うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

今日は読書感想文です

2008年12月30日 | ブックスタンド
「晴れた日は巨大仏を見に」
宮田 珠巳 著  白水社
「ウルトラマンより大きな仏像が、日本各地に存在している! 
その唐突かつマヌケな景色を味わうための日本風景論。
東南アジア旅行の達人として知られる著者による笑える紀行エッセイ」です。
何しろ身の丈40メートル以上の不必要にばかでかくて、そこにある必然性がまったく感じられない「マヌ景」な大仏様を求めて旅をする、という企画の本です。
街中に「ぬっとした」状態で存在する事に意義があり、自然の中に立っているとつまらない、という作者の主観にもとづいた旅行記でした。
また同行した編集者もちょっと普通の感覚の持ち主でないところが、作者と似合っていておもしろい。
作風もちょっと普通でなく、面白おかしく読み進められる頭を使わなくてすむ軽い本だった。
この本を片手に持って巨大仏巡りウォークをするのも一興かな。

「闘将 福島正則 太閤記外伝」

2008年11月29日 | ブックスタンド
著者:高橋和島
出版:PHP研究所
発行:1996年2月

時代:1573年(天正元年)~1624年(寛永元年)
尾張国の武士・福島正信の養子、母は豊臣秀吉の伯母木下氏の出身。
幼名・市松。
妻:牧野康成の娘
父:福島市兵衛正信
子:正之(養嗣子・姉の子)、忠勝、正利
兄弟:高晴(弟・大和宇陀藩)

秀吉・家康の二人の英雄に愛された男の魅力を描く歴史長編。
秀吉子飼いの桶屋の悴は、己の槍で50万石の大名となり関ケ原では東軍の先鋒を務めて家康にも可愛がられた…。

“秀吉天下取り”の一番槍。
侍になる夢を抱き続け、福島市兵衛の養子に入った桶屋の息子・市松の人生は木下藤吉郎に仕えたことで大きく転回した。
世渡りが上手いわけではない。頭の回転が速いわけでもない。
ただ、愚直なまでの勇猛さと、誇りの高さと己の腕で、激動の時代を生き抜いたのである。
幼い時から秀吉に仕え、播磨国三木城攻め、因幡国鳥取城攻め、山崎合戦などで戦功をあげ三百石。賤ヶ岳の戦では「七本槍」の筆頭として活躍し、五千石。
その後も数々の手柄を立て、秀吉の四国平定後、伊予・今治十一万石を与えられた。
文禄の役にも参加し、尾張・清須城二十四万石を領した。
秀吉没後、家康に従い会津攻めに参陣していたときに石田三成挙兵の報を知り、下野・小山の軍議では率先して家康に尽くすことを宣言。
関ヶ原の合戦では先鋒をつとめ、戦功により安芸・備後四十九万八千石を与えられ、広島を居城とする。

秀吉の遺児・秀頼には忠誠を尽くすが、大坂冬の陣では江戸城に軟禁される。
加藤清正らの死去により次第に力を失う。
江戸時代には豊臣系大名取りつぶし策のもと、広島城を無断で修築したことを口実に、芸備二国を改易される。その後出家して越後国魚沼と信濃国川中島四万五千石に移される。子の忠勝の死去に伴い越後国魚沼の二万五千石を返上。
六十四歳で病没。

「日本の島々、昔と今」  

2008年10月26日 | ブックスタンド
有吉佐和子著 中公文庫刊
内容(「BOOK」データベースより)
領有権問題、日韓大陸棚紛争、二百カイリ漁業水域など、島国の日本にとって、海はそのまま国境としての火種をはらんでいる。厳して自然条件の中で、日々それらの問題と真っ向から対峙して生きる離島の人々の姿を、北は焼尻・天売島から南は波照間島まで、現地に飛んで取材した迫真のルポルタージュ。

感想
実は小学生の頃に読んだ深海冒険SF小説が60歳ちかくになる今でも頭から離れず、その舞台となっていたトンガ王国に行ってみたいと今でも思っています。
だからこのような離れ小島を主題にした書籍は大好きです

昭和の時代に書かれた著作であり、この当時としては名前も知らないような離島の歴史には、かなり興味をそそられました。
ほんとによく調べられていて、有吉さんの書く歴史の説明はとても分りやすい。離島にとても憧れて、行ってみたいと思った。

私も沖縄の中でも特に屋久島と与那国島、そして沖のエラブ島に行ってみたいなと思っています

チベットを馬で行く

2008年09月23日 | ブックスタンド
渡辺一枝著 
内容(「BOOK」データベースより)
チャンタン高原をぐるうっと馬で行ってみたい。車の速度ではなく、もっとのんびりゆっくり、辺りのすべてを感じながら…。ときに祭りを楽しみ、ときに公安警察に腹を立て、おりにふれて家族に思いをはせた4000キロの旅。半年近くの長期間・馬で・女性が、の3つの「初」をいともしなやかに駆け抜けた渡辺一枝のチベット紀行。

感想
チベット高原を半年かけて馬で旅する間に、著者と母親、そして著者と娘との関係が何度も回想されます。それは母親と信頼関係を結ぶに至らなかったこと、幼い娘に高圧的に接した苦い思い出など、自分自身にも思い当たる事がたくさんありところどころ泣きました。
旅は日々淡々と続いて行きます。
チベットの自然も心なごませてくれます。

「日本人のルーツはユダヤ人だ」

2008年08月25日 | ブックスタンド
小谷部全一郎著 たま出版

噂として出てきてはいつの間にか消えていく「ユダヤ人と日本人の共通性」。
古代(原)日本人と古代ユダヤ人の風俗・習慣・言語に関して非常に似通ったところが多い、という事は良く聞きます。
日本の歴史書として名高い「古事記」「日本書紀」をユダヤ語で読むと理解できる、ということも聞いています。

ユダヤの失われた10支族の1つが日本人ではないかという説もあります。
しかし、移動ルートが謎だったのです。
シルクロードや塩の道の他、インドにもアジアやミクロネシアルートにも古代ユダヤの痕跡がみつからなかったのです。
数年前に、失われた古代ユダヤの10支族にうちの1つがタイ(だったと思う?東南アジアなのは確か)の奥地で見つかり、彼らが古代ユダヤ人に1支族の末裔であることが確認され、イスラエルに向え入れられたということをTVで放送していた。

これで移動ルートの1つが解明されたことになる。
インドを経由してアジアに至っていたのだ。アジアから台湾や沖縄を経由して日本にユダヤ人が移動してきたのかもしれない。

現代の日本とイスラエルの間でも、風俗・習慣・言語に関しては良く似ているところがありイスラエルから日本に来た留学生や観光客が驚いている。といわれているところから、日本人のルーツはユダヤ人だという通説が出てきてもおかしくないらしい。

ただし、ここで言う日本人は現代人の主流を占める朝鮮や中国からの帰化人ではなく、それ以前に日本に住み着いていた原日本人というべき出雲族・蝦夷族・隼人族と呼ばれていた人たちであろう。

著者は昭和16年(1941年)に亡くなっている。したがってこの著書は元々は文語体に近い文章であったと思われます。それを50年後の1991年に初版を発行しているのだから、たぶんご遺族の誰かが口語体に書き直し出版されたのだろうと私は想像しました。
明治生まれの著者に皇国史観が入っているのは仕方ないとはいえ、ここまで厳密にユダヤ人と日本人の共通点をあげて、日本人のルーツを書き上げているのには頭が下がります。

日本人は失われた9支族の1つ乃至は2つの民族の複合体ではないかと思われる、という結論でした。


だけど、私は日本人がなぜキリスト教に馴染まないのか?ということが不思議でならない。
私自身も仏教徒でありキリスト教徒ではない。
もしも古代日本人がユダヤ人の末裔ならば、もっとキリスト教が普及してもいい素質を日本人は持っていてもいいのではないだろうか。

誰かこの点について解明してくれないだろうか

田舎暮らしをしてみれば

2008年08月10日 | ブックスタンド
林 えり子著 集英社文庫刊
内容(「BOOK」データベースより)
生粋の江戸っ子である著者が、長野県佐久市の内山に、土地を買い、家を建てた。都会人が別荘をもって、優越感にひたるのとは違って、故郷を追われた敗者復活戦との意気込みであった。しかし、信州の自然に魅せられ、地元の人々に、ぞっこん惚れてしまった著者。貯金に励み、家作りにつぎこんだ。満天の星のもとに佇むわが家を思い、目頭を熱くする。「田舎」暮しの魅力、喜びをユーモラスに描く。


感想
三代以上続く生粋の江戸っ子である著者も、 子どものころから田舎に憧れ、とても田舎が欲しかったそうです(私も同感

本書は、そんな著者が、信州(長野県)に物件を見に行き、土地を買い、 家を建て、自然にふれ、地元の人々と接し、どんどん田舎に傾倒していく経過を、 つぶさにレポートしています

楽しいことばかりでなく、悲喜こもごもが書いてあるので、読むと田舎暮し気分を味わえます

家作り、庭造り、米騒動、夜這い、講、広がる自然、血縁地縁、村八分、 農業、有機栽培、人材育成・・・。
行間から、田舎の空気が漂ってきますよ


私にも、田舎らしい田舎がありません
両親の実家が茨城県にありますし、親しくしている従兄弟も何人かいます

でも学生時代、夏休みになると田舎から上京してきている同級生達が田舎に帰って過ごしてきた様子を聞くたびに、うらやましかったものでした

このころから田舎っていいよなぁ、って思ってしまっていたのかも知れません

だが、もしも田舎暮らしをしなければならなくなったら、雪の降り積もる地方にだけは避けて家を構えるつもりです

雪に埋もれた生活に私は堪えられないと思います

「聖徳太子の正体」

2008年07月25日 | ブックスタンド
小林恵子著 文芸春秋刊

この本の内容は異色でした。
われわれ日本人は「聖なる徳を持つ太子」として神か仏のように聖徳太子をあがめている。
仏心篤き聖人聖徳太子、しかしその実態は海を渡ってやってきた騎馬民族・突厥の英雄、ジンギスカンのご先祖様かもしれないモンゴルから流れ着いた国王「達頭」(名前)であり、推古天皇の摂政ではなく倭王であった。
東アジア史研究の成果が浮びあがらせた聖徳太子の真実だったと結論づけている。

著者は広く日本、中国、朝鮮半島の古文書から引用して推理をはたらかせて聖徳太子は「英雄は海を渡ってやってきた」人物である事を証明しようとしている。

小林先生の努力と書かれた内容には敬意を表するし、歴史的事実かもしれないが、私にはこの説をそのまま素直に受け入れることはできそうもない。

私的にはやはり聖徳太子は聖人であったほうがロマンがあっていいと思う。

三国志 孔明死せず

2008年06月15日 | ブックスタンド
伴野朗著

内容(「BOOK」データベースより)
あの、五丈原で孔明は死ななかった! 劉備の遺託を受けた孔明は、神算鬼謀、魏への反撃に起つ。最強の間諜集団「臥龍耳」を従え、漢王朝再興に必死の策をめぐらす・・・・。病に倒れることなく、孔明を存分に活躍させたら歴史はどう変わったか? 「三国志」愛読者の永遠の夢を実現した、”奇想・三国志”。


感想
 通説の三国志では、諸葛孔明は第五次北伐のときに五丈原で病死しています。
そして「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という有名な言葉を生み出しました。
ところが、本書では華佗の弟子が孔明の病を除いてしまいます。
孔明が死んだという噂を流して仲達が兵を起こして攻めたとき、孔明率いる蜀軍が反撃して魏軍をうち破り漢皇室を再興してハッピーエンド。いやはやなんともアメリカンストーリー的。

歴史マニア向けにするならば、前置きや登場人物紹介がしつこすぎます。
一般向けにするならば、架空の登場人物やifの描き方に説得力がないし、人間味が薄過ぎます。
なんとも中途半端な空想小説でした

蝦夷地別件(上・中・下)

2008年05月25日 | ブックスタンド
船戸与一著 新潮文庫刊

内容(「BOOK」データベースより)
時は18世紀末、老中・松平定信のころ。
蝦夷地では、和人の横暴に対する先住民の憤怒の炎が燃えあがろうとしていた。この地の直轄を狙い謀略をめぐらす幕府と、松前藩の争い。ロシアを通じ、蝦夷に鉄砲の調達を約束するポーランド貴族―。
歴史の転換点で様々な思惑が渦巻いた蝦夷地最大の蜂起「国後・目梨の乱」を未曾有のスケールで描く、超弩級大作。

感想
『蝦夷地別件』には、18世紀末、北の大地で血とプライドを守るために立ち上がったアイヌの蝦夷地最大の蜂起「国後・目梨の乱」の裏に蠢くロシアの策動、江戸幕府の謀略、松前藩の姦計が極めて巧妙なプロットで描かれている。
過酷な労役を課し、手当たり次第に女を奪い、理不尽な取引を強要する。
圧倒的な力の差を背景に傍若無人に振る舞う和人から北の大地を取り戻すため、その手段を求めてアイヌは海を渡る。
商人と組み、蝦夷地が生み出す利権を独占する松前藩。
権益と国防を理由に蝦夷地の直轄化を謀る江戸幕府。
松前を支えるひとりの志士は体制死守のために手段を選ばず奔走し、幕府が放ったひとりの間諜は指令を果たすため、自ら導火線と化す。
アイヌに接触するポーランド人。
アイヌからの搾取を強める松前藩。
鎖国体制の綻びに危機感を募らせる幕府。
そして、鬱積した憤懣を滾らせるアイヌ。

この物語は、歴史の闇に葬り去られた一民族の最後のインティファーダが刻まれた詳細なドキュメントであり、また、有史以来の民族淘汰の歴史に絡む大国・権力の干渉の過程を記したひとつのテキストでもあるのだ。

定年ゴジラ

2008年04月24日 | ブックスタンド
重松 清著 講談社文庫刊

内容(「BOOK」データベースより)
開発から30年、年老いたニュータウンで迎えた定年。途方に暮れる山崎さんに散歩仲間ができた。「ジャージーは禁物ですぞ。腰を痛めます。腹も出ます」先輩の町内会長、単身赴任で浦島太郎状態のノムさん、新天地に旅立つフーさん。自分の居場所を捜す四人組の日々の哀歓を温かく描く連作。「帰ってきた定年ゴジラ」収録の完成版。

感想
会社員の定年退職後の生活をコミカルにうまく書いているが、何かわびしさを感じる。

定年離婚の話、二世帯住宅の嫁と姑のもめ事の話、娘の交際相手が家族持ちの話、かわいい孫からおじいちゃんの仕事は「ぶらぶらしている」といわれ ショックを受ける話などなど、侘しくなる。

しかし、今の言葉で言うと「くぬぎ台」で生活している人たちは、人生での 勝ち組の人たちである。
主人公の山崎隆幸さんの中学時代の同級生の岸本忠義さんが、突然訪ねてくる。
岸本は仕事を転々としている人生の負け犬である。 その岸本が感じるニュータウン「くぬぎ台」のイメージは、人生に勝った人間 だけがここに住める場所で、途中で負けた奴は出ていかなければならない。
ここはいい街だけどつらい街であると素直に感想を述べる。

勝ち組・負け組みという言葉、では私が住んでいる町はどっちに属するのかなっと考えた時厳しい現実を感じた

人は、自分の生きている場所で、前向きに努力しながら、死んでいくしか できないのであろうと思う。

趣味や自分の楽しみのために悠々自適の第二の人生を過ごせる人は、ほんの一握りの人たちだけであろう。

定年退職によって、それまで仕事に追われ、時間に追われ続け、ただ時間だけがむなしく過ぎ去る生活からは解放される。
まずは、それだけでも十分幸せであると感謝しなければならないと改めて感じたのが、この本を読んだ私の素直な感想である。



題名の「定年ゴジラ」の「ゴジラ」とは何ぞや?というコメントを頂きましたので解説させて頂きます。

本文中に、「くぬぎだい団地」の設計段階の模型を、ゴジラのごとく男4人でふんずけてぶち壊すシーンがあります。
その破壊の様がまるでゴジラが東京の町をぶっ壊すのにそっくりだったことから命名去れました

抱腹絶倒まちがいなし

2008年03月19日 | ブックスタンド
「女二人のニューギニア」 
有吉佐和子著 朝日新聞社刊

感想
愉快・痛快・抱腹絶倒 
この形容がぴったりな1冊でした

なにしろとっても面白い!
読みながら笑いがこみ上げてきます

前半は、うっかりとんでもない所へ来てしまったことを延々と愚痴ること、愚痴ること

たしかにアップダウンのきつい山道で、ジャングルの中を長時間歩くのはさぞ大変であったろうと思うが、それより、始終虫刺されに苦しめられ、痒くて我慢ができないという内容の方がおぞましい

描写力が優れているから、痒さが身に迫ってくる!
また、途中でとうとうダウンしてしまい野豚が棒につるされているがごとくに有吉さんが運ばれていく場面は、目の前に見えるようで読みながらゲラゲラ笑ってしまいました

それにしても、こんなところで研究生活を送れる、畑中幸子氏とはすごい人だ

ピジン英語も面白くて、覚えてマネしたくなった。

また有吉さんが、どうやらネイティブの酋長に見初められてしまったくだりも傑作でした

帰国してからの回想も身につまされるようでした。

有吉さん独特の節回しでとにかく笑えて楽しい一冊である

北海道田舎移住日記

2008年03月05日 | ブックスタンド
はた万次郎著 集英社文庫刊

内容(「BOOK」データベースより)
東京を引き払い、北海道・下川町に家を借りた。崩壊寸前だが一軒家、しかも家賃は東京の青空駐車場よりも、いやひと月のタバコ代よりも安い!愛犬ウッシーとともに、水道もウンコも凍る零下二十度をしのぎ、ヒグマを警戒しつつ裏庭で山菜を採る。『ウッシーとの日々』で人気の漫画家「はた万」こと、はた万次郎が綴る自由で不便で爽快な田舎暮らし日記。

感想
はた万次郎氏は漫画家ですが文章も面白かったです
北海道出身なのにIターンして北海道に移住してるし(笑)。
東京に見切りをつけて北海道へ。私だったら沖縄かな(まだ行ったことが無いけど東京より温かいから)
崩壊寸前でも一軒家、家賃3.500円(駐車場付き)、気楽なマイホームで厳しい大自然とともに生きる日々を綴った快適生活記
自由であるが不便だけど、爽快である田舎暮らしに乾杯!
変にまじめな田舎暮らしの本よりずっと自然体でおもしろいです
読後感の爽快な田舎暮らし日記でした

チーム・バチスタの栄光

2008年01月29日 | ブックスタンド
海堂 尊著 宝島社刊
内容(「BOOK」データベースより)
東城大学医学部付属病院は、米国の心臓専門病院から心臓移植の権威、桐生恭一を臓器制御外科助教授として招聘した。彼が構築した外科チームは、心臓移植の代替手術であるバチスタ手術の専門の、通称“チーム・バチスタ”として、成功率100%を誇り、その勇名を轟かせている。ところが、3例立て続けに術中死が発生。原因不明の術中死と、メディアの注目を集める手術が重なる事態に危機感を抱いた病院長・高階は、神経内科教室の万年講師で、不定愁訴外来責任者・田口公平に内部調査を依頼しようと動いていた。壊滅寸前の大学病院の現状。医療現場の危機的状況。そしてチーム・バチスタ・メンバーの相克と因縁。医療過誤か、殺人か。遺体は何を語るのか…。栄光のチーム・バチスタの裏側に隠されたもう一つの顔とは。


感想
久々に引き込まれるオモシロさを持った推理小説に出会いました。

医療ミステリーという枠組みの中でも堅苦しさが無く、とっても読み易い。
成功率100%だった或る手術が、立て続けに3度術死という最悪の結果を招く。そこには医療ミスを凌駕するある秘密が隠されているのではないか・・・。大学病院の院長は院内のアウトロー的存在の主人公に極秘内部調査を託す。
登場人物の個性が一人一人際立っていました。中でも白鳥は強烈で、田口との2トップで聞き込み調査を進めて行く場面は見所満載。
探偵役の2人のキャラクターの書き分けがよくできていて うまく役割分担ができています。
さらに手術描写がリアルで且つ繊細さを持っている。
面白い場面では徹底的にコミカル。シリアスな場面はキュッと締めるというメリハリが利いている。

推理小説好きで色々な小説を読んできたので、小説の半ばまで読めば大体犯人が絞り込める自信のある私ですが、この小説は最後まで犯人が解らなかった。ミステリーとは基本的にまず事件が起きて犯人探しがはじまる。一体誰が犯人なのか。犯罪の手口は何なのか。どうやって被害者を加害者は殺したのか。そして犯人の動機は何なのか。これらを読者として探り当てるのがミステリーの醍醐味であるはずだ。しかし本書は違う。まず登場人物が極めて限定されている。この中に犯人は必ずいる。これだけ登場人物が限られていて、一体どうやって落ちにもっていくのか。途中から読み手の関心はこっちの方に移っていく。

最後の最後で医師のというか医療現場での「生」と「死」の本音と建前について、医師である著者の考え方が述べられているのだろうと思われます。
ここ最近では滅多に御目に掛かれない素晴らしいミステリー作品でした。

「斑鳩宮 始末記」

2008年01月08日 | ブックスタンド
黒岩重吾著 文芸春秋刊
内容(「BOOK」データベースより)
調首子麻呂は百済からの渡来系調氏の子孫。文武に優れ、十八歳で廏戸皇太子(聖徳太子)の舎人になった。完成間近の奈良・斑鳩宮に遷った廏戸皇太子に、都を騒がす輩や謀叛人を取り締まるよう命じられた子麻呂は、秦造河勝や魚足らとともに早速仕事に取りかかるが、その矢先、何者かが子麻呂の命を狙う。

感想
7編のミステリー小説集。
まだよく解明されていない飛鳥時代にまで遡るミステリーがあったとは思いもよりませんでした。
主人公は、厩戸皇太子(聖徳太子)の参謀格の秦造河勝(はたのみやっこ・かわかつ)に仕える調首子麻呂(つぎのおびと・ねまろ)。
聖徳太子から、発生した事件の探索を任命された舎人の長です。
ただ、直情決行型の男子ですから、裏の人情・機微まで窺うのはちと荷が重い。そこで貴重な補助者となる部下が、むっつりスケベだが手足となって良く動く魚足(うおたり)です。

ミステリーとしての面白さは、それ程ではありません。
ちっともおどろおどろしくもないし、事件の背景そのものが至極簡単なのです。でもこの頃の時代は人間関係もこの程度だったのかな、と納得しました。
むしろ、飛鳥時代の庶民や下級官僚の生活ぶりが垣間見れたり、当時の人間関係や男女の関係が面白おかしく書かれていて楽しんで読める一冊でした。
また、聖徳太子が政治の革新を志していた時代の雰囲気やその苦悩などがなんとなくわかるような気がします。

ミステリーというより、古代史の外史と言う方がふさわしいのではないでしょうか。

「日本原住民史」 

2007年12月27日 | ブックスタンド
八切止夫著 朝日新聞社 1972年刊 
日本人のルーツ
これまでの常識からすると日本原住民は、いつのころか分からないがオーストラリアや東南アジア付近に住んでいた民族が西南地方に漂着し、しだいに近畿にまで進出したが、後に韓国や中国からきた倭人に追われて、今では北海道の一部にだけ残っているアイヌ民族である、と言うものです。

しかし、これは真実だろうか。
私的にはこれは違うのではないかと思っています。
紀元前、東南アジア方面からくり抜き舟を使って漂着した人々や中国大陸の戦乱を逃れて日本に亡命してきた人たちや朝鮮半島に居住していた人々が九州や山陰地方に流れ着いた人々、が混血して縄文人と呼ばれる古代人となり、九州西南地方から山陰・近畿地方を通り関東あたりまで日本中に散らばっていった。彼らの頭目にはイニシャルに「イ(伊)・ヤ(八)」のつくものが多かった。例えばイザナギとかヤマタの大蛇とか。そのほかに「エ・ケ・セ・テ・ネ・」がついていた人が多かったようだ。
時を同じくして中国東北部から中東系の民族(モンゴル系とは明らかに顔立ちやスタイルが違う)が樺太から日本列島に入りこみ北海道から東北地方に住み着き関東地方あたりまで南下してきてアイヌ人と呼ばれるようになったのではないだろうか。そして上記の人々が混合して古代日本人となったのではないかとおもう。

日本人のルーツである第1種原住民以前の古代人がどこから来たのかは、現代日本人の遺伝子を徹底的に調べてくれる科学者が現れるまでは分からないのだろう。
その後、朝鮮半島を通って日本にたどり着いた蒙古の騎馬民族が朝鮮民族と組んで古代人を討伐したり統合させたりしながら大和国家(百済・新羅派)を作り上げていった。その当時の日本はおそらく文明の進んだ朝鮮半島の国家の植民地であったろう。そしてこのひとたちの頭目は頭文字「ア(天)・キ・シ・チ・ニ」がつき、古代日本原住民と融合して第1原住民となった。神話にでてくる大和朝廷初期の頃である。即ちイニシャルにア・イ・エ・キ・ケ・シ・セ・チ・テ・ニ・ネ・ヤなどのイニシャルにつく人々が日本原住民の末裔ではないだろうか(明治以降勝手につけた苗字は除く)。

さらにその後に中国大陸から日本に桃源郷を感じ取り「藤原(とうげん=桃源)氏」(唐派)を名乗った中国系民族が多数移住してきて第1種原住民を北へ北へと駆逐しつつ大和朝廷を乗っ取って奈良・平安朝を作り完成させ、ここに第2種原住民(平氏)が誕生したのである。そして彼らは自らを公家と名乗り、第1種原住民(源氏)を地家(ぢげ)ないし百姓・山賊(さんが)・庶民(くさびと)などと呼び徹底的に弾圧し搾取し差別した。ここから日本における朝鮮人差別の元が生まれたと思われる。したがって日本人の朝鮮人差別は明治以降に始まったものではなく、1,000年以上の歴史を持っているのだ。

その後も中国大陸や朝鮮半島からの移民が住み着き日本原住民と融合して日本人の原型は完成した、のではないだろうか。

第1種原住民にしても第2種原住民にしてもほとんどの日本人は血統や血筋を遡っていくとどこかで天皇家にたどり着くのです。
天皇家が万世一系というのは真実かどうか疑わしい点はあるものの、錦の御旗には逆らえないといって恩のある徳川家を裏切ったり、天皇陛下のために命を投げ出して国体を守れといわれて「はいはい」とおとなしく従って戦争をしたりしたのではないだろうか。

現在でも天皇家を愛してやまないのは、日本国民の血の中に天皇家は「わがお頭」という事が刷り込まれているのではないだろうか、と考えます。