道新4月8日に掲載された文章の後半部分です。
吉田典史「震災死」は震災による死に目をそむけることなく、死の真実と向き合うことから人間のあり方を探ろうとしている。医療が学ぶべき点がちりばめられている。
医師には生きている人を診ることだけが仕事ではない。病気以外で亡くなった方々を診る任務もある。通称「検死」と呼ばれている。死体がその人の人生を語ってくれることがある。検死後、遺族に対するていねい説明も必要である。
病気による死は比較的ゆるやかに訪れる。事故や自然災害による死の多くが突然訪れる。突然の喪失は心の準備段階がなく遺族に心の傷を残しやすい。今回の津波や原発事故ではさらに、遺族自身も被害者であり、元の生活を持続できる状況にない。悲惨さが増幅しやすい。
家族を失くした際に起こる悲嘆は病気ではない。怒りと自責の念が湧きあがる。それらは自然な反応である。しかし、長く続くとさまざまな状況に分かれていく。悲嘆の意味を知ること、運命を受容する、死者と対話できることなどのように、自分自身の人生に折り合いがつけられると次第に悲嘆から回復できる。
しかし、「複雑性の悲嘆」があり、空虚感が続く、自分を責める、生前の言動に対する後悔、今後の人生での生きる意味を見いだせないなどの問題が長期に遺族を苦しめ、最悪の事態にもなりかねない事実を著者は取材を基に訴えている。
死から学ぶことは多い。それは祈りながら死と向き合うことである。
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