カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第22主日

2014年08月27日 | 神父様からメッセージ(A年)
  使徒パウロの「ローマの教会への手紙 12・1-2」の朗読に耳を傾けてみれば、聖パウロは、わずかな言葉で、大きな世界を目の前に開いてくださいます。神様をいつも大いに喜ばせたわたし達が、自らの生き方によっても神様を喜ばせることができます。まず自分の人生を神様に捧げ預けることです、そして神様の心に叶うように良いことを探し求めるなら、神様は大いに喜ばれます。神様の愛と憐みに包まれて、新しい心で自分の生き方を見直しましょう。この世に倣ってはいけません。聖パウロが言うように、一緒に完全な生き方を目指して、神様だけを喜ばせる生き方に倣いましょう。
「マタイによる福音書 」16・21-27
 フランシスコ・ザビエルがパリ大学で、社会的な考えからすれば偉くなるために勉強していた頃、他の同じ理想を持っている友達と付き合い、いくつかの思いを分かち合っていました。ある日のこと、今日の福音書の箇所に、その若者たちは心を打たれました。「わたしのために命を失うものは、それを得る。たとえ全世界を手に入れても・・・」当時の若者たち(イエズス会の初代の者達)が、このような言葉を聞いて受け入れたそのことが、その言葉の働きとイエス様のことを誰にでも知らせるような見事な結果になりました。さてイエス様が今日、わたし達にも教えてくださるのは人間による考え方ではなく、神様の考え方です。ペトロもこの時、神様によるのではなく自分らしい考えで、イエス様に十字架の道を退けるように勧めました。しかし、イエス様に厳しく戒められました。イエス様に従う者達は、一日でキリスト信者になるというわけではありません。むしろ毎日、イエス様の足跡を踏みながら、自分の十字架を負いながら少しずつイエス様と同じように生きるようになります。確かにそうすることによってイエス様と全く同じような行いをも成し遂げることができます。人間の大きな喜びを求める神様の思いは、自分の十字架を背負ってイエス様に従うことです。このように思うことは、自分の命を捨てるように見えるのですが、しかし自分の日常の苦しみを受け入れ、それを通して神様とのつながりを深め、また隣人とのつながりを愛で満たすように考えることが出来れば、イエス様と一緒に復活の喜びを迎えることができます。このようにイエス様と一緒に復活した人間が自分の人生を得、大きな喜び、大きな報いを得ることができます。                 
                              モヨリ神父