カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

菊池市紫光書道会の作品

2010年07月27日 | メッセージ(その他)
大圓寺の墨染桜               
私が墨染桜に心引かれて、再び寺小野大圓寺を花の頃訪ねたのは三月も末の二十八日でした。「菊池ふるさとかるた」に読まれた土地を巡る会に参加したことがあり、この大圓寺の境内にひそかに花を咲かせている「墨染桜」が奇妙に私の心に残っていたからです。「墨染桜」の言葉が、何かの事情によって仏門にはいられた人の、人生の無常を感じさせる響きをもった言葉であったのかも知れません。菊池十四代当主菊池武士が南朝の武人として活躍したが、ついに竹迫の合志幸隆により菊池本城を占領され、家門の汚れることを悲しみ、菊池武光に家督を譲り、二十一才の若さで仏門に入り、「寂照」として修業に出た。全国行脚の途中この大圓寺に立ち帰り、過ぎにし昔を回顧して、今は盛りと咲く桜に無常の心を寄せて詠んだ歌が、「袖ふれし花も昔を忘れずば我墨染をあわれとは見よ」 いかにも、菊池武士の家に生まれた宿命とその悲哀が、切ないまでに感じられ、栄枯盛衰を映して流れる菊池川と菊池の歴史に思いをはせて歌碑の前に佇んでいました。爛漫の桜の中に散り急ぐ花の姿を見るにつけ、菊池武士の哀れともおもわれる心が、「墨染桜」の名の由来かと……。胸に迫るものを感じておりました。歌碑の近くにいかにも年古りた桜が苔をつけているのを見つけ、ちょうど近くに居られたお年寄りの人に、「墨染桜は、どの木ですかネェー」と尋ねましたら、「その木じゃなかですかナァー。」と指さされて、「ずい分古木になっとりますナァー」といって眺めておられた眼が印象的でした。
秋月順子