カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 待降節 第三主日 

2015年12月09日 | 神父様からメッセージ(C年)

 12月の初めから馬小屋の方へと歩み来た友は何人いるでしょう、ご紹介したいと思います。12月3日フランシスコ・ザビエルの祝日でした。フランシスコ・ザビエルの情熱は自分のところに止まらないで世界に向かい、その希望と情熱は皆の心の中に確かに残ったと思います。12月6日に福音書の中で登場したのは洗礼者ヨハネでした。神様の方に行く道を示してくださり、積極的に神様のところに行ける道について案内してくださいました。12月8日無原罪の聖母の祭日でした、マリア様は神様を見る清い心を現わしてくださいます。神様との出会いを求めるキリスト信者は、フランシスコ・ザビエルの情熱、洗礼者ヨハネが勧められた回心と徹底的な準備、そしてマリア様の清い心に支えられて、この世に来られる神様を迎えます。イエス様は幼子の姿で神様として私たちのところにやって来られ、私たちの人生や心も大きな喜びで満たされます。この時こそ「待降節」の中の「降る」という字の意味が明確にされます。神様の恵みがマリア様を覆われたように、イエス様に従った私たちのことも包んでくださいます。この時にキリスト信者はマリア様のように恵まれた者として、また洗礼者ヨハネのように自分の人生を神様の計画にゆだねます。そして聖フランシスコ・ザビエルのように神様に派遣されて、全世界の全てのところに神様がこの世にもたらした愛を告げ知らせます。
「ルカによる福音書3・10-18」
 当主日の朗読では、この世にイエス様がもうすぐ来られるという大きな喜びが中心的な話になっています。神様の人類の救いの計画は過去から徐々に実現されて、未来の完成の方に進んでいきます。洗礼を受けたキリスト信者は自分の救いを歴史の中で読みとっていて、ずっと神様との再会を求めています。「喜び」というのが第一と第二朗読の課題であり、その背景の中で福音書の意味も読みとるべきです。イエス様が「断食する時(回心)、油を塗り、顔を洗いなさい…あなたの父は報いてくださる!」と言われたではありませんか、だから、ふさわしくメシアを迎える為に洗礼者ヨハネが勧められた心の回心、犠牲なども必要な準備です。救い主が来られることは皆にとって、限りのない大きな喜びの時です。当個所は解説者によると、ルカの共同体において行われた洗礼志願者の準備を書かれているとのことです。求道者の心の中にある質問は、当個所の中心になっています。「私たちはどうすればいいのですか。」洗礼者ヨハネは回心を求める人に心を配ること、正義を行うこと、困っている隣人を愛することを勧めています。このように神様は小さいもの、この世が憎むものを愛しているのです。その中に罪人、社会に嫌われた兵士たち、法律を知らない者は皆、神様に愛されて神様に近づくことができます。誰も神様から追い払われていません。どんな弱い人間でも神様に探し求められているのですから、それは人間の喜びの理由であり、キリスト信者の終わらない喜びの泉です。                 
                         モヨリ神父