mo-diary

酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

「きのこづくしセット」

2020年11月06日 | 会社・仕事のこと

いつもお世話になっている社員食堂。

昨日も食べに行くと、「明日、松茸ご飯をやります!」と大将の予告。(昨日は「鮭のちゃんちゃん焼き」。)

土用の丑の日に出された1200円の鰻丼を食べ損ねたので、今回は楽しみにしていました。

本日の目玉ランチ、「きのこづくしセット」。

きのこと野菜のかき揚げ、しいたけの茶碗蒸し、なめこの味噌汁、しめじと白身魚のホイル焼き、そして、松茸ご飯で、630円。

美味しかったぁ~。

いつもごちそうさまです!

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耶馬渓(本・深・裏・奥)日帰り一人旅

2020年11月04日 | 旅行記

紅葉の名所「耶馬渓」に日帰りで行ってきました。

紅葉の見頃にはちょっと早い気もしますが、次に一人旅できるのは11月下旬となるので、「行ける時に行っておこう」と思い立って、前日にレンタカーを申し込み。

慌てて立てた計画はこんな感じ。

<耶馬渓>
 ・本耶馬渓 : 青の洞門・競秀峰、耶馬渓橋、羅漢寺、御霊神社、渓石園(耶馬溪ダム記念公園)
 ・深耶馬渓 : ひさしもみじ、一目八景
 ・裏耶馬渓 : 伊福の景
 ・奥耶馬渓 : 魔林峡、念仏橋、猿飛千壺峡
<八面山>
 ・箭山神社、三光コスモス園
<中津>
 ・薦神社、道の駅なかつ

まだ紅葉の見頃ではないと言っても、GoToの影響もあり、人気スポットは混雑必至と想定して、早朝に出発。(レンタカーは前日夜にピックアップ。)

8時前には「青の洞門」に到着。

(駐車場。誰もいません。(笑))

山国川の土手に上がってみると、この景色。

写真右側にそそり立つ壁のように見えるのは「競秀峰」、その麓を山国川が静かに流れています。

駐車場近くに、競秀峰への「探勝道」(登山口?)がありました。

(コースにより1時間~2時間くらいかかるようです。)

体力的にきついので、競秀峰は、もちろん登らず、山国川の対岸から眺めます。(笑)

青の洞門を歩きます。

まずは、駐車場を出発してすぐにある、洞門を掘った禅海和尚の像。

像の背面は、この禅海和尚をモデルにした小説「恩讐の彼方に」の作者、菊池寛さんでした。

(微妙です。(笑))

青の洞門は耶馬渓の一角にある隧道(全長:約342m、トンネル部分:約144m)。

かつてこの付近は、競秀峰の高い岩壁に作られた道を、鎖を命綱にして山越えをしなければならない難所で、多くの人馬が転落死していたそうです。

江戸時代、修行中にこの地に立ち寄った禅海和尚は、そのことを知り、隧道を掘って誰でも安全に通れる道を作ることに。托鉢によって資金を得、石工を雇い、木槌とノミだけを使って掘り進み、30年を超える後、明和元年(1750)、洞門を完成させたそうです。

(禅海和尚が掘った跡が残っています、、、が、真っ暗でほとんど見えず。)

この岩壁を掘ろうと思い立ち実行する、すごいです。

明治時代に大規模改修が行われたそうで、隧道の様相は結構変化しているそうです。

が、所々、禅海和尚が手掘りした頃の跡が残っています。

先程、禅海和尚の手掘り洞門で体験済みですが、真っ暗で先が見えない、、、明かりが必要と思ったら、禅海和尚、やっぱり、明かり窓を掘っておられました。

(この明かり窓を掘るだけでも気が遠くなりそう。)

10分歩いたか歩かないかで、出口?(入口?)に出ました。

青の洞門の写真でよく使われる景色、洞門入口脇に立っている大きなイチョウの樹。

(黄葉には少し早いようです。)

青の洞門の散策中、誰にも会わず、快適な早朝散歩となりました。

ちなみに、青の洞門という名称は、この周辺の地名「青地区」というのが由来で、江戸時代、青の洞門が開通した当初は、当時のこのあたりの地名から「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていたそうです。

 

青の洞門を抜けて少し行くと、立派な石橋があります。

「耶馬渓橋」です。(石橋が長崎に多いことから、「オランダ橋」とも呼ばれるようです。)

(こんな立派な石橋、初めて見ました。)

1923年に竣工した、日本で唯一の8連石造アーチ橋で、日本最長の石造アーチ橋。大分県の有形文化財。「日本百名橋」、、、とかなり有名な石橋のようです。

耶馬渓橋の手前の普通の橋で山国川を渡って対岸へ。

少し歩くと、山国川から山の方に向かって鳥居が立っていました。

(「毛蕨神社」へと続く参道。)

対岸を振り返ると、先程歩いた青の洞門が見えます。

(これを手掘りするとは、、、やっぱりすごい。)

山国川対岸から見る「競秀峰」です。

(さっきの「探勝道」って、この急峻な岩山のどこを歩くのだろう、、、。)

駐車場に戻るために、「青の禅海橋」という橋を渡ります。

(橋の上からの景色が絶景。)

青の洞門エリア、観光客でにぎわうよりも、早朝のひっそりとした散策の方が風情を感じられていいなぁ、と実感。

 

青の洞門からそこそこ近い「羅漢寺」へ。

羅漢寺は荒々しい岩山の中腹にあり、徒歩だと20分程かけて登ることになりますが、リフトを利用すると3分(!)で「羅漢寺駅」に到着します。

(年配のご夫婦が先客で登って行かれました。)

もちろん、リフト利用です。(笑)

羅漢寺駅の先(更に上)に「山頂駅」があり、山頂駅までの往復で1000円。

前日の雨のせいでリフトが濡れているので、係の人が拭いた上に薄い❝座布団❞(シート)を敷いてくれます。

(何年ぶりのリフトだろう。)

羅漢寺駅が見えてきました。

リフトを降りたら、細い道を少し登って行きます。

そして、ここからは撮影禁止です。

写真右に小さく写っている立て看板には、「これよりいかなる撮影もお断り申し上げます。写真を撮りたい欲望を捨て、お参りする誓願のみで山内にお入り下さい。山主合掌」と書かれています。

ここを抜けた瞬間から、荒々しい岩壁にめり込むように建てられている山門や、無数の石仏など、その景色に圧倒されます。(いい所で撮影禁止にするなぁ。(笑))

羅漢寺は、大化元年(645)にインドの僧 法道仙人が、この岩山の洞窟で修行したことから開基され、「日本三大五百羅漢」(栃木県の徳蔵寺、神奈川県の建長寺)の一つ。昭和18年に火災で焼失、現在の本堂は昭和44年に再建されました。

こちらでお参りさせていただきました。

(ネットより拝借。3770体もの石仏が安置されており、平成26年(2014)には国指定重要文化財になりました。)

御朱印をいただけます。

300円の拝観料?を納めて本堂の2階に上がり、鐘を打たせてもらいました。音色には心の有様が出るとのことですので、心穏やかにして打ちました。合掌。

 

お参りを終えてから山頂へ。再びリフトに乗ります。

山頂駅で降りて振り返ると、こんな景色です。

(紅葉は「色づきはじめ」くらいでしょうか。)

お寺のある山の山頂にしては随分と人工的な展望台がありました。(笑)

展望台の一番上からの眺望です。

(空気が澄んでいれば、阿蘇方面や豊前海方面まで見えるそうです。)

展望台の一番上の四隅に気になるものがぶら下げられています。

(カラスのデコイ? カラスへの警告のためでしょうか。)

この眺望以外、山頂には特に何もありません。

帰りは、一気に下までリフトで下ります。

(なかなか気持ちのいい見晴らしです。)

リフトを降りると無人販売がありました。

(かぼす、安い。)

ほぼ一番乗りでのお参り、清々しい気持ちになりました。

 

次は、国道212号線を日田方面へ10分強走った所にある、「御霊もみじ」で有名な「御霊神社」へ。

途中、また立派な石橋があったので、写メしました。

「馬渓橋」とのことです。5連石造アーチ橋、長さ82.6m、大正12年(1923)竣工。

耶馬渓橋、馬渓橋、羅漢寺橋で「耶馬渓三橋」と呼ばれているそうです。(羅漢寺橋は見ましたが、運転中のため写メできず。)

御霊(ごりょう)神社に到着です。

参道には鉄柵がありますが、イノシシやシカの進入防止のためと書かれています。

苔むした階段、ここに紅葉やイチョウが散り重なった景色が見所のようですが、まだまだでした。

(耶馬溪の紅葉が終わる頃に見頃を迎えるスポットだそうです。)

苔で滑らないように階段を上って、お参りさせていただきます。

扁額は右側の御社にかかっていましたので、こちらにもお参り。

御霊神社の由緒です、、、黒田官兵衛・長政父子が中津に入部した際に抵抗して、中津城内で謀殺された宇都宮鎮房の12人の侍女が、この地まで落ち延びましたが、黒田の追手に捕らえられて命を落としたという伝承があります。人々はこの出来事を憐れんで神社を建てて御霊を慰めたそうです。

帰りは、境内からの別の階段で下りましたが、ここの苔もすごいことになっています。

(滑り落ちることもなく無事下りることができました。)

御霊もみじの見頃には多くのカメラマンが訪れるそうですが、今はまだまだ。静かにお参りさせていただくことができました。

 

御霊神社から近い、耶馬溪ダム記念公園「溪石園」へ移動。

ちょっとした広場のような感じですので、家族連れが多かったですね。

渓石園は、昭和62年(1987)、耶馬溪ダムの完成記念に造られた広さ2万㎡の日本庭園。数万個の石、ダムの水を利用して耶馬溪の渓流を再現し、100種3万1000本以上の樹木が植えられているそうです。

ここに来てから知ったのですが、併設されている食事処で「炭そば」という、広島県産の食用炭を練り込んだそばを食べることができます。(真っ黒なそば!)

朝早くから動いているので、ちょっと小腹を満たそうかと思いましたが、残念ながら営業時間前でした。

 

渓石園をあっという間に出発して、せっかくなので、「耶馬渓ダム」とダム湖に寄ってみました。

(特に見学などはできないようです。)

こちらがダム湖。

フェンスに貼り紙がありましたが、どうやらダム湖でカヌーだか何だか水上の遊びができるようです。

 

耶馬渓はエリアによって「本」・「深」・「裏」・「奥」があります。

あまり調べていないので、正確ではないかもしれませんが、次は、「深耶馬渓」(しんやばけい)の見所を訪ねます。

「ひさしもみじ」。

(ライトアップもあります。)

ひさしもみじは、県道28号線の深耶馬渓への玄関口にある、その名のように「ひさし」のように道路に張り出したもみじが100m程続く見所です。(ホタルの観賞スポットでもあります。)

ひさしもみじと並行する渓谷に目を移すと、風情のある景色です。

ここは大型バスもOKの大駐車場、「なぜ?」と思ったら、「一目八景」という人気の景勝地にも歩いて行けるようです。

「一目八景」は深耶馬溪のメインスポットで、周囲の岩峰群(群猿山、鳶ノ巣山、嘯猿山、夫婦岩、雄鹿長尾の峰、烏帽子岩、仙人岩、海望嶺など)を一望できることがその名の由来。

「一目八景展望台」から絶景を堪能できます。

(「一目八景展望台」、、、上ってみましたが、展望台と言うほどのこともないと思います。)

大駐車場と一目八景展望台までの間には土産物屋や食事処が多数。一大観光地になっているようです。

(「魚のエサ」まで売っています。)

ひさしもみじは風情がありましたが、一目八景展望台とその周辺はかなり俗っぽいです、、、失礼、かなり観光地化されています。

この巨大ニジマスの橋の上からの景色はきれいでした。

(右側の家屋は全て土産物屋・食事処(の裏)。)

 

次は、「裏耶馬渓」です。

深耶馬渓から20分は走ります。途中、「後藤又兵衛の墓」がありました。

大坂城落城後、このあたり(伊福)に潜居し、秀頼死亡後自刃した後藤又兵衛を偲んで近くの住民が石碑を建てましたが、大坂夏の陣から40年経過した承応3年(1654)のことだったそうです。

(石碑が松の枝に隠れてしまった。)

お墓の裏側になりますが、こちらからの方が、この穏やかな地の雰囲気が伝わりますね。

(松の枝に隠れてしまった石碑です。)

さて、めざすは、裏耶馬渓を眺望する「伊福の景」です、、、ここがその景色。

この景観を説明する案内板がありますが、傷みがひどいです。

思うに、今は訪れる人も少なくなっているスポットなのかもしれません。(もちろん、私以外には誰もいませんでした。)

 

さて、最後の「奥耶馬渓」へ向かいます。

奥耶馬渓は日田ICからの方がアクセスが便利で、中津寄りにある青の洞門からは一番遠い❝耶馬渓❞です。

見所は、「魔林(まばやし)峡」、「念仏橋」、「猿飛千壺峡」です。

魔林峡は、猿飛千壺峡(猿飛甌穴群)の下流1.5kmにある渓谷で、川底にできた甌穴が発達して大きくなり、甌穴間の障壁がなくなって細長い谷になっています。

(実際に見ると、迫力があります。)

魔林峡から念仏橋、猿飛千壺峡(猿飛甌穴群)までは散策路が整備されていますが、結構距離がありそうなので、車で猿飛千壺峡の駐車場まで移動します。

「石碑脇になぜ人形?」と思いますが、振り返ると、人形が、、、。(笑)

(見えているのは全部人形。ちょっとこわいです。)

峡谷に架けられている橋から見る景色は絶景!

激しい渓流が長い歳月をかけ造り上げた大小無数の甌穴が約2kmに亘って峡底に広がっています。猿飛という名は、その昔、山猿が岩から岩へと飛び回っていたことが由来だそうです。

今回の一人旅で一番❝映える❞ワンショット。

ここから10分弱歩くと、念仏橋があります。

(魔林峡の上流に架けられた石橋です。)

奥耶馬渓、訪れる観光客も少なく、散策路も整備されていますので、穴場かもしれません。

 

これで耶馬渓の紅葉めぐりも一巡しました。

見頃ではありませんでしたが、お天気にも恵まれ、「色づきはじめ」を楽しませてもらいました。

混雑や渋滞もなかったので、これくらいがちょうどいいのかもしれません。

 

さて、時刻は13時半を過ぎたところ。

時間もありますので、宇佐神宮ゆかりの神社を巡ってみることに。

全国八幡の総本社の宇佐神宮の元宮「薦神社」と、薦神社の奥宮に当たる「箭山(ややま)神社」です。

まずは、中津のシンボル的存在「八面山」(標高659.4m)にある「箭山神社」へ。

車で登ることができます。

(どんどん登りますので、道中眺望がいい所があります。)

着きました、八面山です。

四方八方どの方角からみてもほぼ同じ姿をしているところから八面山と呼ばれるそうで、昔はこの山に矢竹が多く生えていたことから箭山(ややま)とも呼ばれているそうです。

それでは箭山神社にお参りを。

拝殿でしょうか、とても質素です。

お参りさせていただきました。

(箭山神社には神功皇后、応神天皇、比売大神が祀られています。大宝元年(701)開基。)

御神体の1つ、「鷹石」。

(鷹石の他にも、隣にある「犬石」と、南西にある八面山「大池」が御神体です。)

鷹石と犬石は、八幡大菩薩が金色の鷹に変化し、金色の犬を召しつれて八面山に飛び帰り、この巨石になった、と言われているそうです。

「東側展望所」と「西側展望所」があると案内杭がありましたので、東側に登ってみます。(すぐ着きます。)

(ここが東側展望所。)

この岩の先は絶壁で、落ちたら死ぬと思います。

景色は絶景。

西側展望所は、東側展望所とつながっていて、すぐです。

西側は展望デッキが整備されていて、「天空の道展望所」と言うようです。

(こちらが西側展望所からの眺望。「この先危険」の看板あり。)

展望所から道路に戻って発見、この看板。

(園地でした。)

八面山に登りましたが、四方八方どの角度で見ても同じ形という山の形をまだ見ていません。

ちょうど、三光(さんこう)地区でコスモス園が満開とのことですので、そこから見てみることにします。

八面山を下りてしばし走ると到着。

なかなか広大なコスモス園です。

こちらが八面山のお姿です。

四方八方から見ても同じ形なのかどうかは検証のしようもありませんが(笑)、八面山のお姿を見ることはできました。

 

ここから「薦神社」は10分とかかりません。

(駐車場側の鳥居。)

宇佐神宮の「呉橋」を思わせる橋がありました。

(調べてみると、こちらも「呉橋」と言うそうです。)

薦神社と言えば、この神門(重要文化財)がシンボル。

ちょうど菊花展が開催中で、境内は見事な菊の花の数々に彩られていました。

お参りさせていただきました。

御朱印をいただきました。

巫女さんに「きれいな御朱印帳ですね。」と微笑みかけられて、嬉しかったです。(笑)

いい気分になり過ぎて、薦神社のもう1つの見所の「三角池」を見るのを忘れました、、、反省です。

 

さて、これにて、今回の耶馬渓日帰り一人旅の行程は終了です。

かなり遅めのランチとなりましたが、別府旅行の帰りに妻とも来たことがある「道の駅なかつ」へ。

中津だけに「からあげ定食」にしました。

とても美味しゅうございました。

 

行きは九州道・大分道、帰りは東九州道ということで、ぐるっと一周した感じです。

11月、絶好の行楽シーズン。密を避けて楽しみたいですね。

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「安納芋ジャム」と「太良みかん」

2020年11月02日 | 通販・買い物

九州の美味しい食べ物が連日届きました。

「安納芋ジャム」。

種子島の安納地区の安納芋だけを使ったジャムで、地元の農業法人「株式会社REIMEI」さんが製造しています。

九州の一次産業(農業等)応援プロジェクトのクラウドファンディングの返礼品として届きました。

「安納ほしいも」(3枚入)6袋と、、、

(歯ごたえ十分。栄養と繊維質がいっぱいって感じ。)

「安納芋ジャム」3個となっております。

食べてすぐ分かりましたが、鹿児島の城山ホテルの安納芋のジャムとは製法が全く違うと思います。

城山ホテルのジャムよりもかなり柔らかく、トーストに塗って食べても良し、塗ってからトーストするも良しで、より安納芋の焼き芋感を感じる一品です。

 

もう一品は、佐賀県の「太良みかん」。

こちらはふるさと納税の返礼品です。

この太良みかんを作っている「中西農園」さんでは、甘いみかんができるように、みかん畑を2グループに分けて、2年に一度しか果実を付けささないようにしているそうです。

なので、その名も「2年に一度の輝き」。

さっそく食べていますが、抜群の甘さです。今まで食べたみかんで一番甘い、そして、ハズレが全くない、ちょっとびっくりです。

 

「安納芋ジャム」と「太良みかん」、、、まだまだ九州には美味しいものがいっぱいありますよぉ。

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「塩八女茶ソフト」と「そば季里 史蔵」

2020年11月01日 | まち歩き

年に2回の下草刈りで八女に行ってきました。

(快晴。)

シャクナゲ、モミジ、サクラを植樹した箇所の下草を鎌で刈っていきます。

(シャクナゲ。立派に育っています。)

モミジが少し色付き始めているように見えますが、現地の方に訊くと、紅葉の見頃は例年並み(11月中旬~下旬)とのこと。

ここ「くつろぎの森 グリーンピア八女」は、福岡県八女市の「森林セラピー」基地になっているとのことです。

自然の中を2km前後のんびりと森林浴をしながら歩くことで、リラックス効果やストレス緩和効果を得られ、心身ともにリフレッシュするそうです。

自然の中ということでは、こちら、先日訪れる機会があった「星野小学校」(八女市立)。地元の木材を使った校舎がとても素敵でした。

星野小学校の給茶機のお茶がめちゃウマでした。

八女茶、星野茶、、、このあたりは有数のお茶どころです

 

さて、1時間弱の下草刈りの後、一度食べてみたかった、2018年の「道の駅ソフトクリーム総選挙」で1位となった「塩八女茶ソフト」を食べるために、「道の駅たちばな」へ。

このソフトクリームは、道の駅の敷地にある「お食事処 招竹梅」の売店で売っています。

この看板が目印。バニラと抹茶があります。

(道の駅❝本体❞の売店でもソフトクリームを売っていますので、お間違いのないように。)

「塩八女茶抹茶ソフトクリーム」を注文。

まずはお茶の香りが立ち、最後に塩味がフワッときます。甘さはかなり控えめ。

さすが1位のソフトクリームです、一度食べてみる価値あり。

今日は中を探索しませんでしたが、「道の駅たちばな」は直売所としても充実しているようです。

(2011年「直売所甲子園」優勝。)

塩八女茶ソフトに大満足した後は、昼食へ移動。

「八女福島白壁の町並み」にある、そばの名店「そば季里 史蔵」(ふみのくら)。

(2010年開店。昭和初期に建てられた屋敷を改築。)

こんな感じで、「八女福島白壁の町並み」の一画にあります。

(写メした所が白壁がなくてイマイチ伝わりませんが、風情満点です。)

「八女福島白壁の町並み」は江戸後期から昭和初期までの伝統的な建築物が残る、国選定重要伝統的建造物群保存地区。

16世紀末、領主の筑紫広門がこの地に福島城を築城するも、一国一城制により約30年ほどで廃城されましたが、城下町は、その後、商人と職人の町として栄え、現在にも残る「八女福島の町並み」が形成されたそうです。

少々並びましたが、入店。

(店内にはジャズが流れています。見えているテーブル席の他、1階にはカウンター席も。急階段となりますが、2階席もあります。)

若き店主が修行した軽井沢の「きこり」というそば屋のお店の名前であろうお昼の御膳「きこり」を注文しました。

(主役のそばの脇を固めるのは、そばの実ご飯、天ぷら、豆腐(?)ハンバーグなど。これで1000円。)

他にも、つけ麺タイプの鴨南、天ぷらせいろ、そばアイス(?)など、魅力的なメニュー多数。

ごちそうさまでした。

 

土曜日朝から動くと気持ちがいいですね。

そう言えば、九州各地を旅行していますが、八女の街をじっくり歩いたことがないです、、、今が一番いい季節、ちょっと散策でもしてみようかな。

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