うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

退院して完治宣言

2005年08月31日 | 亀の甲より年の功
8/19(金)
朝の診察が終了した時点で先生から正式に退院許可が出ました。
でもまだガスが抜けきっていません。下向きになると視野の半分くらいの大きさです。
13:30ころ妻が迎えに来てくれました。
我が家に帰れるぞ!!!ルンルン

8/24(水)
きのうまであったガスの球が、今朝は完全に消滅していた。これで完治です!!


8/31
おかげさまをもちまして7月31日に網膜剥離を患いましてからの闘病記も本日にて終了させていたがきます。

M病院のブラック・ジャック先生から完治した、といわれました。

これを読んでいて頂いた皆様、私のつたない文章にお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。

人間、体のどこが具合悪くて大変ですが、私の場合は幸いにも命にかかわるような病気ではありませんでしたが、家族や多くの友人・知人の励ましのお陰で元気を取り戻せました。

今回は網膜剥離という失明にも至りかねないような事障を頂きましたけれど、病気に負けることもなく明るく先に希望を持って闘病生活ができましたのも、ひとえに家族やIさん、Oさん、そしてご先祖様の皆さまがたのバックアップの賜物です。

皆さんありがとうございました。

これからも精一杯生きてまいります。


退院予定日が決定しました

2005年08月30日 | 亀の甲より年の功

8/17
入院した時に体重と身長を測りました。身長は170.5cmだった。大学生の頃は172cmあったのに1.5cmちじんじゃったよ。

体重は76.0kgだったのが75.2kgになっていた。病院食だけ食べていたら自然と800g減っちゃった。

うれしいことがあります。ジャジャ~ン 退院予定日が決まりました。
今朝の診察の時に先生から「19日に退院予定日にしましょう」といわれました。バンザーイ!!
夕方の診察の時に、明日退院してもいいのだが確実を期すために明後日の退院にしましょう、ということになった。
もう手術の時の傷口は完全に塞がっているから入浴や洗顔、洗髪もすべてO,K,がでました。

昨日廊下側に搬入されてきた循環器系の患者さんは、病気が原因のストレスのためだろうと思いますが、歯軋りがものすごい。夜間寝ている時だけでなく四六時中歯軋りをしています。とってもつらそうです。
36.1度  146-76
35.7度   148-78

8/18(木)
朝の診察後、もう眼帯をはずしても良いと許可が出たので、診察後眼帯をせずに病室まで戻りました。しかし、今日は眼球内のガスが大、中、小、極小の4つに分裂しており、お互いがぶつかリあったりして揺れ動いており、眼の中で上下左右に揺れ動くように見えて船酔いしたような気分になってしまい、気持ち悪くなったので、また眼帯をしてもらいました。明日退院できるかな?
 
2時頃お隣のM君が見舞いに来てくれました。ありがとうございます。なぜか間違えて自衛隊中央病院に行ってしまったそうです。汗を拭き吹き病室に入ってきました。ごめんなさい。でもなんであっちに行ったのだろう?
 夕方部長のKさんが見舞いに来てくれました。山のお話などをたくさんしていただきました。ありがとうございました。

35.8度  150-72
35.5度  140-72


手術後の経過と再手術について

2005年08月29日 | 亀の甲より年の功

8/13(土)
今日は土曜日で本来なら休診日であるにもかかわらず、先生が診察してくれた。
2階の眼科外来診察室まで呼ばれた。清掃中だったにもかかわらず診察していただいた。(なんだか不安だな~)

眼球内の状態は落ち着いているようなので、寝るときはうつ伏せのままだが、起き上がって本などを読んでもかまわない、といわれた。ただし、なるべく顔を45度下向きにしてちょっと右に傾けているように指示された。

今日は弟が見舞いに来てくれました。まさかと思っていたのでビックリです。
今日も娘が来てくれた。本当にありがたいことです。娘というものは本当に頼りになります。これだから娘を嫁にやりたくなくなっちゃうんだよね。
Tちゃんが持ってきてくれたコーヒーゼリーも娘に介助してもらいながら今日食べました。とってもおいしかったです。ありがとう。

8/14(日)
日曜日なのにわざわざ(休日出勤をしてまで)病室に先生が回診に来てくれました。
診察の結果があまり芳しくないらしい。 
どうやら網膜剥離手術の最悪のパターンである10%の中に突入してしまいそうな雰囲気だ。このままだと自衛隊中央病院へ転院し4回目の手術を受けなければいけないのかな。(やっぱり昨日の不安が的中してしまったようだ)

しかし、いいこともあるもので入浴の許可が出ました。ただし、首から上は濡らしてはいけない、という指示はついていました。6日ぶりでお風呂にはいりました。

午後、妻と一緒に義姉が見舞いに来てくれました。
相変わらず快活でお話をしているだけで気分がスッキリしてきます。
私の気持ちが分かっていたのかお煎餅をお見舞いに持ってきてくれました。とっても食べたかったので昨日妻に買ってくるようにお願いしておいたんだ。

明日の朝の診察結果が不安だ
35.6度  148-82
35.2度  144-78

*絶対安静

2005年08月28日 | 亀の甲より年の功
8/11(木)
今日は1日様子を見ます、といわれた。絶対安静のままなので夕べはほとんど眠れなかった。

看護士さんの話だと先生はあまり病室に来て回診はしない先生だそうだ。
しかし、私のところには朝も昼も夕方も、1日に3回も病室に回診に来てくれた。もっとも絶対安静を言い渡されている患者が、外来診察室に行ける訳ないけどね。

夕方の3回目の回診の際に、先生の予想しているほどに接着がうまくいってないらしく、2回目の手術をするそうだ。
この手術は入院前に言われた自衛隊中央病院での手術ではなく、M病院で実施できるそうだ。内容は眼球内に空気と特殊ガスを注入して眼球内を膨らませて接着する手術だそうだ。

食事がまずい。食べる気もしないし、食べた気もしない。
検温  36.2度       148-78
     35.6度       148-82

8/12(金)
 朝と午後、先生の回診があった。15:30になると手術室が開くのでその後で手術をする事に決定した。このときに絶対安静の指示は解除されました。

そこでチューブをはずしてもらって、トイレに行って小便をしに行きました。
初小便がオチンチンから放出される時、いたたた・・・・   
何でこんなに痛いの? 
そうだ そういえばチューブを挿入する時も、とっても痛かった事を思い出したよ。 
チューブを入れる時も、取った後もこんなに痛いものなのだ!ということを学びなした。

この日先生は4例の手術をしたそうです。そこで予定時間が遅れてしまいました。
 その後16:00ころになって看護士さんが迎えに来てくれました。今回は車椅子での移動でしたが、手術室前に到着したところ清掃中なので5分間手術室前で待たされた。

16:15に手術室に入り16:30より手術が開始された。今回は先日経験した窒息しそうな呼吸困難は1回だけで、後はチクチクと刺すような痛みが数回あっただけで一昨日のようなつらさはなかった。

 しかし、手術が終わってから本当の苦しさがまっていた。
 今度は、今までとは逆で、うつ伏せでいなければならないのだ。
車椅子に載せられて手術室から病室に帰るまで、頭を低くしてうずくまった状態いなければならない。その間気持ちが悪くならないようにするために目を瞑っているように指示された。

 病室に帰ってみるといるはずの娘がいない、どこに行ってしまったのだろう?
 どうしてしまったのか心配だったけれど、安静にして動いてはいけないという指示が出ているからうつ伏せのままじっとして待っていたら20分くらいしたら戻ってきた。看護士さんとの連絡不十分が原因だったようだ。

 食事も今回はうつ伏して食べなければいけないが、寝たきりの状態で食べるよりはましである。久しぶりで食事をした、という気分になれた。
 食後は胸と腹の部分に枕を当てて高くして、うつ伏した状態で頭を低くした姿勢で安静である。 

 夜、息子が彼女と妻を連れて来てくれた。せっかくTちゃんが来てくれたのに顔が見れなくて残念だった。
 
 お見舞いありがとう。
 コーヒーゼリーありがとう、今日は食べられないけど勘弁ね

35.8度 152-98
36度   148-86

表彰されるんだって

2005年08月27日 | ボランティア 
 八雲住区住人会議が主導して運営されている災害時対応委員会が目黒消防署から表彰されるそうです。
 
目黒区内には60以上の町会があり、それぞれが市民消火組織を持って防災活動を活動されているのでしょう。
 
 まだ立ち上げて2年しかたっていない委員会ですが、目黒区や目黒消防署に認知された、ということでしょうか? 
 それに、この委員会は防災組織でなく第1次避難所の運営をスムーズに実行するにはどうしたらいいかを住区内の各団体で協力して考えていこう、という趣旨の団体なのです。
 防災組織とは趣が異なっているのだけれど、表彰なんてされていいものなのだろうか?
 
まあ、いいか。こういう団体も目黒区内にあるのだ、とアピールできるのなら。

(写真はみんなで小学校にある防災倉庫の中を実地検分しているところです)

いよいよ本日手術です

2005年08月26日 | 亀の甲より年の功
M病院から発行された「手術診療行為説明書」
1)病名
   網膜剥離
2)診療行為
   網膜復位術
3)必要理由
   網膜剥離が持続した場合、剥離した網膜の機能が低下し視力快復が困難になり、未治療の場合最悪失明の可能性があるため。
4)方法の概略
   網膜にできた裂け目の周囲に冷凍凝固を行い炎症を起こし、裂け目の周囲の網膜を後の組織と癒着させ、裂け目から液が網膜下にいかないようにする。癒着しやすいように眼球の外からシリコンのあてものを置きます。網膜下液が多くて裂け目が後の組織と着かないようなら眼球の外から穴を開け下液を減らします。
5)合併症・実施後の身体障害の程度
   術中は痛む事もあります
   術後数日痛みや違和感が残る事があります
   眼の腫れ、充血が2から3週間残ります。
   術後数日は安静が必要です。その後も激しい運動は数週間控えていただきます。
6)別の手段
   硝子体手術
7)実施しない場合の予後
   網膜剥離が広がらなければ、部分的に見えない部分があるにとどまりますが、広がるようでしたら失明に至ります。
8)一般的な術後経過
   術直後は術前より視力はやや低下する場合があります。
   網膜剥離を起していた期間にもよりますが、数ヶ月から数年かけて視力が徐々に回復します。
   術後光凝固(レーザー)を追加する事あります。
   網膜が復位しない場合は再手術が必要になることがあります。


8/10(水)
 生まれてはじめて.ストレチャーに乗せられて、9:15頃手術室に入りました。

 肩の付近と目の周りに局所麻酔の注射を打ち、眼球の洗浄を済ませて9:30より手術になった
 
以前白内障の手術をここM病院で受けたが、今回の手術はそれとは比べものにならない位大変な手術である事を実感させられた。

 まず手術にかかる時間である。白内障手術は10~20分くらいで終わったけれど、今回は2時間以上もかかったのだ。実に白内障手術の10倍くらいもかかったのだ。

 治療内容ももちろん違う。
 白内障手術では痛みなどほとんど感じなかったけれど、今回は我慢しきれないような痛みが何度も襲ってきたし呼吸できなくなってしまうほど強い痛み(息苦しさ)も何度も経験した
その痛みが襲ってくると先生は手術を中断して痛みが治まるのを待つのです。手術を多数経験している先生だから患者の痛みが理解できるのですよね。

 視神経を引っ張り出して、接着手術をするのに息ができなくなってしまうなんてことが考えられますか? 
 目の神経の手術をしているのに、呼吸困難を引き起こすなんて信じられないけれど本当なのです。更に、接着手術が終了した後、接合した外側にシリコンを挿入して剥離してしまったたところを安定させるらしい。

 そんなこんなで手術が終了したのは11:30を過ぎていました。
 痛かったし、苦しかったしサンザンな手術でした。こんな事は2度と経験したくないよ~ これからは目を大事にしなくっちゃ。
 我慢できる範囲内の痛みは最初から覚悟していたからどうという事はなかったけれど、この呼吸困難をともなう痛みはもう勘弁して欲しいものだ。
 局所麻酔ですから意識は常にハッキリしておりました。
 先生とも会話(?)を交わしつつの手術でした。
以上が手術中の出来事です。

 手術が終わってからも大変でした。
 経験者の話だと手術後はうつ伏せになって寝ていなければいけないと聞いていたが、先生からの指示は仰向けに寝て絶対安静! 
 顔の位置だけでなく体の姿勢も動かしてはいけないのです。これもとっても苦しいよ。
 怪我などをしていて意識不明の状態で絶対安静ならいざ知らず、完全に意識のある人間が絶対に体を動かしてはいけないという事は、拷問に近いものがありますね。

 食事のためにベッドを立てる事も禁止されていますので、寝ながらの食事となります。
 ご飯が食べにくいので御握りにしてもらったが、なにしろ物が喉を通らない。妻に介護してもらいながらの食事だったがおいしくも、まずくも、なく何も感じない食事だった。
 いっそのこと点滴で栄養を補給してもらったほうが良かったかもしれない、と感じた。

 排尿にも困ってしまった。
 おしょう水(おしっこ)は生まれて初めてチューブをオチンチンに差し込んでバッグに溜める方法をとった。
 大のほうはどうしようかと思ったが、うんよく便秘になってしまっておむつを当てなくて済んだのは不幸中の幸いだった(笑い)

検温  35.8度  血圧  178-78
     36.5度       148-82

*入院手順の決定

2005年08月25日 | 亀の甲より年の功
8/07(日)
あははは・・・・   視野がとうとう1/5しかなくなっちゃったよ。
早く手術をしてもらわないと失明状態になっちゃうかな。
もともと視力のないほうの左目だから落ち着いていられるけれど、これが良く見えている右目だったらあわてているよな。


8/08(月)
朝の9:30頃に家を出てM病院へ向った。
左目の視野はほとんどなくなってしまった。
息子が車を出して送ってくれる。さすがに長男だ。いざというときには心強い行動をしてくれる。

診察の結果9日の午後に入院し、10日の午前中に手術と決まった。
先生のカンファレンスがあり、10日の手術の結果次第では再手術もありえるとのこと。
その際には、M病院には手術用の設備がないので自衛隊中央病院に転院することになるそうだ。しかし、その手術を受けるのは網膜剥離の手術を受けた患者の10%程度だそうで、90%の患者は再手術まではいかずに完治するそうです。


8/09(火)
12:20頃タクシーにて我が家を出発した。無事にM病院に着き入院手続きを済ませました。

南棟404号室。6人部屋で入って左側、真ん中のベットだった。
左隣、窓側の人も今日の午前中に入院されたらしい。
右隣、廊下側の人は明日自衛隊中央病院に転院されるらしい。
前列の廊下側の人は私と同じく眼科の患者さんらしいが明日退院するようだが何かモット入院していたいみたいな様子です。なぜ退院したくないのかな?
真ん中の人はリンパ腫の治療のために定期検査入院中らしい。
窓側の人は循環器系の治療中らしい。
入院時検温  35.9° 血圧148-88
夜の検温   36.3°   140-88

いよいよ明日手術です。今夜は興奮しちゃって眠れるかな?

発病から入院決定まで

2005年08月24日 | 亀の甲より年の功
2005/7/31(日)
朝起きたとき、左目の左下側が少しだけ真っ黒にまっているのに気がつきました。
扇を開いたような感じだった。気にはなったが日曜日だからそのままにしておいた。
自覚症状はこのことだけ。痛くも痒くもない。
これが網膜剥離の始まりでした。


8/01(月)
やはり黒い部分が見える。気になって仕方がないので、午後になってからM病院に電話をかけた。
今日はかかりつけのブラック・ジャックのニックネームを持つ先生の往診日なはずだ。
電話で症状を伝えたら、4時頃になれば本日の手術が終わる予定だからその頃までに来るように言はれたので、区民キャンパス前14:40発のバスに乗り病院へいった。

先生の見立ては網膜剥離ということだった。
すぐ、その場でレーザーを使って接着手術をしていただいた。
この手術の成功率は5分5分であり、患者がどのくらい安静にしていられるかで決まるそうだ。
8月9日が定期健診日だったのでその日に検査に来るように言はれた。
その日までに接着していなければ入院して手術となることを告げられて帰ってきた。


8/02(火) 
黒くて見えなかった部分が半透明になってきたような気がする。
この頃は、半透明の部分は視野の1/4程度もなかったです。


8/03(水)
半透明の部分が薄い茶色のサングラスをかけた様な感じになってきた。
これでいいのかな?


8/04(木)
薄い茶色のサングラス状態が、濃い茶色になってきた。
これってやばいんじゃないの?


8/05(金)
濃い茶色が黒くなってしまった。
更に扇状だったサングラス状態のところにコブ状のものがが追加して、追いかぶさってきたように見えてきたので、M病院に電話を入れ緊急に診察してもらった。

レーザー手術は失敗だった。
入院して手術する事になった。
入院は2週間くらいかかるそうだ。
入院の確認をするために月曜日に打ち合わせをする事になった。

経験者の話によると、手術後はうつ伏せになっていなければいけないらしく、とっても苦しいそうだ。


8/06(土)
ウヲ~  ますます視野が狭くなってきた。全体の3/4くらいしか見えなくなっちゃった。


つづく

病院の窓から

2005年08月23日 | 亀の甲より年の功
11日間入院していましたM病院の病室の窓からの景色です

すぐそばに世田谷公園という、中規模な公園があります。
園内には週末になるとミニSLが運行され、子供たちに喜ばれています

私は、13,14日の週末はベットに横たわっていましたし、第2週目には退院してしまいましたので残念ながら乗れませんでした。(笑い)

ここでは、ミニデイキャンプや芝生の広場で甲羅干しをする人がいたりします。
平日でもけっこう大勢の人たちが楽しんでいます。


本日より再開します

2005年08月20日 | 亀の甲より年の功
8月9日に緊急入院し、皆様がたに御心配をおかけしましたが、おかげさまをもちまして8月19日に退院できました。

無事に手術も成功しました。眼もまだ完全な状態というわけではありませんが、以前と同じくらいの状態となりました。

後は眼球内に注入したガスが自然と抜けていくのを待つだけです。
個人差があるのでいつまでに完全に抜け切るかは分からない、という医師の言葉ですが、ここまで来れば自然治癒力を待つばかりです。

10日以上も入院して、ベッドの上で食っちゃ寝^食っちゃ寝の生活でしたから体がなまってしまいました。
おいおい闘病記などを書いていこうかな・・と思っていいます。
御期待下さい。

お見舞いいただきました皆様、本当にありがとうございました。

追伸
パソコンをまったくいじらない妻は、インターネット(ブログ)を見たといって大勢の人がお店にお見舞いに来てくれた事に驚いていました。

開店時間変更のお知らせ

2005年08月09日 | 亀の甲より年の功
先日書きました網膜剥離。

残念ながらレーザー治療の甲斐がなく網膜剥離の接着に失敗しました。
そのため本日13時までに入院して、明日手術ということになりました。
入院期間は最短で1週間、長引いて再手術が必要な時は2~3週間位になります。

「アート ボックス 紅葉や」は私が入院中、妻が午後から6時頃まで開店する事にしました。

作家さんやお客様に御迷惑をおかけし致しますがお許し下さい。

病院からブログを送ることはできません(私はノートパソコンでなくデスクトップしか持っていません)ので、明日からしばらくブログはお休みします。

退院しましたら闘病日記などを書こうかな、と思っています。

なぜ駒場野公園にバラ園を作る必要があるのか

2005年08月08日 | ボランティア 
何度も書いていますが渋谷WESTさんが設立に向けて一生懸命がんばっています。昨日の署名活動の必要性についてその趣旨を書かれていますので引用させて頂きます。

現在の署名活動は、過去1年近くの積み上げをベースに、その公園の内容の詳細について行政にお願いしようというものです。
現時点では、残念ながら、駒場バラ園のバラを目黒区内に残す必要性について、区としての公共的価値がないとの判断がされているように受け止めているからです。

バラ園を作ることを区にお願いするといえば、大げさなのですが、分かりやすくいうとこんなことなのです。

「チューリップや柳の代わりにバラを植えてください。バラでしたら、駒場バラ園さんが寄贈してくださいますし、管理もバラ会で行います。経費削減の効果があると思います。
ただそのためにはちょっとめんどうなことをお願いしなくてはなりません。造成中の公園用地の一角に仮植をさせていただきたいのです。水道工事を少しやらなくてはなりません。造成中にバラの世話をしに、近所の人たちが出入りします。
でも複数の造園業者の方からそれは可能だと聞いています。全国からも地域社会からも賛同の署名をいただいています。
駒場野公園にバラ園を作る事に反対の声は聞こえていません。ちょっとめんどうかも知れませんがよろしくお願いします。」
 
昨日の新・駒場バラ園設立に向けての署名活動について書かれていますので、ぜひお読みになってください。