カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第二十二主日

2011年08月25日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、
「この世において、忍耐は私たちの日常の糧でなければなりませんが、
特に自分自身に対して忍耐しなければなりません。」聖フランシスコ・サレシオ
昼間は残暑が厳しく、辺りはまだ夏のたたずまいのままですが、夜が次第に深くなると、どこからともなく忍びよる秋の気配がします。このような晩夏の夜の秋めいた気分を「夜の秋」と言います。ことに夏が厳しい菊池では、暑さからやっと解放された「夜の秋」にわが身を添わせておきたいひと時があります。秋の間近さを思わせる夏の言葉です。季節が変わると心の中に新たな夢と希望がわいてきます。それぞれの目標を目指して前へ目を向けましょう。そして、目標の方に目を向けた次に大事なことは、一緒に手をつないで皆でそこへ到着することです。いつでも手をつないで目標目指して歩みましょう。夏休みが終わります、それぞれの人生のすすみ具合を神様の希望にそって整えるようにしましょう。使徒パウロの「ローマの教会への手紙 12・1-2」に耳を傾けてみれば、聖パウロは、わずかな言葉で、大きな世界を目の前に開いてくださいます。神様をいつも大いに喜ばせたわたし達が、自らの生き方によっても神様を喜ばせることができます。まず自分の人生を神様に捧げ預けることです、そして神様の心に叶うように良いことを探し求めるなら、神様は大いに喜ばれます。神様の愛と憐みに包まれて、新しい心で自分の生き方を見直しましょう。この世に倣ってはいけません。聖パウロが言うように、一緒に完全な生き方を目指して、神様だけを喜ばせる生き方に倣いましょう。
マタイによる福音書 16・21-27
 フランシスコ・ザビエルがパリ大学で、社会的な考えからすれば偉くなるために勉強していた頃、他の同じ理想を持っている友達と付き合い、いくつかの思いを分かち合っていました。ある日のこと、今日の福音書の箇所に、その若者たちは心を打たれました。「わたしのために命を失うものは、それを得る。たとえ全世界を手に入れても・・・」当時の若者たち(イエズス会の初代の者達)が、このような言葉を聞いて受け入れたそのことが、その言葉の働きとイエス様のことを誰にでも知らせるような見事な結果になりました。さてイエス様が今日、わたし達にも教えてくださるのは人間による考え方ではなく、神様の考え方です。ペトロもこの時、神様によるのではなく自分らしい考えで、イエス様に十字架の道を退けるように勧めました。しかし、イエス様に厳しく戒められました。イエス様に従う者達は、一日でキリスト信者になるというわけではありません。むしろ毎日、イエス様の足跡を踏みながら、自分の十字架を負いながら少しずつイエス様と同じように生きるようになります。確かにそうすることによってイエス様と全く同じような行いをも成し遂げることができます。人間の大きな喜びを求める神様の思いは、自分の十字架を背負ってイエス様に従うことです。このように思うことは、自分の命を捨てるように見えるのですが、しかし自分の日常の苦しみを受け入れ、それを通して神様とのつながりを深め、また隣人とのつながりを愛で満たすように考えることが出来れば、イエス様と一緒に復活の喜びを迎えることができます。このようにイエス様と一緒に復活した人間が自分の人生を得、大きな喜び、大きな報いを得ることができます。                  モヨリ神父
※「新 くまもと歳時記 編集委員会編」(熊本日日新聞社)より一部引用