2007年1月22日号に、「花屋の店先から役者への扉が開いた」というタイトルで勝地くんのロングインタビューが掲載されました。
これまでに読んできた彼のインタビューのうちでも、分量・内容ともに充実度では5本の指に入りそうです。
デビューのきっかけになったスカウトの話、『永遠の仔』で芝居の楽しさに目覚めたことなどはファンならよく知っている話題ですが、中学に入ってみたら硬式の野球部がなかった、というのは初耳でした(その後「Kitkat Breaktown」の七夕企画の中でも話してました)。
子供の頃は野球選手に憧れてたという彼がなぜ中学でバスケ部だったのか不思議だったんですが、疑問氷解。
もし硬式野球部があったなら、彼はスカウトを断ってひたすら野球に邁進していたのかも。役者・勝地涼のファンとして、中学に野球部がなかった幸運につくづく感謝してしまいました。
しかし「ロケの何日かあと」(『はなまるカフェ』他では翌日と話してます)事務所からスカウトの電話があったそうですが、普段から近所の人間以外もたくさん集まってくる土地柄(繁華街)にもかかわらず事務所の方がお母さんのお店に連絡したのは、勝地くんがお店の関係者っぽい、「勝手知ったるわが家」な雰囲気だったんでしょうね。
その場ですぐスカウトせずに後日連絡したのも、目下の業務(役者さんのケア)で忙しかったからだけでなく、「お店に聞けば身元がわかるだろう」と思ったからじゃないかなと想像。
そして『亡国のイージス』の如月行役に選ばれた経緯。2004年3月公演の舞台『シブヤから遠く離れて』を『イージス』のスタッフの方、ついで監督が観劇されて、それでオーディションに呼ばれたとのこと。
これについては『キネマ旬報』2005年8月上旬号で『イージス』原作者の福井晴敏さんが、
「もともと監督とプロデューサーが舞台でいい若者を見つけてきたという話は聞いていたんですけど、『あっ、コイツだな』ってすぐにわかりましたよ。それだけ最初から光っていました。」
と話してらっしゃいましたが、ここでさらに詳しい状況を知ることができました。
『CREA』2007年7月号や同年11月~12月公演の舞台『カリギュラ』のパンフレットのコメントを見ても、初舞台だった『シブヤ~』が彼に残したものはすごく大きかったんだなと感じます。
錚々たる役者陣との共演+原作での如月行の人気の高さに「あれこれ考えたり悩んだりしました」そうですが、このころ彼は大学に進学するか俳優一本で行くかでも悩んでたはず。
(『小栗旬のオールナイトニッポン』出演時(2007年12月5日放送)に「今までで一番悩んだ時期」と言っていました)
「仕事を始めてから、すごく緊張するタチになりましたね。」「なんでこんなに考え込んじゃうタイプなんだろう」と語る彼だけに、当時どれほどのストレスを抱えていたのか。
けれどいい意味で場慣れしないからこそ、どんな役にも手を抜くことなく取り組んでゆけるのだろうとも感じます。
「僕の力量というかキャパシティが100だとして、どう頑張ったところで並み居るベテランの方々の、200や300という域には届かない。それでも今ある力を目いっぱい出せば、120くらいにはなるかもしれない。そうやって少しずつ、キャパを広げていければいいと、今は考えています。」という発言にも彼の俳優としての真摯な姿勢、静かな熱さがはっきり表れています。
しかしこのインタビュー当時彼はまだ二十歳と数ヶ月だったわけで――大人だなあ。
外見的にはまだまだ少年の面影が色濃いのに、精神的には、悩んで努力して各現場でさまざまの事を吸収して、人の数倍の早さで成長し続けてるように思います。しかも少年らしい純粋さを減じることなく。
ついで友人や先輩との交流エピソードも実に暖かい。
全然サプライズになってないサプライズ(二十歳のバースディ)パーティーをやってくれる草野球チームの面々、『イージス』撮影当時の「20歳になったら飲みに連れていってやる」約束をしっかり履行してくれた吉田栄作さん――彼の回りは優しい空気に包まれているんだなあとしみじみ嬉しくなってしまいました。
最後に勝地くん流緊張をほぐす方法。これは面接の時などに役に立ちそうです。
そして、「せっかく会ってもらったんだから、相手に何かを思ってもらえるように答える。(中略)単にハキハキ元気よく「頑張りますっ、お願いしますっ」というのは嫌なんです。ちゃんと自分で考えたことを話したい。」
「せっかく会ってもらった」という表現にはわざわざ時間を割いてくれている相手に対する感謝と敬意が、「嫌なんです」「自分で考えたことを話したい。」というきっぱりした語調には人一倍繊細でありながら決して揺るがない芯の強さがはっきりとうかがえて、背筋が伸びる心地がしました。彼がオーディションに強いというのも納得ですね。
これまでに読んできた彼のインタビューのうちでも、分量・内容ともに充実度では5本の指に入りそうです。
デビューのきっかけになったスカウトの話、『永遠の仔』で芝居の楽しさに目覚めたことなどはファンならよく知っている話題ですが、中学に入ってみたら硬式の野球部がなかった、というのは初耳でした(その後「Kitkat Breaktown」の七夕企画の中でも話してました)。
子供の頃は野球選手に憧れてたという彼がなぜ中学でバスケ部だったのか不思議だったんですが、疑問氷解。
もし硬式野球部があったなら、彼はスカウトを断ってひたすら野球に邁進していたのかも。役者・勝地涼のファンとして、中学に野球部がなかった幸運につくづく感謝してしまいました。
しかし「ロケの何日かあと」(『はなまるカフェ』他では翌日と話してます)事務所からスカウトの電話があったそうですが、普段から近所の人間以外もたくさん集まってくる土地柄(繁華街)にもかかわらず事務所の方がお母さんのお店に連絡したのは、勝地くんがお店の関係者っぽい、「勝手知ったるわが家」な雰囲気だったんでしょうね。
その場ですぐスカウトせずに後日連絡したのも、目下の業務(役者さんのケア)で忙しかったからだけでなく、「お店に聞けば身元がわかるだろう」と思ったからじゃないかなと想像。
そして『亡国のイージス』の如月行役に選ばれた経緯。2004年3月公演の舞台『シブヤから遠く離れて』を『イージス』のスタッフの方、ついで監督が観劇されて、それでオーディションに呼ばれたとのこと。
これについては『キネマ旬報』2005年8月上旬号で『イージス』原作者の福井晴敏さんが、
「もともと監督とプロデューサーが舞台でいい若者を見つけてきたという話は聞いていたんですけど、『あっ、コイツだな』ってすぐにわかりましたよ。それだけ最初から光っていました。」
と話してらっしゃいましたが、ここでさらに詳しい状況を知ることができました。
『CREA』2007年7月号や同年11月~12月公演の舞台『カリギュラ』のパンフレットのコメントを見ても、初舞台だった『シブヤ~』が彼に残したものはすごく大きかったんだなと感じます。
錚々たる役者陣との共演+原作での如月行の人気の高さに「あれこれ考えたり悩んだりしました」そうですが、このころ彼は大学に進学するか俳優一本で行くかでも悩んでたはず。
(『小栗旬のオールナイトニッポン』出演時(2007年12月5日放送)に「今までで一番悩んだ時期」と言っていました)
「仕事を始めてから、すごく緊張するタチになりましたね。」「なんでこんなに考え込んじゃうタイプなんだろう」と語る彼だけに、当時どれほどのストレスを抱えていたのか。
けれどいい意味で場慣れしないからこそ、どんな役にも手を抜くことなく取り組んでゆけるのだろうとも感じます。
「僕の力量というかキャパシティが100だとして、どう頑張ったところで並み居るベテランの方々の、200や300という域には届かない。それでも今ある力を目いっぱい出せば、120くらいにはなるかもしれない。そうやって少しずつ、キャパを広げていければいいと、今は考えています。」という発言にも彼の俳優としての真摯な姿勢、静かな熱さがはっきり表れています。
しかしこのインタビュー当時彼はまだ二十歳と数ヶ月だったわけで――大人だなあ。
外見的にはまだまだ少年の面影が色濃いのに、精神的には、悩んで努力して各現場でさまざまの事を吸収して、人の数倍の早さで成長し続けてるように思います。しかも少年らしい純粋さを減じることなく。
ついで友人や先輩との交流エピソードも実に暖かい。
全然サプライズになってないサプライズ(二十歳のバースディ)パーティーをやってくれる草野球チームの面々、『イージス』撮影当時の「20歳になったら飲みに連れていってやる」約束をしっかり履行してくれた吉田栄作さん――彼の回りは優しい空気に包まれているんだなあとしみじみ嬉しくなってしまいました。
最後に勝地くん流緊張をほぐす方法。これは面接の時などに役に立ちそうです。
そして、「せっかく会ってもらったんだから、相手に何かを思ってもらえるように答える。(中略)単にハキハキ元気よく「頑張りますっ、お願いしますっ」というのは嫌なんです。ちゃんと自分で考えたことを話したい。」
「せっかく会ってもらった」という表現にはわざわざ時間を割いてくれている相手に対する感謝と敬意が、「嫌なんです」「自分で考えたことを話したい。」というきっぱりした語調には人一倍繊細でありながら決して揺るがない芯の強さがはっきりとうかがえて、背筋が伸びる心地がしました。彼がオーディションに強いというのも納得ですね。