ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

趣味(落語と本)の話と大好きなうどんを中心に、ごまめになってもいちょかみで幅広くお届け

知の編集工学~松岡正剛

2024-01-11 11:11:11 | 本の少し
 ☆☆☆

情報が溢れんばかり飛び交う昨今、大事なのはその情報の編集・IN/OUTの営みであると。それを知の「編集工学」と歴史を紐解きながら未来への情報社会をを生き抜くための技法を説く。

でも、その中身は非常に難解で、細切れの破片を書き留めておきます。

・人間の学習能力はじつは対話型で、かつ遊び的なのである。
 (対話型とは、他人との話しだけではなく、ノートに書くとか、本を読むと、散歩をしながら何かを見る、広範囲なメディア的対話性のことをさす)
・日本は、世界が目をみはる高度経済成長をなしとげたあと、「経済大国」と「生活大国」といううぬぼれた二大標語を自慢してもののみごとに失敗し、自業自得の苦境を強いられている。
・情報化と編集化はどのように一体化できるのだろうか。
・古代情報世界は語り部や文字だけで保存されたのではなく、建築や彫刻や図像やも文様などによって、情報管理がされていた。
・洋の東西を問わず、あらゆる読書は声をたてて読まれていた、このことは聴覚回路が知の形成や再構成にとっていかに大切だったか。
・どんなメディアもどこか必ず「空く」「偽」「毒」をはらんでいて、おしなべて想像以上のスピードをもって流通し、どんあメディアであれ、その「内容」を管理しきるということは不可能である。
・万国博も百貨店もどちらも1850年代に生まれている。どちらも、ひとしく「世界を一堂に集めたい」というコンセプトをもっていた。これも情報編集の歴史の一つである。
・「マネージメントがあるなら、イメージメントがあってもんだよね」
・近代日本像をめぐるのに「大・新・高」がる。明治時代には大日本帝国とか大逆事件などと「大」の字が、明治の終わりから昭和にかけては新思潮とか新婦人とか新日本、新感覚という「新」という字が使われ、やがて高級自動車とか高度成長、高密度社会といった「高」が流行し、その後は中間大衆や中年社会、中流感覚という「中」という字が頻繁につかわれた。まさにつくられた共通感覚なんです。

このように、情報は良くも悪くも操作されている。

この正月に起きた能登地震の政府の対応を見ていても、分断された情報、物資の流れをいかにつくるか。他県から流入を控えるなら、地元での高校生や一般人を広く集めたボランティア組織を作るなり、あれほど注目を集めたドローンからの映像もなく、情報統制でが開示されていないだけなのか。何がどこで詰まっているのか、明確に判断、指示するのが危機管理時の政府の対応ではないか。予備費の執行を決めましたの情報ではなく、被災地、被災者への実質的動きを促進するための活動が望まれる。



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