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〈本を読む仕事〉という、一冊の本ができあがるまでに大きな役目を担う校正・校閲の仕事。今日も校正ゲラをくり返し読み込み、書店や図書館をぐるぐる巡り、丹念に資料と向き合う。単に字の間違い、誤植の訂正だけではなく、内容まで踏み込んでのどこまを「校正の範囲」とするのか悩ましい問題にぶち当たる。
短歌を詠う時でも悩むことだが、同じ言葉でもひらがなかカタカナ、漢字かアルファベットか、表記によってイメージは異なる。カボチャはカンボジア原産で辞書の見出しは「カボチャ」。料理本で、「肉じゃが」とくれがば「カボチャの煮物」でゃなく「かぼちゃの煮物」と書きたいもの。「サボる」と置けば目立つけど「さぼる」と書けば薄らいでしまう。(「サボる」は元々『サボタージュ』の「サボ」を動詞化したもの)。著者の表現なのか単なる間違いなのか著者の気持ちになって校正をしていく、大変な仕事です。
この春、岸和田の短歌会で短歌を発刊したのですが、その歌集づくりにおいても、何度も何度も校正を繰り返して、作者本人が居るのだから本人が全責任をもてばそれで良いのではと思っていたのですが、校正という作業がいかに大事なことと理解致しました。
それを裏付けるのが「辞書」、学生時代よりも引く機会は増えたのですが、持ち合わせてないのが「広辞苑」と「大辞林」、どちらも欲しくなりましたな・・・・。
②、机のそばにある、ごまめの辞書たち。
②、机のそばにある、ごまめの辞書たち。