うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
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「闘将 福島正則 太閤記外伝」

2008年11月29日 | ブックスタンド
著者:高橋和島
出版:PHP研究所
発行:1996年2月

時代:1573年(天正元年)~1624年(寛永元年)
尾張国の武士・福島正信の養子、母は豊臣秀吉の伯母木下氏の出身。
幼名・市松。
妻:牧野康成の娘
父:福島市兵衛正信
子:正之(養嗣子・姉の子)、忠勝、正利
兄弟:高晴(弟・大和宇陀藩)

秀吉・家康の二人の英雄に愛された男の魅力を描く歴史長編。
秀吉子飼いの桶屋の悴は、己の槍で50万石の大名となり関ケ原では東軍の先鋒を務めて家康にも可愛がられた…。

“秀吉天下取り”の一番槍。
侍になる夢を抱き続け、福島市兵衛の養子に入った桶屋の息子・市松の人生は木下藤吉郎に仕えたことで大きく転回した。
世渡りが上手いわけではない。頭の回転が速いわけでもない。
ただ、愚直なまでの勇猛さと、誇りの高さと己の腕で、激動の時代を生き抜いたのである。
幼い時から秀吉に仕え、播磨国三木城攻め、因幡国鳥取城攻め、山崎合戦などで戦功をあげ三百石。賤ヶ岳の戦では「七本槍」の筆頭として活躍し、五千石。
その後も数々の手柄を立て、秀吉の四国平定後、伊予・今治十一万石を与えられた。
文禄の役にも参加し、尾張・清須城二十四万石を領した。
秀吉没後、家康に従い会津攻めに参陣していたときに石田三成挙兵の報を知り、下野・小山の軍議では率先して家康に尽くすことを宣言。
関ヶ原の合戦では先鋒をつとめ、戦功により安芸・備後四十九万八千石を与えられ、広島を居城とする。

秀吉の遺児・秀頼には忠誠を尽くすが、大坂冬の陣では江戸城に軟禁される。
加藤清正らの死去により次第に力を失う。
江戸時代には豊臣系大名取りつぶし策のもと、広島城を無断で修築したことを口実に、芸備二国を改易される。その後出家して越後国魚沼と信濃国川中島四万五千石に移される。子の忠勝の死去に伴い越後国魚沼の二万五千石を返上。
六十四歳で病没。

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2 コメント

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著者によって (もうヘトヘト)
2008-11-29 15:57:53
この人も評価が分かれる人ですね。
本で読むなら面白いが、家族だったらこんな親父はちょっと困る。
返信する
福島正則 (地理佐渡..)
2008-11-30 07:35:53
おはようございます。

勇猛果敢。この人にはそんなイメージ
を抱きます。ただ、その生涯を考えま
すと、先のヘトヘトさんのように評価
されるかもしれませんね。
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