カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 聖霊降臨の主日

2010年05月21日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、
芍薬(しゃくやく)はアシア大陸東北部の各地に自生します。日本の記録は「仙伝抄」に見られ、江戸時代には園芸植物として発達しました。熊本では薬用として蕃滋園に植えられ、その一部が「花連」の人々の品種改良により、好みの芍薬が生みだされました。花のもりあがりの大きいほど良品とされています。紅、白、桃色にふくらむつぼみの風情や満開のさまは夢幻の美しさです。また、黒と白の構成美を誇る熊本城は、そのシンボルともいわれる楠大樹の森に支えられて威厳を保っています。楠は多くの樹木の中でもっとも巨大で長寿であり、5月の芽立ちのころの美しさはたとえようもありません。「小満」とは5月21日ごろで万物次第に長じて満つると言う意味で、草木も茂り実を結び、田植えの準備の頃です。入梅の時期です。
さて、世界中のカトリック教会は聖霊降臨の祝日を迎えます。聖霊降臨は教会のお祝いであり、教会の構成が聖霊によって作られた共同体であることを祝っています。聖霊はイエス様の息吹、イエス様の心の音、イエス様の愛です。十字架につけられたイエス様が息を引き取った時にその息をご自分の弟子、私たちにも与えるようにしました。その息でキリス信者はイエス様と一つになって生きています。そして復活されたイエス様は怖がっている弟子たちのところに現れた時に、彼らの上に自分の息を吹きかけて、弟子たちに大きな勇気、力、光を与えました。その息によってイエス様の教会は全世界に広まり始めました。初代教会の時から聖霊降臨はペンテコステと呼ばれて復活祭の7週間後の祝いでした。もともとイスラエル人にとって麦の第2収穫の祝いで、また神様と愛の約束の更新の祝い、または神様の法を受け入れる祝いでした。キリスト信者は主の昇天の祝いが過ぎた時、ペンテコステと言う祝いの時季が終わろうとしたところに、聖霊降臨の祝いを重ね合せました。その時キリスト信者は教会の誕生を祝い、新しい神様と愛の結びを思いながら、新しい法、つまり、神様の愛の法を受け入れる祝いを始めました。
ヨハネによる福音書 14・15-16、23b-26。
聖霊降臨はイエス様の約束を実現する時であり、教会の時代の始まりであり、皆が神様の栄光を自分の人生で誉めたたえる為に呼びかけています。聖霊降臨祭は復活節を締めくくり、教会自体がこの世の中で目に見える聖霊降臨の証になります。教会を通して聖霊は豊かな賜物を与え、至る所で人々を信仰と希望と愛に導いています。聖霊によって宇宙万物は神様の愛で満たされていて、教会は光で照らされ、人類の一人一人に神の子として生きるように呼びかけています。聖霊は人々の中に降ってきて、多数の異文化の中で、心と言語の一致を与え、同時に神様は皆のすぐそばにおられる友人であることを知らせています。聖霊はキリスト信者とイエス様の心を結び、イエス様と一緒に復活させ、神の子として生かされています。当福音書は特別に聖霊とイエス様の言葉とキリスト信者の愛の間に深い結びを示し、このような結びは神秘的な事実の一つであることを示しています。聖霊によってイエス様の言葉は神様の言葉であり、イエス様を愛する人はイエス様の言葉を守り、同時に神様を愛し、神様の言葉を守っています。神様の言葉を守るとは基本的に神様の掟を守ることです。その掟は二つで、イエス様を信じることとイエス様のように愛することです。聖霊が皆の心の中でイエス様の言葉を思い起こして、イエス様の言葉を解説しながら、理解させながらそれを生かしています。私たちの目の前でこのような舞台を開かれる聖霊は、イエス様に従った者の心の勇気と限りない喜びになっています。本当にキリスト信者は孤独なものではなく、このように聖霊に満たされ、乾くことのない泉に人生の力を汲んで、豊かに永久に生きています。イエス様は私たちの「命の泉」(聖霊)です。
                              モヨリ神父