カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 年間第十一主日

2010年06月11日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、
毎年6月10日ごろになると、北海度を除いて日本列島はうっとうしい梅雨に入ります。冷たい高気圧と暖かい高気圧が上空で出合うことによって雨が降り続けます。困ることがあっても、その雨によって命の元であるお米が成長し実るようになります。その梅雨も目前です、田植えの準備に入り農家は大変忙しくなります。昔は家族はもとより隣人も大勢でにぎやかに苗を植えていました。今もうそのような光景を見ることもなくなって久しく、瑞々しい苗を運ぶ子供や、素足で泥田を踏む姿なども今では思い出となってしまいました。
さて、キリスト信者には心の中に何にも右左されない、命である神様からいただいた沢山の賜物があり、それを味わって感謝しています。それは本当に幸いなものです。どうしてキリスト信者はこのように幸せであるかと言いますと、イエス様が言われたように、貧しい時、悲しむ時、柔和な時、儀を求める時にあなた方は幸せです。なぜなら困った時、より身近に素晴らしい神様の心をみてそれに倣い、そのために神様から大きな慰めを与えられています。それだけではなくイエス様の言葉を参考にするキリスト信者は、自分の人生を振り返って、その中で神様の働き、神様の贈り物、神様に助けられたこに気付きながら、神様の愛に包まれて自分が幸せであることを実感することで大きな喜びを味わっています。
ルカによる福音 7・36-50
初代キリスト信者たちが赦しの秘跡をいただくのは、現在とちがって特別な出来事であり、人生の中で一回だけでした。しかし教会にはいつも、赦す心とその態度も憐れみ深い背景の中にありました。いつも罪人の回心と救いが求められていました。善行によっても罪が赦されていました。今日の福音書の課題は、イエス様が罪を犯した女を赦すことによって、わたし達に赦しの素晴らしさを語ってくださいます。当福音書の出来ごとにはイエス様の慈しみに対して、二つの心の態度を紹介されます。一番目はファリザイ人であるシモンの態度です。イエス様のやり方を批判し、イエス様のことまで見下しています。二番目はベタニアのマリアの行動です。マリアは寛容をもって、本当の愛情を見せながら、イエス様に自分の心を開きます。確かにイエス様は皆の心の中にある良いものを評価します。ファリザイ派のシモンの判断も、罪を犯した女の愛情も誉めています。イエス様は罪を強調しないで、むしろ愛の大きさを高めて、ファリザイ派のシモンが示したうすい愛情を見直すように勧めています。このようにイエス様が神様の愛は赦しの泉であることを示しています。神様の赦しはより大きな愛からわきでて、いつでもどんな時でも皆、ゆるしてくださいます。旧約聖書では神様はダビデの罪でさえ赦してダビデの命を守りました。新約聖書ではイエス様が大きな愛の中で罪を犯した女を赦して、彼女はイエス様の愛の大きさを知りました。彼女はイエス様の愛に包まれて生き、大きな愛をイエス様に返しました。キリスト信者も神様の愛によって赦されて、その愛を返しながら、より大きな神様の愛に包まれています。
                              モヨリ神父