うろキョロ散歩

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「日本原住民史」 

2007年12月27日 | ブックスタンド
八切止夫著 朝日新聞社 1972年刊 
日本人のルーツ
これまでの常識からすると日本原住民は、いつのころか分からないがオーストラリアや東南アジア付近に住んでいた民族が西南地方に漂着し、しだいに近畿にまで進出したが、後に韓国や中国からきた倭人に追われて、今では北海道の一部にだけ残っているアイヌ民族である、と言うものです。

しかし、これは真実だろうか。
私的にはこれは違うのではないかと思っています。
紀元前、東南アジア方面からくり抜き舟を使って漂着した人々や中国大陸の戦乱を逃れて日本に亡命してきた人たちや朝鮮半島に居住していた人々が九州や山陰地方に流れ着いた人々、が混血して縄文人と呼ばれる古代人となり、九州西南地方から山陰・近畿地方を通り関東あたりまで日本中に散らばっていった。彼らの頭目にはイニシャルに「イ(伊)・ヤ(八)」のつくものが多かった。例えばイザナギとかヤマタの大蛇とか。そのほかに「エ・ケ・セ・テ・ネ・」がついていた人が多かったようだ。
時を同じくして中国東北部から中東系の民族(モンゴル系とは明らかに顔立ちやスタイルが違う)が樺太から日本列島に入りこみ北海道から東北地方に住み着き関東地方あたりまで南下してきてアイヌ人と呼ばれるようになったのではないだろうか。そして上記の人々が混合して古代日本人となったのではないかとおもう。

日本人のルーツである第1種原住民以前の古代人がどこから来たのかは、現代日本人の遺伝子を徹底的に調べてくれる科学者が現れるまでは分からないのだろう。
その後、朝鮮半島を通って日本にたどり着いた蒙古の騎馬民族が朝鮮民族と組んで古代人を討伐したり統合させたりしながら大和国家(百済・新羅派)を作り上げていった。その当時の日本はおそらく文明の進んだ朝鮮半島の国家の植民地であったろう。そしてこのひとたちの頭目は頭文字「ア(天)・キ・シ・チ・ニ」がつき、古代日本原住民と融合して第1原住民となった。神話にでてくる大和朝廷初期の頃である。即ちイニシャルにア・イ・エ・キ・ケ・シ・セ・チ・テ・ニ・ネ・ヤなどのイニシャルにつく人々が日本原住民の末裔ではないだろうか(明治以降勝手につけた苗字は除く)。

さらにその後に中国大陸から日本に桃源郷を感じ取り「藤原(とうげん=桃源)氏」(唐派)を名乗った中国系民族が多数移住してきて第1種原住民を北へ北へと駆逐しつつ大和朝廷を乗っ取って奈良・平安朝を作り完成させ、ここに第2種原住民(平氏)が誕生したのである。そして彼らは自らを公家と名乗り、第1種原住民(源氏)を地家(ぢげ)ないし百姓・山賊(さんが)・庶民(くさびと)などと呼び徹底的に弾圧し搾取し差別した。ここから日本における朝鮮人差別の元が生まれたと思われる。したがって日本人の朝鮮人差別は明治以降に始まったものではなく、1,000年以上の歴史を持っているのだ。

その後も中国大陸や朝鮮半島からの移民が住み着き日本原住民と融合して日本人の原型は完成した、のではないだろうか。

第1種原住民にしても第2種原住民にしてもほとんどの日本人は血統や血筋を遡っていくとどこかで天皇家にたどり着くのです。
天皇家が万世一系というのは真実かどうか疑わしい点はあるものの、錦の御旗には逆らえないといって恩のある徳川家を裏切ったり、天皇陛下のために命を投げ出して国体を守れといわれて「はいはい」とおとなしく従って戦争をしたりしたのではないだろうか。

現在でも天皇家を愛してやまないのは、日本国民の血の中に天皇家は「わがお頭」という事が刷り込まれているのではないだろうか、と考えます。

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