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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

Googleレンズと散歩で発見! AI時代の自然体験学習

2025年08月28日 | エッセイ
コロナ6年8月28日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸いながら、堤防を歩くのが、私の毎朝のルーティーンだ。

 季節ごとに表情を変える草花や樹木は、いつもながらの友達のような存在である。

 ある日、ふと一つの植物に目が留まった。左右非対称の、大きくて珍しい葉をつけている。「ああ、これはきっとコウゾの仲間だ。ひょっとしたらヒメコウゾかもしれないな」。コウゾは古来、和紙の原料として使われてきた植物だ。紙幣の原料でもある。そう思うと、この葉の一枚一枚が、歴史と文化を紡いできた繊維の源に見えてきて、愛おしささえ覚える。

 そして、その時、ふと閃いた。
「そうだ、今の子ども達なら、こんな時すぐにGoogleレンズを使うだろう」

 Googleレンズは、スマートフォンのカメラを向けるだけで、植物の名前はおろか、詳しい情報まで教えてくれるAIの目だ。知識がなくても、好奇心さえあれば、世界への扉がたちまち開かれる。今はまさにそんな時代ではないか。

 これこそが、AI時代の新しい学びの形ではないだろうか。
「講座のテーマは決まったね。『Googleレンズで巡る 堤防自然観察会』とでもしようか」

 この講座の目的は二つある。
一つは、ツールの使い方を覚えること。しかし、それ以上に大切なのは、**体験を通じて自然と直接対話すること**だ。画面に表示される名前を覚えるだけが勉強ではない。その植物に実際に触れ、匂いを嗅ぎ、なぜそこに生えているのかを考え、風に揺れる葉の音に耳を傾ける。**五感をフルに使う体験こそが、知識を単なる情報から、心と体に染み込む「知恵」に変える**のだ。

 AIは最高のガイドブックになる。だが、それを手にし、実際に足を運び、自分の感覚で発見する主体は、あくまでも私たち自身だ。

 新しい時代は、道具を使いこなし、その先にある本質的な体験を大切にする時代だ。私は78歳になった今、また新しい講座を創ろうとわくわくしている。かつて教室で子どもたちに伝えたかった「学ぶ楽しさ」の本質を、最新のテクノロジーを使って伝えられるのだから。

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我以外、皆友であり師匠である

2025年08月26日 | エッセイ


「孤独死」という言葉が、一人の最期を否定的に表現する言葉として蔓延しています。確かに、人は生まれる時も、最期の時を迎える時も、物理的に一人です。しかし、はたしてそれは本当に「孤独」なのでしょうか。

「孤独」というのは、物理的な状態ではなく、自分は誰とも繋がっていない、と「捉える心」が生み出す幻想なのではないかと、私は78年の人生を経て感じるようになりました。

「我以外、皆師匠である」
この言葉の通り、自分以外のすべては、共に生きる仲間であり、教えをくれる師匠です。視野をほんの少し広げてみれば、そこには無数の「仲間」がいます。窓の外に咲く一輪の花、そよぐ風、遠くに聳える山々。それらはすべて、静かに、しかし確かに私たちの存在を認め、共にこの瞬間を生きています。もちろん、人間同士の絆も尊いものです。

言葉を交わさずとも、私たちはこの世界のすべてと「以心伝心」で繋がっています。目には見えない大きな命の循環の一部であるという感覚、それこそが「孤独」という幻想を消し去る力になります。

毎日を生きるとは、この無数の繋がりの中で生かされていることを胸に抱き、その一つ一つの縁(えにし)に感謝しながら歩んでいくことなのではないでしょうか。そうすれば、自ずと毎日は輝き、生き生きとしたものになっていく。私は、そう信じて今日も歩みを続けています。
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一人じゃない 詩

2025年08月26日 | 
ひとり と さみしい は
ちがうのだと 気づいた
いのちの終わりも 始まりも
確かに たったひとり
でも そのあいだを つなぐのは
無数の いのちの リレー

となりで 揺れる 小さな草
その根っこは 大地と 握手をしている
窓辺に とまった 一羽の蝶
はばたきは 遠い風の ささやき

言葉など なくても いい
同じ星の 息吹を 吸って
共に 刻を 紡いでいる
わたし以外は すべて
師であり 仲間であり 友

孤独という レンズを はずせば
世界は 優しい つながりで
満ちていた
そっと 手のひらを ひらいて
風に ふれる
わたしは もう ひとりじゃない
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白い月 詩

2025年08月20日 | 
空にぽつんと浮かぶ昼の月
夏の熱を忘れたかのように
涼しげに淋しげにただそこにいる
遠い日の記憶が蘇る

ああ貴方を見たのはきっと二度目
あの時も私は一人空を見上げていた
貴方もまた遠くから私を見ているのだろうか

視線が結び合うこの不思議な一瞬
言葉はいらない
ただ互いに見つめ合う
貴方は私私は貴方
空と私一つになる
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空席のむこう 詩

2025年08月17日 | 
空席の向こう

空の椅子が 浜名湖を映す
さっきまでこの席にいた私が
遠くなる

風は涼し 水面きらめく
過ぎた時は 容赦なく流れ
セミの声

78年の重さを
湖面に浮かべ ただ見つめ
残る残暑
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天空の半月 詩

2025年08月15日 | 
天空に半月浮かぶ
夏の日の朝

空を 静かに渡り
風の音も 遠くなる

私の瞳に
澄み入りて
心ひとひら 涼しくなる
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短編小説 一本の糸 

2025年08月12日 | 小説

 山本先生は、定年まで三十六年間、小学校で教壇に立ってきた。
 退職後も教育への興味は消えず、地域の勉強会や図書館で、新しい教育の動きについて調べる日々が続いていた。最近耳にする「新しい学びの方法」も、その一つだった。

 ただ、調べれば調べるほど、専門的な言葉や図解が並び、ますますわからなくなる。書かれていることは立派だが、肝心の「それが何のためにあるのか」が見えてこないのだ。

 ある日、近所の公園で、二人の小学生が凧揚げをしているのを見かけた。凧はなかなか上がらず、二人は何度も走っては転び、笑いながら工夫を重ねていた。糸を長くしてみたり、角度を変えてみたり──。やがて風をつかみ、凧は青空高く舞い上がった。

 その瞬間、先生の頭の中で何かがつながった。
 「そうか、学びはあれと同じだ。」

 凧の糸は一本。そこからすべてが始まる。
 その一本をしっかり握り、風や状況に合わせて工夫しながら高く飛ばす。それが「学びの本質」ではないか。

 先生は帰宅すると、改めて新しい教育の資料を読み返した。すると、難しい説明の奥に、確かに一本の糸が通っていることに気づいた。それは「現実の課題を、自分で考え、自分の力で解決していくための学び」ということだ。

 翌週の地域講座で、先生は黒板に一本の線を引き、こう言った。
 「学びは、この一本の糸のようなものです。難しい理論は、この糸が広がり絡み合ってできた形にすぎません。大事なのは、この糸を見失わないことです。」

 その言葉に、受講者たちはうなずき、先生自身も静かな満足を覚えた。
 長年探していた答えは、最初からシンプルな姿で、自分の手の中にあったのだ。

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同じ10グラムでも違う  詩

2025年08月11日 | 

同じ豆
同じ重さ
同じ皿の上でも
体はそれぞれ
違う物語を描く

数字だけでは
測れない命の力
それは腸の声
それは体の記憶
そして生き方の色

78年の旅路で
ようやく知った
栄養は
人と人の間に
ひそやかに違いを宿すということ
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新しい栄養学

2025年08月11日 | 健康
 従来の栄養学にこだわっていると大変なことになります。時代は日々変化しています。松尾芭蕉は奥の細道で不易流行を説いています。諸行無常と言う仏教の言葉があります。こうしていても日々刻々と変化をしています。私たちは何が不易で、何が流行かを気づかねばなりません。変化の激しい時代、私たちはこう言う術が必要なんです。

**第1章:体調不良の日々**  
78歳の杉山勇造は元小学校教師で、退職後は穏やかな生活を送っていた。しかし最近、疲れが取れず、朝からだるさを感じ、夜もよく眠れなかった。かかりつけの医師からは「年のせい」と言われ、従来の栄養指導通り「バランスよく食べ、カロリーを控えめに」とアドバイスされる。ご飯を減らし、脂っこいものを避け、野菜中心の食事を心がけていたが、体調は良くならない。  

**第2章:新しい出会い**  
ある日、かつての教え子で、今は機能性栄養学の専門家である美咲が訪ねてくる。彼女は勇造の症状を聞き、「先生、栄養が足りていないかもしれません」と言う。勇造は「ちゃんとバランスよく食べている」と反論するが、美咲は「従来の栄養学は『不足しないための栄養』ですが、今は『体の機能を最適化する栄養』が重要なんです」と説明する。  

**第3章:血液検査と個別の栄養戦略**  
美咲の勧めで、勇造は詳細な血液検査と遺伝子検査を受ける。すると、  
- **タンパク質不足**(筋肉維持に必要)  
- **ビタミンDとオメガ3脂肪酸の欠乏**(炎症抑制に重要)  
- **腸内環境の乱れ**(栄養吸収を妨げていた)  
などが判明。美咲は「高齢者こそ、タンパク質と良質な脂質が重要。『低カロリー信仰』が逆に体を弱らせていたんです」と指摘する。  

**第4章:食事の変化と体の変化**  
勇造は美咲のアドバイスに従い、  
- **朝食**:卵とアボカド、発酵食品を追加  
- **昼食**:魚や肉をしっかり摂取  
- **間食**:ナッツやギリシャヨーグルトでタンパク質補給  
を実践。さらに、日光浴でビタミンDを増やすようにした。  

**第5章:気づきと新たな活力**  
数週間後、勇造の体調は劇的に変化した。  
- 朝の倦怠感が消え、散歩が楽しめるように  
- 夜ぐっすり眠れるようになり、気分も明るく  
- 筋肉がつき、ふらつきも減った  

ある日、勇造はかつての同僚に会い、「最近元気そうだね」と言われる。彼は笑いながら答える。  
「『年のせい』だと思ってたけど、実は『栄養のせい』だったんだよ。今までの『バランスよく』って、ただの『なんとなく』だった。体が本当に必要とするものを知って、初めてわかったんだ」  

**終章:教え子たちへの伝承**  
勇造は地域の高齢者サロンで自身の経験を語り始める。  
「私たちは『粗食が健康』と思い込んでいた。でも、体はもっと賢い。機能性栄養学は、一人一人の体の声を聞くことなんだ」  

かつて黒板の前で子供たちに教えたように、今度は自身の体験を通して、新しい栄養の知恵を伝えていくのだった。  

(完)  

**あとがき**  
この物語は、従来の「画一的な栄養指導」と、機能性栄養学の「個別最適化」の違いを、高齢者のリアルな変化を通して描いています。
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時を超えて 詩

2025年08月10日 | 


見下ろせば
小さな足が水をはねる
七十年という時を飛び越えて
私は再び
少年のまなざしで立っていた

日差しの中
二つの影が揺れている
私の影も
そこに溶け込み
水とともに流れていった

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