想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

一生から世代へ

2016年11月08日 | エッセイ

震災6年11月8日

 最近この年になって考えることに、個人は一生であるけれども、私たちは世代を通して生きているのだなという自覚を持つことが大事だなと考えるときがあるます。自分だけでできることは限られています。

 私たちは、先史の時代から連綿として今日まで続いているのです。そして、未来永劫ずっと続いてゆくでしょう。その中の一瞬の人生が個人である自分です。個人の力は微力ですが、個人として何ができるかを絶えず考えていく重要性はいつも自覚しています。

 今日ほど、基本的人権が叫ばれている時代はありませんが、そうはいっても現実は他多数の人たちの共同社会なわけです。彼らもやがて次世代と交代するときがくるでしょう。

 そうしたとき、個人のことだけ考えていていいのでしょうか。次世代の人たちを健全に育てて行くのも現世代の大きな責任です。また、私たちも過去世代の影響を受けて今日があるのです。

 私たちは日本という国家の中で生活をしています。否、日本とて一国だけの幸せはもはや許されないような時代に入ってきています。個と全体が絶えず関連しているのです。同じ地球の上で生活しているのです。

 中国の黄砂や公害が我が国にもすぐさま及ぶ時代です。温暖化の問題は地球規模になって来ています。海洋の温度も同じように上昇し台風も益々大型化してきています。自然災害は地球規模の問題です。

 また、今はfacebook等のSNSを通して世界が繋がってきています。国際語である英語は益々重要度を増してきています。私もfacebookやブログをやっていますが、英語力の無さに恥じる思いです。

 

 一国だけでは生きて行くことができない時代です。公共の福祉をある程度優先して行かないと世界が立ちゆかなくなっていく時代なのです。

 基本的人権と公共の福祉のバランスに眼を向け、個人ばかりでなく周りのことも考えて生活して行くように視点を変えていかないといけません。

 最近、マスコミでは下流老人、少子化、子供の貧困、人口減少など将来を悲観させる言葉がマスコミで多く喧伝されています。益々、貧富の差が開いて来ています。誰もが、自分のことで精一杯の世の中です。

 新しい世代が、混迷の時代をよりよく開いてくれることを信ずるしかありません。卓越した次世代のリーダーに期待するところです。

 

 私も後、5か月で70歳になります。昔で言う古稀です。孔子の言葉を借りれば「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」ですが、その境地とは比べものにならない自分が恥ずかしい限りです。

 8日はUSAの大統領選挙の年です。多分、大方の予想通り、クリントがなるでしょうが、世界の平和の為にがんばってもらうしかありません。

 

 

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