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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

当尾石仏めぐり ~ 当日編

2011年06月05日 | 旅行記

当尾石仏めぐり ~ 計画編」で立てたプランの当日です。

いつもなら早朝6時には出発するところですが、今日はわりとゆっくり。というのも、近鉄奈良駅から浄瑠璃寺行きへのバスの始発が9:19だからです。

遅れないように家を早めに出発したら、やっぱり近鉄奈良に早く着き過ぎて、、、まだ8:40。

朝から暑いので、空調の利いた屋内で時間つぶし。

目の前にある「観光総合案内所」が9時前に開いたので、ダメ元で「当尾(京都府)の石仏めぐりのマップはありますか?」と聞いたところ、「ありますよぉ」。

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奈良の観光案内所に、当尾=京都府の観光マップがありました。奈良、すごいぞ!

R0016722 (毎度おなじみ近鉄の「てくてくまっぷ」。)

近鉄の「てくてくまっぷ」はスグレもの。これがあれば道に迷うこともないし、距離感がそこそこ正確に分かります。無名の隠れスポットなどプチネタも載ってるし。

「お気を付けていってらっしゃいませ。」と案内所の方に送り出してもらって、気持ちのいいスタートとなりました。

 

浄瑠璃寺行きのバス停はメインのターミナルから外れた所にあります。結構人が並んでる、、、

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、、、と思ったら、浄瑠璃寺行きに乗った人は数人だけ。いつもながらの空きっぷりです。

R0016727 (バスの行き先表示が「国宝浄瑠璃寺」でした。「国宝」って書くかぁ、、、)

 

25分ぐらいで浄瑠璃寺に到着。

参道の土産物屋さん。ほぼこの一軒で、かつ、かなり素朴。誰も呼び込みなんてしてません。商売っ気ゼロ。

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さっそく入山(¥300也)。

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本堂「九体阿弥陀堂」。国宝です。藤原時代の建立。

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お堂の中にはこれまた国宝の「九体阿弥陀如来像」がいらっしゃいます。もちろん撮影禁止なので、パンフでご紹介。

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「阿弥陀如来中尊像」を挟んで両側に4体の計9体の如来像が並ぶ様は圧巻。一見の価値あり。素晴らしいです。

「三重塔」。こちらも国宝。同じく藤原時代の建立です。

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「三重塔」には秘仏「薬師如来像」がいらっしゃいますが、今日は開扉していません。

池越しに本堂を臨みます。

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浄瑠璃寺の伽藍配置には意味があります。

・・・本堂は「西方九体阿弥陀堂」、塔は「東方三重塔」と呼ばれ、東に居る薬師如来が、過去の因縁や無知で目覚めぬ暗黒無明の現世に光を当て、そこに住む人々の苦悩を抜苦与楽の法薬で救済し、阿弥陀如来の居る西方の極楽浄土へと遺送してくれる(送り出しくれる)・・・

というものです。勉強になります。

 

さて、浄瑠璃寺を出発し、いよいよ石仏めぐりです。

案内板もない路傍の「三尊仏」。右端が欠損したり、風化が進んでかなり傷んでいます。

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バス道沿いの崖の上の「長尾の阿弥陀如来」。立派な屋根石、美しい蓮弁の台座を持つ如来様です。写真では分かりづらいですが、かなりの大きさ。

R0016750 (1307年。)

次は、脇道に入って、浄瑠璃寺奥之院の「不動磨崖仏」を目指します。

R0016753 (藪蚊がうるさくて弱りました。虫よけスプレーは必須ですね。)

道はどんどん心細くなって、、、道しるべもしばらく放置されているような感じ、、、

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こんなん道ちゃうやん、、、どうしよう、引き返そうか、、、

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我慢して歩いていると、やっと水場に出ました。不動明王像はすぐそこ。一安心です。もちろん、誰とも出会いませんでした。

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滝を割る巨石の上に立つのが「不動明王像」。少し下の両脇に「矜羯羅」(こんがら)、「制多迦」(せいたか)の童子が控えます。合わせて「不動三尊」です。

R0016769 (不動明王は1296年。)

なかなかの迫力です。

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舗装道路に復帰して先に進みます。

名も無きお地蔵さん。手にされているのは箒じゃないですよね、、、

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「西小墓地の無縁地蔵」。梵字の石仏の数、何と300体。壮観です。

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西小(にしお)区公民館裏にある「たかの坊地蔵」。

R0016777 (「たかの坊地蔵」は鎌倉中期。あとのお地蔵さんは室町時代の作。)

「たかの坊地蔵」の後ろにある灯籠?が不思議な形をしています。

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西小のバス停から民家の間の道に入っていくと、「辻堂焼け仏」(つじんどう)があります。2mを超える大きさです。

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「辻堂焼け仏」は、鎌倉末期にいくつも建立された辻堂が火災に遭って、仏様だけが焼け出され残ったものです。首のあたりがひび割れ、表面が黒く焦げている痛々しいお姿です。

 

ここでちょうど「8」の字の1/4というところです。

地図がない昔、浄瑠璃寺までの距離を示す唯一の道しるべだった「丁石」が立っています。

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ここからは石仏が少しまばらになりますが、田植え直後の景色の美しさにわくわくしながら歩を進めます。

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田園風景と別れて、再び山道に入って行くと、程なく「大門仏谷の阿弥陀磨崖仏」の拝所。

谷越えに磨崖仏を拝みます。

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望遠で。

R0016793 (年代不明。鎌倉初期と推測。大きさは2.5m。)

ちなみに、阿弥陀如来と言われていますが、弥勒菩薩という説もあり、どちらなのか未だに確定していないそうです。

大門仏谷から10分程行くと、「大門無縁仏石像群」があります。

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この石像群は昔からこうだったわけではなく、大門地区の阿弥陀寺跡や鎮守社に放置?されていた石仏、石塔などを集めて、ここに安置しなおしたものとのことです。

といっても、苔のむし具合からして、相当昔のことのように思います。この地区の皆さんが昔から石仏を大切にしてきた気持ちが伝わってきます。

放射状に安置された石像群のすぐ近くにお地蔵さんも集められています。

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もうすぐ「8」の字のクロスポイント。その手前に「首切り地蔵(阿弥陀石仏)」というショッキングな名前のお地蔵さんがあります。

R0016806 (1262年。年代が銘記されている石仏では当尾最古です。)

「首切り」の由来は、「首のくびれが深いから」とか「昔ここが処刑場だったから」など諸説があるようです。

R0016808 (首のくびれ、確かに深いですね。)

「8」の字のクロスポイントに到着。ざっと行程の半分を来ました。現在11:40。いいペースです。

ここには「藪の中三尊仏」があります。右から、「十一面観音菩薩立像」、「地蔵菩薩立像」、「阿弥陀如来坐像」。

R0016811 (1262年。「首切り地蔵」と同じく、当尾最古です。)

 

さて、ここからは後半戦。

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スタートは、この「あたご灯籠」から。ちょっと「トトロ」風です。

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「あたご灯籠」は、通常、火の神様を祀る各地の愛宕山の参道沿いに建て燈明をお供えするものですが、この近辺には愛宕山もないことから、ここの灯籠は、火の用心を願う当尾の里人が夜の街灯として使っていたと思われます。

雰囲気ありますよねぇ。

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かなり暑くなってきました。スタートからずっと汗だくなので、クリーンカンティーンのボトルで水分補給しながらの散策です。夏の雲のよう。

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立ち入り禁止ですが、ここは「東小田原寺」(東小随願寺)跡です。実は、浄瑠璃寺はその昔「西小田原寺」と言いました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした。 (DS)
2011-06-05 01:26:25
お疲れ様でした。

いかにも奈良らしい、風情たっぷりのコースですね。
子供達を連れて行く場合は、「お地蔵さんを50人以上見つけろ」ゲームで楽しめると思います。 ^-^

天邪鬼がかわいいですね~。
秋に一度チャレンジしてみます!!
DSさん、お疲れ様です。 (mo)
2011-06-05 08:05:51
DSさん、お疲れ様です。
お地蔵さん、50人だったらあっという間に見つかっちゃうかも。というのも、小さな名も無きお地蔵さんが道端の土に結構埋まったり、置かれたりしています。
でも、鎌倉時代からある石仏だと思うと、何て長い間ここにいらっしゃるんだろうと感動すらします。自然と手を合わせてしましました。
道としては山の辺の道などにかなわないと思いますが、DSさんの工夫で子どもたちに楽しんでもらえればうれしいですね。
そうそう、なぜか外国人(欧米?)ツアーの団体に2回出会いました。石仏って外国人にウケるんですかね。
道端にいた青大将?を見て「Oh! スネイクッ!」って言ってました。
秋の紅葉の時期はいいでしょうねぇ。
では。

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