“川崎の翁” 探訪の記

「ウオーキング」と「乗りつぶし」で日本全国制覇を計画し実施中。

東海道53次 ウオーキング

2011年10月07日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

二日目 2011年10月7日(金)

岡崎城

愛知県岡崎市康生町にあった城。徳川家康の生地である。別名、龍城

戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城。江戸時代には岡崎藩の藩庁

 

今日のコース

岡崎宿→八丁→矢作→暮戸→宇頭→柿崎→尾崎→東栄→今本→

来迎寺→牛田→知立市→今岡→今川→阿野→前後

    

岡崎宿

東海道53次の38番目の宿場。石高では五万石しかなくとも徳川幕府の下では

神君生誕の三河国岡崎城の城下町を背景に宿場町も大きかった

八丁味噌蔵

岡崎の名物・八丁味噌の起こりは約600年前。産地の八丁村(現在の八帖町)では、

今も見事な蔵屋敷が見られる。原料を入れ3年じっくりと熟成。

矢作川の眺め

雲竜の松

助郷役の免除を願い出て処刑された柴田助太夫の終焉の地である永安寺

雲を天に昇る竜を思わせる松。

明治用水関係記念碑

来迎寺 一里塚

徳川幕府が諸国の街道整備を行ったときに一里毎に築いた里程標を一里塚・一里山と言う。

東海道 池鯉鮒宿 (ちりふしゅく)

光廣歌碑

「うち渡す尾張の国の境橋 これやにかわの継目なるらん」烏丸光廣は江戸時代初期の歌人

当時の境橋は、尾張側は木橋、三河側は土橋のいわゆる継橋で、膠(にかわ)と三河を

かけて詠んだ歌である。

阿野一里塚

     

桶狭間古戦場伝説地

永禄3年(1560)5月19日、天下統一を目指して京都に向かう今川義元が2万5千の軍を

率いて桶狭間に陣を張ったところ、織田信長3千の軍が奇襲、義元の首級をあげた

有名な桶狭間の戦いの場

 

 

二日目のウオーキングも晴天に恵まれ、気温も上がり快適にあるいた。

しかし、知られた地名も無く、名所旧跡も無く、東海道を京へ向けて淡々と歩いた。

ご苦労様でした!!



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