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二次被害も含めたセクハラ被害をなくすためにできることー望月衣塑子 (東京新聞社会部記者)&キューリ

2018年07月28日 | 社会・経済

imidas時事オピニオン2018/07/27

皆が声を上げられる社会は実現するのか?

二次被害も含めたセクハラ被害をなくすためにできること

 

  望月衣塑子 (東京新聞社会部記者)

 

(構成・文/村山加津枝)

 

  日本では、すぐに下火になったかとも思われた、#MeToo運動。しかし、福田淳一前財務省事務次官によるセクシュアル・ハラスメントを女性記者が告発、その後、福田氏の対応のまずさなどから抗議の声が上がった。一方で、新たなセクハラ事例が次々に表面化している。今、報道の現場はどのような状況なのか? 報道の現場に限らず被害をなくすにはどうすればいいのか? 被害者が声を上げるために必要なことなどを、東京新聞の望月衣塑子記者に聞いた。

 

女性ジャーナリストの敵は身内?

 

 2018年5月21日、大阪国際大学の谷口真由美准教授が代表を務める「メディアにおけるセクハラを考える会」が、メディアに携わる女性を対象に、セクハラ被害についてインターネットを通じて調査した結果を発表しました。その調査結果によると、セクハラの加害者として多いのは、国会議員ら政治関係が11%、警察・検察が12%、いちばん多いのが社内、いわば身内からのハラスメントで、40%という数字(東京新聞2018年5月22日朝刊)はちょっとショックでしたね。

  私自身は、社内でそうした被害に遭ったことはありません。ただし10歳以上先輩の女性記者たちに聞くと、入社当時「なんで女に警視庁や特捜(特別捜査部)回らせるんだ」とか「女に事件記者は無理だ」とかいう発言が平然と行われていたと聞きます。女性蔑視の時代だったんだなあと、ギャップを感じます。「考える会」の調査で社内の被害に遭ったという人は、そうした上の世代の割合が多いのではないでしょうか。

  1986年に施行された男女雇用機会均等法以降、東京新聞では女性記者の採用が徐々に増え、私が入社した2000年頃には新規採用者の約3割になっていました。最近は、入社試験の成績上位者は女性記者の割合が多いらしいのですが、様々なことが考慮された結果、男女半々ぐらいになると聞いています。人数が増えたことで、政治部や社会部に配属になる女性も増えています。

  しかし、現状、東京新聞では論説委員ポストにある女性は早川由紀美記者の一人だけで、部長クラスは一人もいません。それでも、ずっと男性が占めてきた政治部長というポストに、2015年にはフジテレビの渡邉奈都子さんが、2017年には、毎日新聞の佐藤千矢子さんや日本テレビの小栗泉さんが就いています。そうした目に見える変化も出てきているのです。

  部長職に女性がいることだけではなく、産休明けの私に武器輸出の取材を勧める男性上司がいるとか、社会部に出産後の女性記者が何人もいるなんて、先ほど話した先輩女性記者の時代には考えられなかったと思います。女性記者が増えたことだけが理由ではありませんが、東京新聞では、かつては紙面の中面でしか取り上げられてこなかった待機児童などの育児・教育の問題や女性の貧困など様々な問題が、今はトップ記事になるようになったことも、大きな変化だと思います。

ただし社によっては、出産後、社会部に残ることを希望しても企画系の部署に異動になることが現実としてまだまだ多いです。地方の新聞社では、数の少ない女性記者を取り巻く社内環境は変わらず、活躍の場は限定されているとも聞きます。こうした女性差別的な環境下では、身内からのセクハラだけではなく、取材先の男性からのセクハラ、パワーハラスメントも起きやすいのではないかと思います。

 

伊藤詩織さんの存在が大きく影響

 

 つい最近、セクハラ被害に遭った元早稲田大学文学学術院の女子学生が、相手の大学教授を告発したことが話題になりました。彼女は「たとえ匿名で告発したとしても、個人攻撃など被害は何かしら起きるかもしれないという怖さはありました。でも、最近の#MeToo運動を見て、自分も声を上げてもいいのだと思い、決意しました」と「プレジデント オンライン」(2018年6月20日)のインタビューで答えています。

  このようにセクハラの被害者が声を上げるようになったことには、ジャーナリストの伊藤詩織さんの存在が大きく影響していると思います。私は、2017年5月、彼女が顔を出し実名でレイプ被害を公表した直後に会って、取材をし記事にしました。その後も何度か会っていますが、一人の勇気が世の中を変えていくのを実感しました。

  例えば、彼女が声を上げた直後には、人気ブロガーのはあちゅうさんや元厚生労働事務次官だった村木厚子さんなど著名な人たちも、封印していた自身の過去のセクハラ被害を告白していました。

  今年に入ってから、4月には福田淳一財務事務次官(当時)からの被害をテレビ朝日の女性記者が告発し、マスコミでも大きく取り上げられました。同じく4月には、官民ファンドの「クールジャパン機構」の役員に対して元派遣社員の女性が訴訟を起こし、その裁判の第1回口頭弁論で「被害者に寄り添っていない」と訴えました。同年5月、それまでのセクハラ疑惑に対し覚えがないと言っていた高橋都彦(くにひこ)狛江市長が、被害者4人が実名で抗議文を出したことから辞職表明に追い込まれました(6月4日に辞職)。6月に入ると、4日付で停職9カ月の懲戒処分を受けた外務省のロシア課長のセクハラ疑惑が、新聞や週刊誌で騒がれました。

  このように、続けざまに表面化したのには、やはり被害に遭った女性たちが詩織さんに触発されて「声を上げよう」という思いに至ったのだと思います。詩織さん自身の件については、なかなか日本のマスコミでは取り上げられていません。しかし、BBCやCNN、ニューヨークタイムズなど、海外では取り上げられていて、BBCは詩織さんのドキュメンタリー番組を制作、6月28日(現地時間)に放送しました。日本のマスメディアより海外のマスメディアの方が、詩織さんの事件を大きく、かつ詳細に報道し、日本社会の性犯罪被害者たちへの排他的な姿勢や、警察の性犯罪捜査の問題点を浮き彫りにしました。

  こうした番組の放送後、SNS上では多くの応援の声もありましたが、相変わらず信じられないようなバッシングもありました。ドキュメンタリーの中で自由民主党の杉田水脈(みお)衆議院議員が、ほかの議員らと詩織さんを揶揄(やゆ)するイラストを見て笑ったり、BBCからの取材に対して、女性として落ち度があったという趣旨の発言をしたりしているのを見たときは、開いた口が塞がりませんでした。

  生まれ育った日本では安心して暮らせない、メディアでもなかなか取り上げてもらえない。そんな詩織さんの状況は、見ていて切ないですし、本当に腹が立ちます。安心した居場所を求めて、彼女が活動の拠点をイギリスに移したのは、当然の成り行きだったのかもしれません。

 

問題解決のために立ち上がる女性たち

 

 福田氏のテレビ朝日の記者へのセクハラにも、同じ記者として怒りを感じました。許されない行為であることは明白です。

  さらに批判の的となったのが、財務省が謝罪しているのに当事者の福田氏はセクハラを否定し反省もしていないこと。そして麻生太郎財務大臣の「はめられた可能性は否定できない」、下村博文元文科大臣の「(福田氏は)はめられたと思う」「(被害者による録音は)ある意味で犯罪」というコメントでした。あまりのひどさに、4月18日、新聞労連が「『セクハラは人権侵害』財務省は認識せよ」、民放労連が「財務次官セクハラ疑惑と政府の対応に強く抗議する」という声明を出しました。

  5月1日には、女性記者が喧嘩を売られたようなものだから受けて立とうという気運から「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN:Women in Media Network Japan)」が設立され、15日には代表世話人の二人、元朝日新聞記者の林美子さんとジャーナリストの松元千枝さんが記者会見しました。

私もメンバーとして加入しています。詩織さん、テレ朝の女性記者の勇気ある告発、そして、その後の麻生大臣や下村議員の発言に、「負けてはいられない」「もう傍観者でいるわけにはいかない」という思いがありました。

  会のメンバーは、新聞社や通信社、テレビ局、出版社などの社員、フリーランスも含めて86人(記者会見時)です。会員には現役の記者も多くいますが、記者会見に出席したのは、フリーの二人だけでした。本来は、皆で顔を出して声を上げたいところです。

しかし、これまで声を上げた、詩織さんやテレ朝の女性記者への誹謗中傷やネット上でのバッシングは凄まじく、最終的に現役の記者たちが顔出しすることは見送られました。

  WiMNは、林さんと松元さんを中心に、今後は、シンポジウムの開催やSOSが出せるような受け皿作りを検討していくなど、様々な取り組みを進めていきたいとしています。まだできたばかりの団体ですが、メディアで働く女性たちが立ち上がり、組織を作り、声を上げ始めた意義は大きいと思います。セクハラやパワハラに苦しんでいる、メディアで働く人以外の女性や男性にも、良い影響が出てくるようになったら嬉しいです。

 

我慢しなくていい社会に

 

 先ほど、社内でセクハラを受けたことはないと言いましたが、私の場合は、若い頃、千葉や横浜のサツ(警察)回りなどもしていて、外部からのセクハラというのはありました。おそらく支局時代にセクハラ・パワハラの洗礼を受けるというのは、若手の新聞記者は男女問わず、皆経験することになるのではないでしょうか。

  私の場合は、千葉の方はまだのどかな感じでしたが、横浜では、赴任早々、警察幹部に「助手席で話そう」と言われて車に乗り込んだら、いきなり抱きつかれたのです。すぐに知人に相談したら、「相手は警察内で処分されるかもしれないけど、警察からの印象は悪くなり、取材がやりづらくなるかもしれない」と言われました。すっごく悩んで、結局、告発するのをやめました。

  ただし、自分の中でどうしても納得がいかなかったので、その幹部のいる警察署へ行き、人の見ていない所で、はっきりと抗議しました。そうしたら「そんなに怒ってるとは思ってなかった」と平謝りされ、「ああ、この人、自覚がなかったのか」と納得し、相手が謝ったことで許すことができました。

  その後も何度か同じようなセクハラには遭いましたが、取材に慣れていくにつれ、それを「受け流してきた」という面がありました。当時は、「取材のためだから仕方ないか」と思っていたわけですが、自分より若い世代の記者たちが、今、ひどい目に遭っているのを目の当たりにしたり、後輩たちから相談を受けたりすると、10年以上前に、私自身がもっときちんと声を上げていれば、後輩たちが苦しむことはなかっただろうと反省させられます。

  これはきっと、記者という立場の女性だけではなく、他の業界でも、仕事のためだからとやり過ごし、我慢してきた人たちも同じ思いだと思います。私のように市井の声を拾える、人に伝えられる仕事に就いている者は、もっともっと声を上げていかないといけないと思います。

残念なのは、せっかく勇気を出して声を上げた女性を批判したり中傷したりする人の中に、同性の女性がいることです。自分たちは「若い頃、こうだった」と言うのならまだしも、「私は我慢したんだから、あなたも我慢しなさい」ではなかなか社会の意識が変わっていかないと思います。電車内でのベビーカーの使用について論争があったときも、高齢の女性たちが「自分たちはちゃんとおんぶしていた。ベビーカーは車内で使うな」という批判があったと聞きました。もしずっと我慢していたのなら、我慢しなくて済む社会、より子どもを育てやすい社会の方がいいですよね。それがセクハラに関連することなら、我慢しなくて済む社会の方がいいに決まっています。

 

声を上げられる力を

 

 セクハラに関して声を上げるには、教育も大事かなと思います。

  私には娘がいますが、彼女にはきちんと自分の考えを表現できる人間になってほしいです。先生の言うことに従って、黒板に書いたことをただ書き写して、丸暗記する。私の子ども時代は、そんな教育が当たり前でした。でも、それだけではクリエイティビティは育たないし、新しい価値観や創造力も生まれにくい。教師やお上の言うことが当たり前だと思わされ、声を上げられない人間になってしまいそうです。

  アメリカでは、今年3月、高校生が中心となった銃規制の強化を訴えるデモに、首都ワシントンだけで約80万人、全米では約100万人が集まったといいます。海外のニュース映像だったかと思いますが、トランプを批評する4、5歳の女の子の映像を見たときには思わず笑ってしまいました。そうしたことができるのは、常に親や教師たちが、相手がどんなに小さな子どもであっても政治のことを語り合い、ディスカッションすることが身についているからでしょう。自分の考えや思いを伝えるために声を上げる、その力がはぐくまれているのではないかと思いました。

  そのアメリカでさえ、#MeToo運動以前には、なかなか声を上げられなかったことを考えると、セクハラの問題はなかなか手強いとも言えますが。

 

オヤジ文化、体育会系のノリに「NO」

 

 今一度自分を振り返ってみると、特捜部を担当していた頃、元特捜部検事の家にお正月集まるときは女性記者たちがみんな着物を着るということが慣習化していて、私も着物で行きました。女性であることを取材で利用したことがまったくないかと聞かれたら、女性だから取材のための飲みに付き合ってもらえたことも多かったと思いますし、否定はできません。

  女だから、男だから、と性差を声高に叫び過ぎることも、それはそれでギスギスした社会になってしまう可能性もあります。ただ、これだけは言えるのが、当事者が嫌がっているなら、それだけでセクハラだということ。これを理解できていないことが、セクハラをしている側の自覚のなさにつながっているのだと思います。

  これには、いわゆるオヤジ文化とか体育会系のノリ(!?)というものも影響している気もします。例えば男性記者の場合は、セクハラよりもパワハラが問題で、取材相手の言いなりに芸をするなど、「情報を取るために、ここまでするの?」という情景を見ることも少なくありません。今やスポーツ界でもこれまでは当然と言われてきた体育会系のノリが問題になっているのですから、女性に限らず男性も嫌なことにははっきり「NO」と言いましょうと言いたい。取材する側が、はっきりと声を出すことで、取材される側の意識も変わっていくことが必要な時代になったのではないでしょうか。

  福田氏のセクハラ問題を受けて、政府は省庁幹部へのセクハラ研修の義務化など緊急対策を講じるようで、野田聖子男女共同参画大臣が取りまとめをしていて、会見をしました。しかし、その後も耳を疑うような政治家の発言が引きも切らずで、もっと厳しく対処してほしいし、研修を受けなければいけない人がたくさんいます。さらには、「セクハラ罪という罪はない」と麻生大臣が言いましたが、日本にセクハラ罪がないことは、国連からこれまで問題視されてきました。今回の#MeTooの動きを契機に、何より政府は、日本にもセクハラやパワハラへの罰則を作っていく道を模索していくべきです。

 

ジワリジワリと変えていく

 

 これまでは、女性の問題と捉えがちだったセクハラ問題ですが、加害者が男性であれば当然男性の問題でもありますし、男性が被害者になることも、女性が加害者になることだってあるわけです。

  自分の周囲を見回すと、男性で麻生大臣のような考えの持ち主はほとんどいません。WiMNの賛助会員には男性もいます。これからはもっと理解のある男性が増えていくだろうし、セクハラ問題を「女性」対「男性」という構図で考えるのはやめて、双方が生きやすい、働きやすい社会を目指して、共に変えていけるようになればいいですね。

  身内から受ける被害が多いなら、第三者的な相談窓口も必要になってくると思います。何かトラブったときなど、社内だけで何とかしようとするより、客観的に見て、判断できる弁護士や外部の専門家に相談すると、問題が整理されるし、人間関係を忖度して悩んだりせず、淡々と事が運ぶことも多いと聞きます。

  いかにも「闘うぞ!」というのとはまた違った形、もっと等身大というか、それぞれが無理なくできる範囲での闘い方、応援の仕方がある気もします。セクハラをしていることに無自覚な人には、「NO」をはっきり言うことで、私の体験のように相手に変化が訪れるかもしれません。

  今後も一足飛びにこの問題が解決するとは思えません。それでも、これまで声を上げてきた多くの勇気ある人たちのためにも、それに続く人が出てくることが肝心です。そして声を上げられる環境があって、声を上げた被害者を守るしくみやサポートするしくみをきちんと作ることも重要です。

例えば、LGBTをめぐる社会環境は少しずつ変化が出ており、今やカミングアウトする人も増えました。またお茶の水女子大学などが、戸籍上男性であってもトランスジェンダーの学生の入学を受け入れると発表するなど、周囲の対応も変わりました。同じように、セクハラ問題もあきらめることなく、ジワリジワリと変わっていけばいい、変えていけたらいいなと考えます。


今日はキューリがたくさん採れました。

 訪問看護ステーションジョジョのSさんが昨日のブログでこのように書いていたのでご紹介しよう。

完熟キュウリは店には無いので
以前は完熟キュウリ作るために自分でキュウリを植えていたが
今は自分で植える余裕が無く
多くの人が捨てる太いキュウリや完熟キュウリをもらってくる

そこで
それを見た人の反応がほとんど
なに・・・これ、捨ててるよ・・・と来る

私も4~5年前までは同じだった
黄色くなったキュウリはもちろん
大きくなったキュウリなんて捨てていた

4~5年前に利用者さんから「騙されたと思って食べて見られ」と言われ
完熟キュウリを食してみた

うそ・・・美味しい、香が違う
だから
自分で植えていたのだが

今は余裕が無いので
人が捨てる完熟キュウリ
欲しいと言うと
向こうが恐縮する完熟キュウリ
だから
遠慮なくもらって来れる

職員に勧めてみた
食してみた職員は・・・美味しいと


昨日も例のごとく完熟キュウリを貰って来たが
完熟キュウリは残ることなく貰われていった

    ***

キューリは大きくなると緻密さがなくなり、おおざっぱな味になる。
シャキシャキとした触感を楽しむか、香りと味を楽しむか両方あっていいのではないだろうか。
捨てるなど、もったいないことだ。
もう一つ、完熟キューリの食べ方。
鍋にも使えます。
特に、マーボナスに向いてます。
暑い中、冷やしたマーボナスもどうだろうか?

キューリの食べ方で、注意しなければならないのは、ビタミンCを破壊する要素が入っているので、酢などのドレッシングを必ず使用することです。