異口同音に言うだろう。
軍拡競争は、一刻も早く止めなければならぬ。
それは分っている。
分ってはいるが、どうしたらいいのだ。
自衛のためには力が必要だ。
相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。
その結果がどうなるか、そんなことは分らない。
自分だけではない。
誰にも分らないことである。
とにかく自分は、自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て、相手方にあるのだ。
 
    
果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられない、どうしようもないことである。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿であろう。
    
要するに、軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだ
のである。

そうだ。
誰かが自発的に、武器を捨てるとしたらー最初それは、脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。

次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルをもっている。
その前にはだかの体をさらそうと言う。 -->


世にも美しいガンの治し方。

2014年07月03日 | 健康・病気

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世にも美しいガンの治し方
Chapter 1. まさかの余命宣告
Chapter 4. デトックス
Chapter 6. ガン完治!
余命宣告
病院

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