勝地涼くんのシピオン
正直私にとって、シピオンという人物はこの戯曲で一番理解しにくいキャラクターでした。
「理」のケレアに対する「感性」の人、純粋無垢といったイメージで語られることが多いシピオンですが、第三幕ではカリギュラに議論を仕掛けたりもするし、セゾニアやエリコンへの態度は小悪魔的とさえ見える。
勝地くんはこの戯曲について「これまで演じた作品の中でもとりわけ難解」と言ってましたが、なかでもシピオンはもっとも性格が見えにくい難役だと思うので、その心境を理解しようとした勝地くんの苦労がしのばれます。
公演パンフレットのインタビューでも「正直、僕には、シピオンが父親を殺されたにもかかわらず、カリギュラを愛し続けていることが不思議でならない。」と語っていますが、尊敬する人物は「父親」だという勝地くんだけに、シピオンの心理は想像を絶するものがあったろうと思います。
そしてこれは想像なんですが、おそらく彼はある時点でシピオンを「理解する」―彼の心境を理論的に解明する―ことを諦めたんじゃないでしょうか。
(2)でも書きましたが、シピオンはあまり物事を論理的に考えることをしない。もちろん馬鹿ではありませんが、自分を取り巻く世界をまず詩的感受性によって捉え、その場で湧きあがってくる感情のままに動く。
彼の行動原理がよくわからないのは、彼に論理的一貫性が乏しいゆえではないか。
前掲のインタビューの中で勝地くんは「台本を読んだだけでは分からなかった感情が、相手の演技から発見されることがあると思うんです」と述べています。
このインタビューには「感情」という言葉が多く登場する。勝地くんが自分のことを理屈っぽい性質だと評しているのを以前読みましたが、シピオンを演じるに当たって、彼は理屈でシピオンの人間像を捉えるのでなく、他者との関係の中で激しく揺れ動くシピオンのその時々の「感情」を素直に出してゆくことにしたんではないでしょうか。
あと興味深かったのは、上で引用した「~不思議でならない。」の少し後で、「たぶん、シピオンの頭の中には情緒的な音楽が流れているのかもしれません。」と続けていること。
シピオンは詩をメロディに乗せて歌う吟遊詩人とは違う。普通に節をつけることなく口ずさんだり、(作中にはシーンとして登場しませんが)文字で書き表したりしているはずなのに、勝地くんの中でシピオンは音楽と結びついているらしい。
おそらくそれは言葉というものが基本的に論理世界に属している(カリギュラやケレアの話し方に顕著です)のに対し、シピオンの言動がどうにも非論理的な、感性まかせのものであるゆえに、彼の詩心を表すのに言葉なしでも成立する芸術―音楽を連想したためじゃないでしょうか。
(2)の※5が指摘するこの戯曲の「言葉」(発話・書字両方)への忌避を考えると、シピオンの人間性を表すのに音楽を持ち出した勝地くんの感性の鋭さを感じます。自ら音痴をもって任じる勝地くんだけにちょっと意外な気もしますが(笑)。
これに続けて、
「『シブヤから遠く離れて』で初めて蜷川さんの舞台に出演させていただいたころ、よく聴いていた音楽があるんですが、この間久しぶりに聴いてみたんです。シピオンを演じるには真っ直ぐで純粋な気持ちが必要だと思って。」
とあるのには、以前映画『吉祥天女』の頃のインタビュー(『CREA』2007年7月号)で、
「自分がイケてないときは、以前出た舞台『シブヤから遠く離れて』の台本を引っ張り出します。あのときは計算せずに自然にやれた。冷や汗をかきながらも自分のすべてを使ってどうにかしようとしたから。野生ですよ。その感覚を思い出したくて。」
と話していたのを思い出しました。勝地くんにとって17歳当時の初舞台作品がどれほど大きな影響力をもっているのかがうかがえます。
(つづく)