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2021年度 学習グループ「みち」公開学習会・Ⅱ~2021.10.15

2021-10-15 12:12:12 | 暇・学習


2021年度 学習グループ「みち」公開学習会・Ⅱ~2021.10.15

2021年度 学習グループ「みち」公開学習会・Ⅱ
「戦国時代の岸和田と三好一族の盛衰」
2021年10月15日(金)午後1:30~3:30

講師:万代博史

岸和田に住むようになって23年、でも地元のことは何も知りませんな。学習グループ「みち」の公開学習会に参加。郷土研究家の万代博史さんの「岸和田での三好一族の盛衰」というお話をお聞きしました。

室町時代の後半、三好一族のリーダーである三好長慶の勢力圏は摂津から山城・丹波・阿波・淡路・讃岐・播磨などに及んでいました。室町幕府の将軍足利義晴・義輝共々京都から追放し、三好政権を樹立。その後足利義輝、六角義賢、高山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者と君臨しました。しかしその大きな勢力を誇った三好一族の衰退は永禄4年(1561年)4月、岸和田城主にもなった十河一存(長慶の弟)が急死、そこから和泉支配が脆弱になり、翌年の久米田合戦で長慶のの三好実休(義賢)が戦死。以後徐々に三好一族の勢力が衰え信長台頭の時代になっていきます。

江戸時代には「侍三十六人党」を結び、その中の郷土名の中には、今でも残っている、小松里、山直、積川、今木、大路、包近、八木、土生、などこの久米田周辺の名前を知ることができる。

荒木村の源太夫は、摂州伊丹の城主摂津守、荒木村重の子である、と。
額原村には實休の塚がある、と。

この久米田周辺にはいろんなお話がございます。
またゆっくりと久米田寺の多聞院など訪れたいものですな。


①、岸和田市立八木市民センター


②、「戦国時代の岸和田と三好一族の盛衰」



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