・巌流島決闘の場面。禍々しいほど大きく赤い夕日のアップ。今見ると、色といい大きさといい蜷川さんの遺影をつい連想してしまう。もっともあれは太陽ではなく「赤い月」なのだそうですが(※1)。
ちなみに戯曲では「真昼の太陽」とあるので、この太陽を夕日のような赤にしたのは蜷川さんの発想なんでしょう。
・脚本を見ると二人の衣裳は色から素材(黒絹の小袖に細襷とか)まで細かく指定されている。全体に色・素材とも渋めな武蔵に対して小次郎は白絹の小袖に猩々緋の袖無羽織、裁附袴は葡萄色、と派手好みである。衣裳から二人の性格の違いを出そうということでしょうね。
・一瞬の交錯の後ばったり倒れる小次郎。武蔵は「まだ助かるかもしれない」と立ち会いの細川家中の人々に小次郎の手当てを請う。
冒頭部でもう武蔵は小次郎の命を救おうとしているわけで、少なくとも彼の側には勝負の決着がついた以上死なせる必要はないし死なせたくない、相手への憎しみなどないのがわかる。
まあ助けられた小次郎の側からすれば、なまじ情けをかけられた分より屈辱を感じる、かえって憎しみがつのったというのがあるのかも。
・場面転換。複数の竹林のセットが曲線を描きつつ舞台上に現れる。その動きもさることながら舞台床に映る竹のシルエットが美しい。能管の奏でる哀切なメロディーが印象的です。
演出補の井上尊晶さんによると初演と再演では音楽をかなり入れ替えていて、この新しいオープニング曲の最初の音は能の舞台の出だしの音楽を意識していたものだそうです。それによって劇の構造全体を夢幻能に仕立てたのだと(※2)。
蜷川さんはこの作品はもともと夢幻能を目指したものだと書いてらしたので(※3)、初演では伝わりにくかったそのあたりを、よりわかりやすく打ち出したということでしょうか。再演以降の劇評ではこの〈夢幻能仕立て〉について触れたものも出てきました(※4)。
・竹林と一緒に役者が並んだ寺(宝蓮寺)のセットも運ばれてくる。鐘の音数回に合わせて舞台が少し明るくなる。新たなシーンの幕開けを予告しています。
・平心の長台詞で宝蓮寺の成り立ちとここに揃った人々について説明する。寺開きの挨拶という形式を取ることで、彼らのバックボーンとここにいる理由を劇の最初に自然な形で紹介してしまうのは上手いやり方だなと思います。
・木屋まいと筆屋乙女が次々さらなる寄進の申し出を。この気前の良すぎる寄進は、後から思えば全部お芝居の一部だったわけで、そりゃいくらでも気前良くできるわけです。
ところで乙女の父の死の顛末は本当にああなのだろうか。乙女のような若いお嬢さんが寄進の主なのだから、どんな形にせよ父親が亡くなって彼女が若くして跡を継いでるのは間違いなさそうですが。
小次郎が後に茶屋のじいさんたちからまいの過去と乙女の父が死んだことを聞いたと話すところからすると、この場で語られる彼女たちの話はおよそのところ事実に則したもののようです。
・乙女が新たに寄進する畑について「大根のよく育つ畑でございます。禅寺のお粥のおかずには大根の貯え漬は欠かせないと、うかがっております」と説明したのを受けて平心が傍らの沢庵に「・・・・・・沢庵さま」と受けていいものかお伺いを立てる。
大根の漬け物の話の直後に沢庵の名が出るのについ笑ってしまった。というかそれを狙った台詞ですね。
「大根の貯え漬」も「沢庵漬け」と音が似てるし(「貯え漬」が「沢庵漬け」の語源という説もあるらしい)。
・上のようなやりとりの中、突然能を舞い始める柳生宗矩。「たしかに病気ですな」と、興が乗ると所構わず舞い始める宗矩の性癖が人の噂になっていることに沢庵が座禅の師として苦言を呈する。
この先この舞い癖がたびたび発揮されては笑いを取る役割を果たしています。この宗矩が人の家にまで押し入って舞い狂ったという話、(それを沢庵が諫めたことも含めて)なんと史実らしい。そんな人だったのかー(※5)。
・沢庵の説教に「ご直言、かたじけない」と一応の反省を示したあと、声を低めて「ところでいつお知恵を拝借できますかな」と囁く宗矩。沢庵も「この沢庵からも宗矩どのにお願いの筋がありましてな」と応じる。
直前の沢庵が宗矩を責めるシーンで宗矩の肩書を次々言わせた最後に「将軍家の政治顧問」というのが出てくるので、おそらくどちらの相談事も政治顧問としての立場に関わる話なのだろうと検討がつく。観客にそう想像させるために事前にさらっと台詞を仕込んでおくのが上手いです。
宗矩の腹に一物ありげな表情と扇子を少し広げて顔前にかざす仕種、沢庵のこれも一物ありげな笑顔とで、何か秘密の、悪巧みに近い内容の話なんだろうと感じさせる吉田さんと六平さんの演技も光っています。
・沢庵が宗矩に説教をしてる間にふいに姿を消す武蔵。どこへ行ったかと思えばお堂から降りて庭を見渡している。
その目の配りや緊張した表情で、場に飽きて庭を散策してるわけじゃない、何か異変を感じとったのだとわかります。
・自分からもお願いの筋がある、と言った後に沢庵は宗矩の肩ごしに平心に向かって「寺開きの住持挨拶をつづけなさい」と促す。
話は終了という合図であり、平心たちにこれ以上の話を聞かせたくなかったのだろうとも推察できる。
これも後から思えば全部芝居だったわけですが、武蔵も小次郎も聞いてないところでまで芝居をしているのが謎。いつ見られてるか聞かれてるかわからないのだから宝蓮寺にいる間は徹底的に演じ続けろという乙女の指示でもあったんでしょうか。
・戻ってきた武蔵は元の位置に座るが、何となく釈然としない様子。異変は見つからなかったが内心納得してないのだろう。
まだ舞台上に表れない小次郎の気配を察する武蔵もすごいし、その武蔵にはっきりと気づかせない小次郎もすごい。
・武蔵と宝蓮寺の関わりについて長々と話す平心。沢庵が弟子である武蔵にこの寺の作事奉行を頼んだ経緯を説明する。
この場合の作事奉行とはつまりこの寺を作る工事の監督といったところだろう。そんな仕事もできるのね。武蔵の口ぶりからすれば積極的に引き受けたようだし。
・「剣術を究め、茶の湯を、仏像彫りを、水墨画を究め、そしてこんどは寺の作事まで究めおったか。この究めたがり屋めが」と磊落に笑う沢庵。
武蔵を褒める文脈ではありますが、物事を究めたがる、執心するというのは本来禅的な無我の境地とは対極に位置するものなのでは。中盤で話題にのぼる「禅病」もまさにそうしたものだし。
「居つかない」ことが大事と考える(※6)井上さんであってみれば、一種皮肉を効かせた台詞のように思えます。
・武蔵の顔色が急に一変し、平心が武蔵の寺作りの活躍ぶりを語る間も目を見開いたまま感覚を研ぎ澄ませている。
それに気づかず平心は参籠の顔ぶれの豪華さ、寺の素晴らしさを得々と語り続ける。檀那を増やしお布施を蓄えていずれ建長寺、円覚寺を越える大寺にしたいなどと無邪気に野心まで語り出すに及んで沢庵が「挨拶が長い!」と一喝する。
沢庵を演じる幽霊は貧乏寺の断食僧で、寄進を募るための断食行中に命を落としているので、さすがに耳が痛かったのか。
・大人しく黙って小走りに壇上に挙がった平心は座り「沢庵さまのお説法ォ!」と沢庵に語り役を譲る。
過去の有名な僧侶が数日参籠ののち神やそれに類するものの啓示を受けた逸話を語る沢庵。この『ムサシ』を最後まで見終わった観客も、〈憎しみの連鎖を断ち切る〉ための啓示を与えられることを予告しているようでもあります。
・舞台袖近くの五輪塔のそばに深編笠の男が。ついに小次郎再登場。背に刀を指し前傾した姿勢がいかにも剣客らしくすぐにも斬りかかれるような臨戦態勢と見える。これだけでも小次郎の強さが伝わってきます。
・ゆっくりと前に出て塔の影から様子を窺う小次郎。数秒おいて武蔵がにわかに足元の木刀を取って立ち上がる。皆の後ろを一息に走ると鴨居上に置いた小太刀(木刀)まで取って、一度戻って下に降り戦いの態勢に。
この間ずっと武蔵走りっぱなし。ここまで静かな様子だった武蔵が一気に動に転じる。寺の作事の他にも茶の湯やら仏像彫りやらすっかり趣味人のようになっていると見えた武蔵が一皮剥けば生粋の剣客であることを鮮やかに示すシーン。
宝蓮寺の場になってから長台詞の連続だったので、芝居の緩急の上からもいいタイミングでの転換です。
・小次郎が笠を取ってやつれた顔を見せる。笠をばっと上後方に投げて、笑いと無表情の中間の表情で武蔵を見つめる。目の周りのクマ(のメイク)とやや青ざめた顔色に凄味がある。勝地くんがこれまで演じた中でも最高に鬼気迫る空気を纏った役だと思います。
『ヤメゴク』(2015年)最終回の佐野くんもまた別のニュアンスで鬼気迫るものがあったけれども。
※1-木俣冬「蜷川幸雄への弔辞から、蜷川幸雄を考える」(http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160519/E1463592312970.html)。「長女で写真家の蜷川実花が撮った遺影の背景になっている格子越しの桜と赤い月は代表作『NINAGAWA・マクベス』の舞台美術で、これをはじめとして、蜷川の舞台には常に鮮烈なビジュアルがあった。」
※2-「音楽とかを、結構入れ替えたんですね初演と。まるっきり入れ替えてオープニングの曲なんかは全然違うんですね。頭にお能が始まる時の、能楽の音から始まっていくっていう、(中略)劇全体を夢幻能ってスタイルに変えたってこというのが一番大きいかなあと。」(『BSスカパー!STAGE LEGEND♯2 ムサシ ロンドン・NYバージョン』(2015年4月22日放映)での井上尊晶さんインタビュー)
※3-「初演の批評では誰も指摘しませんでしたが、この作品は夢幻能として書かれています。」(『ムサシ ロンドン・NYバージョン』パンフレットのコメント)
※4-「『ムサシ』には、世阿弥の開発した前後二場構成からなる、複式夢幻能の形式が引用されている。ある土地を訪れた旅人の前に、現実世界を超越した亡霊などが何者かになりすまし、化身の姿で現れる前場。中入り後に本来の姿を現した亡霊たちが想いを語る後場という仕組みである。橋掛かりを通ってここへやって来た旅人である武蔵と小次郎に、これ以上無益な殺し合いをさせまいと、五人六脚やタンゴ、『蛸』の舞狂言、『孝行狸』の新作能といった方策を繰り出すのが、実は柳生宗矩に沢庵、寺の住持や檀那になりすました死者たちだった。」(今村紅子「ブロードウェイと井上ひさし」『国文学 解釈と鑑賞957 特集 井上ひさしと世界』(至文堂、2011年2月号)
※5-この話、ようやく裏が取れました(出典が何かわかってはいたのですが、確認するのが間に合わなかった)。沢庵が著し宗矩に贈ったとされる『不動智神妙録』です。最後の方に「貴殿乱舞を好み、自身の能に奢り、諸大名衆へ押て参られ、能を勧められ候事、偏に病と存じ候なり。上の唱は猿楽の様に申し候由。」というくだりがあります(引用元は『沢庵和尚全集 第5巻』(日本図書センター、2001年)。原文は旧字旧かな)。さすがに全く見知らぬ人の家にいきなりずかずか上がり込んで舞い始めたわけではなく(そういう意味かと思っていた)、知り合いの、彼に逆らえない立場の人の家に強引に訪ねていって、能の良さを布教しまくった(その際に舞ってみせた?)ということのようです。これならまあ〈こういう迷惑な人ときどきいるよなあ〉って感じで理解できます。いきなり見知らぬ他人の家に押し入って踊りだすんじゃ本当に頭の病気だ。もっとも沢庵の台詞は多分にそう受け取れる言い回しだったりするが・・・。
※6-「たとえば武蔵は武芸の極意を次のように説いた。〈常に視野を広くとって出来事の真実を見究め、緊張することなく、また少しもだらけず、心が片寄らぬように真ん中において、しかもその心を静かにゆるがせ、そのゆるぎが一瞬も止まらぬよう、いつも流動自在に心を保つこと〉(『五輪書』水の巻)(中略)武蔵は、兵法の道においては心を居つかせてはならないと書き遺したのだった。 この「心が居ついていない」という心の在り方をわたしたちも日常でしばしば経験する。いい仕事をしているときは、無限のことを考えながらも、しかし無心である。これは物書きにしても、料理人にしても、大工職にしても、帳簿記入係にしても同じだろう。様ざまなことを考えながらも手は自在に動いている。これが心が居ついていないということなのだ。(井上ひさし・樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』(岩波現代文庫、2014年(オリジナルは講談社、1994年)井上ひさし「プロローグ 憲法の前に剣法の話をちょっと」)
9/17追記-注5の内容を追加しました。それにしたがって以降の注の番号を一つずらしました。
ちなみに戯曲では「真昼の太陽」とあるので、この太陽を夕日のような赤にしたのは蜷川さんの発想なんでしょう。
・脚本を見ると二人の衣裳は色から素材(黒絹の小袖に細襷とか)まで細かく指定されている。全体に色・素材とも渋めな武蔵に対して小次郎は白絹の小袖に猩々緋の袖無羽織、裁附袴は葡萄色、と派手好みである。衣裳から二人の性格の違いを出そうということでしょうね。
・一瞬の交錯の後ばったり倒れる小次郎。武蔵は「まだ助かるかもしれない」と立ち会いの細川家中の人々に小次郎の手当てを請う。
冒頭部でもう武蔵は小次郎の命を救おうとしているわけで、少なくとも彼の側には勝負の決着がついた以上死なせる必要はないし死なせたくない、相手への憎しみなどないのがわかる。
まあ助けられた小次郎の側からすれば、なまじ情けをかけられた分より屈辱を感じる、かえって憎しみがつのったというのがあるのかも。
・場面転換。複数の竹林のセットが曲線を描きつつ舞台上に現れる。その動きもさることながら舞台床に映る竹のシルエットが美しい。能管の奏でる哀切なメロディーが印象的です。
演出補の井上尊晶さんによると初演と再演では音楽をかなり入れ替えていて、この新しいオープニング曲の最初の音は能の舞台の出だしの音楽を意識していたものだそうです。それによって劇の構造全体を夢幻能に仕立てたのだと(※2)。
蜷川さんはこの作品はもともと夢幻能を目指したものだと書いてらしたので(※3)、初演では伝わりにくかったそのあたりを、よりわかりやすく打ち出したということでしょうか。再演以降の劇評ではこの〈夢幻能仕立て〉について触れたものも出てきました(※4)。
・竹林と一緒に役者が並んだ寺(宝蓮寺)のセットも運ばれてくる。鐘の音数回に合わせて舞台が少し明るくなる。新たなシーンの幕開けを予告しています。
・平心の長台詞で宝蓮寺の成り立ちとここに揃った人々について説明する。寺開きの挨拶という形式を取ることで、彼らのバックボーンとここにいる理由を劇の最初に自然な形で紹介してしまうのは上手いやり方だなと思います。
・木屋まいと筆屋乙女が次々さらなる寄進の申し出を。この気前の良すぎる寄進は、後から思えば全部お芝居の一部だったわけで、そりゃいくらでも気前良くできるわけです。
ところで乙女の父の死の顛末は本当にああなのだろうか。乙女のような若いお嬢さんが寄進の主なのだから、どんな形にせよ父親が亡くなって彼女が若くして跡を継いでるのは間違いなさそうですが。
小次郎が後に茶屋のじいさんたちからまいの過去と乙女の父が死んだことを聞いたと話すところからすると、この場で語られる彼女たちの話はおよそのところ事実に則したもののようです。
・乙女が新たに寄進する畑について「大根のよく育つ畑でございます。禅寺のお粥のおかずには大根の貯え漬は欠かせないと、うかがっております」と説明したのを受けて平心が傍らの沢庵に「・・・・・・沢庵さま」と受けていいものかお伺いを立てる。
大根の漬け物の話の直後に沢庵の名が出るのについ笑ってしまった。というかそれを狙った台詞ですね。
「大根の貯え漬」も「沢庵漬け」と音が似てるし(「貯え漬」が「沢庵漬け」の語源という説もあるらしい)。
・上のようなやりとりの中、突然能を舞い始める柳生宗矩。「たしかに病気ですな」と、興が乗ると所構わず舞い始める宗矩の性癖が人の噂になっていることに沢庵が座禅の師として苦言を呈する。
この先この舞い癖がたびたび発揮されては笑いを取る役割を果たしています。この宗矩が人の家にまで押し入って舞い狂ったという話、(それを沢庵が諫めたことも含めて)なんと史実らしい。そんな人だったのかー(※5)。
・沢庵の説教に「ご直言、かたじけない」と一応の反省を示したあと、声を低めて「ところでいつお知恵を拝借できますかな」と囁く宗矩。沢庵も「この沢庵からも宗矩どのにお願いの筋がありましてな」と応じる。
直前の沢庵が宗矩を責めるシーンで宗矩の肩書を次々言わせた最後に「将軍家の政治顧問」というのが出てくるので、おそらくどちらの相談事も政治顧問としての立場に関わる話なのだろうと検討がつく。観客にそう想像させるために事前にさらっと台詞を仕込んでおくのが上手いです。
宗矩の腹に一物ありげな表情と扇子を少し広げて顔前にかざす仕種、沢庵のこれも一物ありげな笑顔とで、何か秘密の、悪巧みに近い内容の話なんだろうと感じさせる吉田さんと六平さんの演技も光っています。
・沢庵が宗矩に説教をしてる間にふいに姿を消す武蔵。どこへ行ったかと思えばお堂から降りて庭を見渡している。
その目の配りや緊張した表情で、場に飽きて庭を散策してるわけじゃない、何か異変を感じとったのだとわかります。
・自分からもお願いの筋がある、と言った後に沢庵は宗矩の肩ごしに平心に向かって「寺開きの住持挨拶をつづけなさい」と促す。
話は終了という合図であり、平心たちにこれ以上の話を聞かせたくなかったのだろうとも推察できる。
これも後から思えば全部芝居だったわけですが、武蔵も小次郎も聞いてないところでまで芝居をしているのが謎。いつ見られてるか聞かれてるかわからないのだから宝蓮寺にいる間は徹底的に演じ続けろという乙女の指示でもあったんでしょうか。
・戻ってきた武蔵は元の位置に座るが、何となく釈然としない様子。異変は見つからなかったが内心納得してないのだろう。
まだ舞台上に表れない小次郎の気配を察する武蔵もすごいし、その武蔵にはっきりと気づかせない小次郎もすごい。
・武蔵と宝蓮寺の関わりについて長々と話す平心。沢庵が弟子である武蔵にこの寺の作事奉行を頼んだ経緯を説明する。
この場合の作事奉行とはつまりこの寺を作る工事の監督といったところだろう。そんな仕事もできるのね。武蔵の口ぶりからすれば積極的に引き受けたようだし。
・「剣術を究め、茶の湯を、仏像彫りを、水墨画を究め、そしてこんどは寺の作事まで究めおったか。この究めたがり屋めが」と磊落に笑う沢庵。
武蔵を褒める文脈ではありますが、物事を究めたがる、執心するというのは本来禅的な無我の境地とは対極に位置するものなのでは。中盤で話題にのぼる「禅病」もまさにそうしたものだし。
「居つかない」ことが大事と考える(※6)井上さんであってみれば、一種皮肉を効かせた台詞のように思えます。
・武蔵の顔色が急に一変し、平心が武蔵の寺作りの活躍ぶりを語る間も目を見開いたまま感覚を研ぎ澄ませている。
それに気づかず平心は参籠の顔ぶれの豪華さ、寺の素晴らしさを得々と語り続ける。檀那を増やしお布施を蓄えていずれ建長寺、円覚寺を越える大寺にしたいなどと無邪気に野心まで語り出すに及んで沢庵が「挨拶が長い!」と一喝する。
沢庵を演じる幽霊は貧乏寺の断食僧で、寄進を募るための断食行中に命を落としているので、さすがに耳が痛かったのか。
・大人しく黙って小走りに壇上に挙がった平心は座り「沢庵さまのお説法ォ!」と沢庵に語り役を譲る。
過去の有名な僧侶が数日参籠ののち神やそれに類するものの啓示を受けた逸話を語る沢庵。この『ムサシ』を最後まで見終わった観客も、〈憎しみの連鎖を断ち切る〉ための啓示を与えられることを予告しているようでもあります。
・舞台袖近くの五輪塔のそばに深編笠の男が。ついに小次郎再登場。背に刀を指し前傾した姿勢がいかにも剣客らしくすぐにも斬りかかれるような臨戦態勢と見える。これだけでも小次郎の強さが伝わってきます。
・ゆっくりと前に出て塔の影から様子を窺う小次郎。数秒おいて武蔵がにわかに足元の木刀を取って立ち上がる。皆の後ろを一息に走ると鴨居上に置いた小太刀(木刀)まで取って、一度戻って下に降り戦いの態勢に。
この間ずっと武蔵走りっぱなし。ここまで静かな様子だった武蔵が一気に動に転じる。寺の作事の他にも茶の湯やら仏像彫りやらすっかり趣味人のようになっていると見えた武蔵が一皮剥けば生粋の剣客であることを鮮やかに示すシーン。
宝蓮寺の場になってから長台詞の連続だったので、芝居の緩急の上からもいいタイミングでの転換です。
・小次郎が笠を取ってやつれた顔を見せる。笠をばっと上後方に投げて、笑いと無表情の中間の表情で武蔵を見つめる。目の周りのクマ(のメイク)とやや青ざめた顔色に凄味がある。勝地くんがこれまで演じた中でも最高に鬼気迫る空気を纏った役だと思います。
『ヤメゴク』(2015年)最終回の佐野くんもまた別のニュアンスで鬼気迫るものがあったけれども。
※1-木俣冬「蜷川幸雄への弔辞から、蜷川幸雄を考える」(http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160519/E1463592312970.html)。「長女で写真家の蜷川実花が撮った遺影の背景になっている格子越しの桜と赤い月は代表作『NINAGAWA・マクベス』の舞台美術で、これをはじめとして、蜷川の舞台には常に鮮烈なビジュアルがあった。」
※2-「音楽とかを、結構入れ替えたんですね初演と。まるっきり入れ替えてオープニングの曲なんかは全然違うんですね。頭にお能が始まる時の、能楽の音から始まっていくっていう、(中略)劇全体を夢幻能ってスタイルに変えたってこというのが一番大きいかなあと。」(『BSスカパー!STAGE LEGEND♯2 ムサシ ロンドン・NYバージョン』(2015年4月22日放映)での井上尊晶さんインタビュー)
※3-「初演の批評では誰も指摘しませんでしたが、この作品は夢幻能として書かれています。」(『ムサシ ロンドン・NYバージョン』パンフレットのコメント)
※4-「『ムサシ』には、世阿弥の開発した前後二場構成からなる、複式夢幻能の形式が引用されている。ある土地を訪れた旅人の前に、現実世界を超越した亡霊などが何者かになりすまし、化身の姿で現れる前場。中入り後に本来の姿を現した亡霊たちが想いを語る後場という仕組みである。橋掛かりを通ってここへやって来た旅人である武蔵と小次郎に、これ以上無益な殺し合いをさせまいと、五人六脚やタンゴ、『蛸』の舞狂言、『孝行狸』の新作能といった方策を繰り出すのが、実は柳生宗矩に沢庵、寺の住持や檀那になりすました死者たちだった。」(今村紅子「ブロードウェイと井上ひさし」『国文学 解釈と鑑賞957 特集 井上ひさしと世界』(至文堂、2011年2月号)
※5-この話、ようやく裏が取れました(出典が何かわかってはいたのですが、確認するのが間に合わなかった)。沢庵が著し宗矩に贈ったとされる『不動智神妙録』です。最後の方に「貴殿乱舞を好み、自身の能に奢り、諸大名衆へ押て参られ、能を勧められ候事、偏に病と存じ候なり。上の唱は猿楽の様に申し候由。」というくだりがあります(引用元は『沢庵和尚全集 第5巻』(日本図書センター、2001年)。原文は旧字旧かな)。さすがに全く見知らぬ人の家にいきなりずかずか上がり込んで舞い始めたわけではなく(そういう意味かと思っていた)、知り合いの、彼に逆らえない立場の人の家に強引に訪ねていって、能の良さを布教しまくった(その際に舞ってみせた?)ということのようです。これならまあ〈こういう迷惑な人ときどきいるよなあ〉って感じで理解できます。いきなり見知らぬ他人の家に押し入って踊りだすんじゃ本当に頭の病気だ。もっとも沢庵の台詞は多分にそう受け取れる言い回しだったりするが・・・。
※6-「たとえば武蔵は武芸の極意を次のように説いた。〈常に視野を広くとって出来事の真実を見究め、緊張することなく、また少しもだらけず、心が片寄らぬように真ん中において、しかもその心を静かにゆるがせ、そのゆるぎが一瞬も止まらぬよう、いつも流動自在に心を保つこと〉(『五輪書』水の巻)(中略)武蔵は、兵法の道においては心を居つかせてはならないと書き遺したのだった。 この「心が居ついていない」という心の在り方をわたしたちも日常でしばしば経験する。いい仕事をしているときは、無限のことを考えながらも、しかし無心である。これは物書きにしても、料理人にしても、大工職にしても、帳簿記入係にしても同じだろう。様ざまなことを考えながらも手は自在に動いている。これが心が居ついていないということなのだ。(井上ひさし・樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』(岩波現代文庫、2014年(オリジナルは講談社、1994年)井上ひさし「プロローグ 憲法の前に剣法の話をちょっと」)
9/17追記-注5の内容を追加しました。それにしたがって以降の注の番号を一つずらしました。