カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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カトリック山鹿教会

2008年04月19日 | 神父様からメッセージ(C年)
苦難にあった者の詩

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことをするようにと
病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

求めた物は1つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者
であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ

作者不詳の詩
ニューヨーク市立大学のリハビリテーションルームに刻んであった詩です。
J・ロジャー・ルーシー神父の詩として知られています。
ベトナム戦争で負傷した若者の詩と言う説もあります。
渡辺和子シスターがこの詩を日本語で訳し、「領収書の祈り」と題したエッセイの中に、書かれているので「領収書の祈り」とも言われていることがあります。

毎週の一言 1-2

2008年04月19日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

ますます増えてきた数え切れない若葉は薄い緑で、全ての木々を染めています。このような綺麗な景色がカラフルな花でも飾られて、とても穏やかな春と共に、大自然が神様を自分の美しさで賛美しています。すべてのものが心の中に平和を感じながら神様に感謝しています。
復活節の第五主日のメッセージは、自分がどこへ行くのか知らない私たちにとって大きな慰めの言葉になっています。まずヨハネの福音記者の思いによりますと、イエス様がわたし達が失望しないように励まされています。イエス様はこの発言をされた時にご自分の受難の直前でしたが、同時に弟子たちの心を見抜いて、自分との別れによって、弟子達の心を騒がせたりしないように、悩まない、悲しまないように慰めようとします。例えば私たちも、神様がありのままの弱い私たちを受け入れてくださるか、愛してくださるかどうか期待しながら悩んでいる時があります。思い通りに物事が進まない時、又は自分の生き方についてこれで良いかどうか判断しにくい時、神様の哀れみに不満を持っています。けれどもイエス様が「心を騒がせるな!」と言ってご自分の限りのない愛を示しながら、神様の約束された慰めの言葉に信頼を置くように勧められています。
 さてイエス様は私たち一人一人のために、住める場所、永遠にいる場所を準備してくださるとおっしゃっています。その場所の特徴は神様の家であり、皆が集まれる場所です。そしてイエス様がいるところと、私たちが神様に誘われて行くべきところはまったく同じです。イエス様自身がご自分の死によって準備してくださった場所で、今もこれからも私たちと一緒に永遠に生きために、待っておられます。イエス様自身が私たちを迎えにきて、ご自分がおられるところに、つまり神様の懐に私たちを導いてくださいます。
 では神様の家、イエス様が準備されるところへ行くために、どうしたらいいでしょうか。まずそこにつながる道はイエス様自身です。それでイエス様自身が「私は道である」とおっしゃってくださいます。イエス様の姿を見ることにすれば、神様自身を見つめることが出来ます。イエス様のことを深く知ることにすれば神様の心を知ることが出来ます。そのようにイエス様は私たちの「道」です。人間はどんな時代でも、自分の元の姿、本来の姿を探し求めました。人間は自分自身を神様の姿に(神道の鏡の意味を参考にして)写す事によって、自らの素晴らしさを知ることができます。それを人類に教えたのは自らの大きな愛によって人生を捧げたイエス様です。イエス様は人間でありながら神様の姿を写してくださいます。神様として普通の人間の姿、つまり貧しい人、小さい人、弱いものの心を通して自分の姿を見せてくださいます。そのように神様へ導く道であるイエス様は私たちが憧れている真理、私たちの日常生活の命です。                      モヨリ神父

《お知らせ》

†毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、イエス様のたとえ話の勉強会があります。信者でない方でも参加ができます。