カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」2

2011年12月01日 | メッセージ(その他)
B年 待降節第二主日        

「宗教心」
どんな人間にも、意識するしないにかかわらず神様か神秘的な世界につながる思いがあると思います。意識しなくても人間はこの世の美しさに感動し、出来事や自然現象に驚き、苦しい時に自分の心の中に「どうして・・・」と深く問いかけています。その時に神様が私達の心のドアをたたきます。そしてそのドアを開けるように願い、より深い私達との出会いを求めています。より大きな喜びや幸福を探し求める人間は、神様に心のドアを開けば希望した幸福を得られます。しかし人間の心の希望に応えるには、確かにいろんな宗教があります。どれが一番よいのか、現在の人間にとって大きな課題です。さまざまな宗教があります。そのどれもが幸福を望む人間に上手に応えるようにしようと思いますが、そうならない時もあります。実際に人間には、何が必要なのでしょうか。本当の神を知ること、それを信じること、それを愛すること。文化や伝統、教育の違いによって、普通は自分が選んでいない宗教の中で育ってきて、教えられたことに対して信仰を持つことにすれば、幸福を得る道をたどることが出来ますか。キリスト信者は聖書の中に記されたイエス様の言葉を信じて、神様の姿を知るようになりました。むしろイエス様を信じることによって、神様自身がご自分の心や思いも人間に明らかにし、知らせることにしました。キリスト信者にとって神様を知ること、神様を信じることは神様を愛することです。十字架に付けられて死ぬほどに愛されたキリスト信者は、神様に自分の人生を全て捧げます。神様の思いの中で生き、生活を送っています。そしてイエス様の姿を見せてくださる、むしろイエス様自身である隣人を特別に心から自分のように愛しています。イエス様に出会った者は自分の宗教心のドアをたたいた神様にその心を開いて、自分の人生の中に神様を受け入れて、生まれたときから希望していた幸福を大きな喜びの中で得ることになります。
                          モヨリ神父