カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 四旬節第二主日

2009年03月07日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「啓蟄」とは24節気の一つで3月6日頃にあたります。この頃になると風の冷たさが日一日と和らぎ、大地も温かい日差しを浴びてどこかふくらんでくるように感じられます。冬眠していた虫、地虫、蛙、蜥蜴、蛇なども眠りから覚めて現れ始めます。「地虫出づ」ともいえます。このような小さな命の蘇りはイエス様に従った私たちにとって、より大きな出来事の参考になるのではないでしょうか。命のあり様でさえ区別されている人間ですが、聖書によると生き物は全て神様の命を誉めたたえるものになっています。命を評価しないものは神様を拒み、神様にとって大きな痛みになっています。当主日の朗読に思い起こされることは、ただこの真実です。神様は命の主であり人間が生き、罪や死や苦しみから蘇り、豊かに生きるように希望されています。
使徒パウロのローマの教会への手紙 8・31~34
もし年間の主日に第二朗読が独特な課題で進んでいるとすれば、待降節と四旬節における第二朗読は当時の典礼的な思いを深めてくれます。四旬節の間、節制と洗礼式への歩みを強調する朗読の中で、使徒パウロも適切な助言を与えています。まず使徒パウロは神様の観点や思いの中に入り込むように勧めています。そうすれば神秘的な出来事を見出します。私たちに神様が送ってくださったイエス様が私たちの運命と一致して、私たちの罪を取り除き新たな力と豊かな命を与えてくださいます。これは神様の義(慈しみ)と言われています。神様の右に座っておられるイエス様が、聖霊と共に私たちのために執りなしてくださいます。このような真実を前提にして、神様は私たちを罰せられるものではなく、むしろ私たちの代わりにイエス様が死なれたことによって、イエス様と一緒に復活させ、より豊かな命を与えてくださいます。このような出来事は洗礼の儀式で素晴らしく明らかにされています。
マルコによる福音書 9・2~10
イエス様と3人の弟子たちとの一生忘れられない経験が語られています。イエス様と弟子たちがエルサレムに向う途中のことでした。弟子達にはイエス様がメシアであること、また十字架のご受難に向かわれることはすでに分かっていました。しかしまだ理解されていないことは、イエス様の死が大きな喜びにつながることでした。人間にとって言葉だけでいろいろ理解するのは場合によって難しいものですが、実際的な経験によって目と心が一度に開かれる時があります。さて弟子たちが神様に出会ったできごとに注目しましょう。山に登ったこと、そこでイエス様の姿が変わったこと、イエス様の服の白さがこの世のものとは思えない輝く白さであったこと、突然現れた雲のこと、その中からの神様の声などの聖書による表現は、神様と人間の間の神秘的な存在を示しています。その場面に巻き込まれた使徒ペトロは他の弟子たちの代わりにも「ここにいるのは素晴らしい!」と叫んでいます。なぜならその時、弟子たちはイエス様の本来の姿を見ることが出来、今度復活されるメシアである神の子を身近に見つめることができたからです。その時から弟子たちはイエス様の言葉だけを聞くべきだと悟ったのです。
                             モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月の第1と第2の木曜日午前10時から信徒会館で、
 聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」だあります。ご参加お待ちしています。