カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 四旬節第1主日

2017年03月01日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 岩の上に置かれたキリスト信者の人生は、毎年灰の水曜日で四旬節に入り、復活祭への準備が始まります。四旬節は心の準備の時季であり、初代教会のときから、教会の伝統によって、勧められた方法があります。まず、自分の心の中の人の目がない所で、神様との出会いを求め、神様の言葉に耳を傾けることです。次にしるしのような行動を三つ勧められています。断食、施し、そして祈りです。このような修業をすることによって救われる、神様の愛を得られるということではありませんが、このようなしるしによって神様の心を深く理解し、それを自分の人生の中で受けとめられるようになります。断食するのは感謝の心が育つ方法であり、より深い霊的な世界を見出すことが出来ます。施しをすることによって、神様の愛にたいして恩返しをすることになります。キリスト信者は自分が神様に愛されたように人を、特別に弱い者を心を込めて愛します。また祈りは神様の心とふれあう場となります。神様の言葉に耳を傾けながら、自分の人生を開いて神様の愛の計画を取り入れましょう。 
「マタイによる福音書 4・1-11」
 四旬節の第一日曜日の福音書の内容に注目しましょう。それはイエス様が砂漠で受けた誘惑の物語です。根本的に弱い人間は、人生の様々な時にこそ誘惑に襲いかかられるものです。その時人間は、悪の魅力に捕らわれ、簡単に様々な権力を獲得するように悪魔から勧められます。しかし、イエス様は神様のことだけを選択するように呼びかけられています。誘惑が襲いかかる時に、わたし達は神様の力に支えられて、神様のみ心の通りに行うようにイエス様から教えられています。イエス様はまず、苦しい状況(砂漠)の中でより簡単に自分の人生の行き先を求め、また自分の名誉だけを望むように悪魔からすすめられました。しかし神秘的な力によって、イエス様は神様のみ心だけにご自分の人生を捧げるように選択して、悪魔を追い払いました。普通誰でも、神様に祈る時に神様の意思を自分の意思に合わせるようにしがちです。しかしそれは、人の人生にとって陥り安い誘惑です。イエス様がそれを拒否するように教えながら、神様だけを選び、自分に従った者たちに大きな力を与えてくださいます。神様は人間が耐えられない誘惑は与えられないのです。誘惑にあった時に耐えられる人は神様に祝福されています。イエス様は砂漠で歩いていたイスラエル人が誘惑を受けたように試練を受けられました。神様に愛されたイスラエル人はその誘惑に負けて、神様から離れてしまいました、しかし神の子であるイエス様は、その同じ誘惑を退け、神様の心を誉め讃えながら、最後まで神様のみ旨に忠実に従われました。
                                    モヨリ神