カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 年間第三十三主日

2010年11月11日 | 神父様からメッセージ(C年)
イエス様のことを愛される皆様へ
「神に目を注ぎ、自分を眺めなさい。
必ず良さに溢れる神と、みじめさに置かれている自分をみつけるでしょう。」聖フランシスコ・サレシオ

「返り花』とは、小春日和に時ならず返り咲く花のことで、「忘れ花」「狂い花」と言います。本来、返り咲く桜(花)のことを言うので、その他にはそれぞれの花の名がつきます。葉も乏しくなった枝先に灯る返り花には心安らぐものがあります。擬人化されやすい季題で、小さく咲いた様は、いかにも可憐で思いが深い。返り花を仰いで己や歴史を回顧したりもします。
さて、だれでも未来の計画を考える時、人間の思いと希望がずっと永久に続くと思っています。しかし、この世、神様からいただいた宇宙万物も終わりの日、しめくくりの時へ向かっています。それを知る、日常生活の中で体験するキリスト信者は豊かに思いを巡らせ、それに従った有益な人生を送ります。物理的なものは一切人間を縛る権限をもっていません。人間の心は自由であり、より高い理想を目指しています。この世は人間にとって仮の住まいであり、神様のところで永久に生きることをあこがれています。あくまでも大自然やこの宇宙万物は、神様に作られて、それを楽しむため、神様の元に戻るまで人間に任せられています。最終的な目標は人間にとって永久に神様と一緒に生きることです。キリスト信者はこの世の物理的なものに心を執着させないで、この世を通過しながら、一切恐れることなく、より高い素晴らしい、喜びのある目標を目指しています。そのために自分の人生を全て整えなければなりません。
ルカによる福音21・5-19
当福音書はイエス様の長い話の中の一部です。強調されるところはこの世、それに従って宇宙万物の終わりのことです。人間が頼る石で建てられた物は、いつか滅びてしまう時が来ます。イエス様は神様を愛する者たちに、神様の思いを大切にする者たちにも、丁寧に肯定的に話し掛け導かれています。神様を信じる者が安心できるものは石ではなく、イエス様の言葉や特別に聖霊の息吹です。ルカの福音書によると、この世の終わりにイエス様が再び来られることは、身近に起こる出来事ですから、キリスト信者にとって安心できる約束なのです。そこに至るまでに起こるのは、偽メシアの登場、天体のあらゆる恐ろしい現象、イエス様に従う者への迫害などです。偽メシアはイエス様と違って自分がメシアであることを宣言し、自慢するものです。そしてはっきりと未来についていろいろ告げ知らせたりします。未来についてはっきり語られないイエス様でも自分の弟子にその偽者に従わないようにとはおっしゃっています。起こるであろう恐ろしい出来ごととは、戦争、暴動、地震、飢饉などです。イエス様が自分に従った者たちに対して、それらのことを恐れないように勧め、支えられています。一般の人々はこの時に恐れに抱かれるだけですが、キリスト信者はイエス様に、イエス様の言葉に信頼して、恐れる時があっても冷静に乗り越えることが出来ます。そして世間から拒否され迫害されることも、寂しさ、孤独感なども含めて、キリスト信者は聖霊に信頼して、イエス様と同様の経験をしながら、イエス様と同じように死に向かっても復活の喜びの希望をもっています。支えはイエス様の霊に対する大きな信頼だけです。イエス様は約束されたことを完全に守ってくださいます。イエス様に従った者たちや、イエス様の苦しみを同様に体験した者たちは滅びないのです。イエス様がおっしゃっています。:「あなたがたの髪の毛一本もけしてなくならない。」と。言いかえれば、最後までいろんな苦しみを耐えてイエス様の言葉の知恵に支えられた者だけが、復活の喜びを味わうことが出来るのです。
                                        モヨリ神父
※『新 くまもと歳時記  編集委員会編』(熊本日日新聞社、2007~)より、一部引用。