“川崎の翁” 探訪の記

「ウオーキング」と「乗りつぶし」で日本全国制覇を計画し実施中。

ウオーキング  例会 KWA

2011年10月30日 | 日本全国ウオーキング

例会ウオーキング

磯伝いの道 ウオーキング

神奈川県鎌倉から藤沢に向かって、磯伝いの道・川沿いの道を歩く

KWAパスポートシリーズ2011に参加した。

1.日時     10月30日(日)

2.例会名    KWAパスポートシリーズ 磯伝いの道

大勢のウオーカーが磯伝いを歩いているのが分かりますか?

3.コース

      鎌倉駅→由比ヶ浜海浜公園→鎌倉海浜公園→稲村ケ崎→七里ガ浜→江の島

      →境川→藤沢奥田公園

鎌倉由比ヶ浜海岸は波も穏やかな海岸です

稲村ケ崎は神奈川県鎌倉市南西部にある岬で、由比ヶ浜と七里ガ浜の間にある。

空気が澄んでいると富士山が見えるビュースポットですが、きょうは残念

正面は江の島

神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出した陸繋島。

湘南を代表する景勝地・古くから観光名所。

    

境川

武蔵国と相模国の国境を流れる川で相模湾に注ぐ。

 

 

神奈川県ウオーキング協会、パスポートシリーズの大会に参加

11月に入ろうとしているのに20℃を越える陽気

海岸沿いと川沿いの道を気持ちよく歩きました。


ウオーキング 例会

2011年10月29日 | 日本全国ウオーキング

例会ウオーキング

都県境尾根歩き

成瀬尾根緑地ウオーキング

成瀬尾根

東京都町田市と神奈川県横浜市の都県境にある。

空気の澄んだ日には丹沢山塊、富士山頂、南アルプスが展望できる。

1、日時     10月29日 (土)

2.例会名   都県境尾根ウオーキング

 

3.主催者    県央ウオーキング協会

    

集合場所 田園都市線 つくし野駅前         県央ウオーキング協会役員

4.コース    町田市立総合体育館→東雲寺→都県境尾根→ならやま公園→三輪遺跡公園

秋の暖かい日差しの中、ウオーキングを楽しむ

恩田川に沿って歩く

柿の木 あちらこちら

この付近は川崎市柿生(かきお)と呼ばれている所。

禅寺丸柿

今では次郎や富有と言った柿が主流ですが、昔は「禅寺丸柿」という甘柿の産地

青空に美しい柿   絵になる。

   

ならやま公園  ここで昼食

 

 

青く澄んだ秋の陽射しを受けて、柿の実がなる柿の産地を歩いた

ウオーキングには最高の日和でした。

満足!!満足!!


湯ったり ウオーキング 旧中山道

2011年10月27日 | 湯ったりウオーキング

湯ったり ウオーキング

旧中山道ウオークと

板橋宿・前野原温泉・さやの湯処

   

今年9月22日に善福寺川の湯ったりウオーキングに引き続き実施した。

相棒の横浜の翁が温泉の無料招待券をもらったとのこと。

旧中山道ウオーキングと「さやの湯」で癒す計画を作成して歩いた。

1、日時     10月27日(木)

2.コース    旧中山道を歩く

     日本橋→駿河町→神田明神→湯島聖堂→森川宿と一里塚→文京区六義園→

     巣鴨高岩寺→板橋宿→縁切榎→志村一里塚→前野原温泉・さやの湯処

   

中山道

日本橋を起点とする五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)の一つで

東海道と同じく江戸と京都を結ぶ。

海岸沿いを往く東海道に対して、中山道は内陸路である。

67の宿場が置かれ、行程約129里(561Km)、東海道53次が終わったら

中山道を歩きたいと言う横浜の翁、峠路・山道の多い中山道、迷うことしきり。

日本橋

慶長8年(1603)に初めて架けられて以来たびたび改架を重ね、明治44年に石橋となる。

橋の中央に道路元標を設置。

   

東京大学・赤門

東京大学の敷地は、加賀前田藩の上屋敷跡。

赤門は11代将軍家斉の娘・溶姫(やすひめ)が前田家に輿入れする際に作られた。

高岩寺 (とげぬき地蔵)

曹洞宗。慶長元年(1596)に下谷屏風坂で開山。明治24年に現在の地に移転。

とげぬき地蔵として有名。

    

とげぬき地蔵が上野から移って来て以来、中山道の道筋は参拝客で賑わい門前町となる。

「おばあちゃんの原宿」の異名通り巣鴨地蔵通りは、お年寄りで混んでいた。

滝野川の種屋

旧中山道沿いに今も残る種屋。この辺りは良質のタネが取れたため

商いをする大小の種屋が軒を連ね「種屋街道」と呼ばれていた

   

近藤勇の墓

新撰組隊長。鳥羽伏見の戦いで敗れ、捕えられて、板橋刑場で処刑された。35歳。

板橋宿

日本橋を出発して最初の宿場で、長さ15町49間(1.7Km)。本陣・脇本陣・54軒の旅籠。

板橋

旧中山道の石神井川に架かる橋で、太鼓状の木製の橋で長さ9間・幅3間(16.4m×5.5m)

板橋の地名の発祥となった。

   

前野原温泉 さやの湯処

何時もの通り、温泉に入って、本日のウオーキングを肴に楽しく話し合った。

 

 

 

湯ったりウオーキングのペースは速いが、招待状をいただいたので実施した。

これから歩きたい中山道の下見?となったかどうか

板橋の観光センターの案内人の方に、中山道の厳しい道のりを聴かされて

少し怖気づいた二人でした。

 


ウオーキング 例会 

2011年10月23日 | 日本全国ウオーキング

例会ウオーキング

神奈川県・伊勢原市

岡崎城跡歴史探訪ハイク

岡崎城址

同名で愛知県にある日本100名城の「岡崎城」がありますが

こちらは神奈川県・伊勢原市にある鎌倉幕府創設に尽力した三浦義明の弟、

岡崎義実の居城と伝わる。雨上がりの伊勢原を楽しんだ。

1.日時     10月23日(日) 夜来の雨も上がり晴れ間も見える

2.例会名    岡崎城跡、歴史探訪ハイク

3.主催者    真鶴ウオーカーズ

    

真鶴ウオーカーズの協会旗      集合場所 伊勢原駅前 三福寺

4.コース

      小田急伊勢原駅→三福寺→八坂神社→岡崎城跡→八幡神社→

八坂神社

創建時期不詳、1200年頃(前北条氏の時代)、京都祇園牛頭天王社を信仰するものが

この地に分社を勧請したものと考える。

    

岡崎城址  

伊勢原の山道をのんびり歩く

この季節、柿があちこちに実っていた

八幡神社        由緒・創立は詳ではない。

伊勢原市といえば、大山 その姿を拝んで歩く

 

久しぶりの例会、秋の気配のする伊勢原市を楽しみました

マイペースでのんびりと歩きました


東海道53次 ウオーキング

2011年10月12日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次ウオーキング

七日目  関宿から帰宅

 

六泊七日で東海道53次をウオーキングした

 

1.行程を振り返る

     一日目  本宿→岡崎宿           岡崎宿泊         25km

     二日目  岡崎宿→東阿野村       前後駅付近宿泊     25km

     三日目  東阿野村→宮宿(熱田)    桑名宿泊         18km

     四日目  宮宿(熱田)→佐屋宿      桑名宿泊         23km

     五日目  桑名宿→泊村          関ロッジ宿泊       21km

     六日目  泊村→亀山宿          関ロッジ宿泊       24km

     七日目  帰路 関→柘植駅→名古屋→新横浜    合計  136km

2.次回計画

     1.四泊五日で 関宿→鈴鹿峠越え→甲賀→草津→山科→京都三条

     2.時期は来年1月か2月を計画しているが、鈴鹿峠が雪のため、考慮中    


東海道53次  ウオーキング

2011年10月11日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

六日目  2011年10月11日(火)

泊村(JR関西本線・南四日市駅) ~ 亀山宿(JR関西本線亀山駅)

東海道53次ウオーキング 最終日 関宿に向けて歩く

コース

泊村→小古曽→釆女→石薬師→庄野→西冨田→和田→東町→亀山宿→関宿

日永(ひなが)の追分

東海道と伊勢参宮道の分岐点。左いせ道、右京・大阪道、すぐ江戸道。

   

佐々木信綱資料館

歌人で国文学者の信綱(1872~1963)。文化勲章・著書・遺品が収納

石薬師(いしやくし)宿

三重県鈴鹿市で、JR加佐登駅から3Km。東海道44番目の宿場。

石薬師寺

高富山瑠璃光院石薬師寺といい、真言宗の寺院です。

  

信綱かるた道 1.8Kmの間に36の歌が掲示されている

杖衝坂と芭蕉の句碑

日本武尊は伊吹山の賊を討ち病に倒れ、剣の杖にすがりながらこの坂を越えた

との伝説の坂。「杖つき坂を落馬かな」芭蕉の句碑

 

     庄野宿

       東海道53次の45番目の宿場

       庄の宿が宿場として成立したのが東海道で

       一番遅く、寛永元年(1624)でした

 

 

 

 

中冨田 一里塚  と常夜灯

川俣神社

鈴鹿川沿岸に沿って同一名称の川俣神社は6つある。

鈴鹿川が股のごとく分流しあるいは合流するところにある神社。

安楽川  ここで鈴鹿川と合流する。

亀山宿

東海道53次の46番目の宿場。亀山宿は城下町でも宿場は幕府直轄の

変則的な宿場。参勤交代の大名は通りぬけた。

関宿

東海道53次の47番目の宿場。東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは

大和街道が分岐する活気ある宿場。

本日の宿は昨日同様、「国民宿舎・関ロッジ」です。

 

 

小さい秋・見つけた!!

    

金木犀                 柿の実が熟してる

   

イチョウの黄葉が始まった         もみじの紅葉も始まった

  

コスモスが咲き誇っていた         ススキが顔を見せていた

カンナの花が数多く咲いていた

 

 

お疲れ様でした。東海道53次のウオーキングは今日でおしまい。

本日打ち上げ会を盛大に行って、明日川崎へ帰ります。

六日間のウオーキング、天候に恵まれ、仲間に恵まれ、地域の方々に

お世話になり、楽しく歩くことが出来ました。

ありがとうございました!!

健康な体に感謝!感謝です。


東海道53次  ウオーキング

2011年10月10日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

五日目  2011年10月10日 (月) 祝日

桑名宿 (桑名駅) ~  泊村 (南四日市駅)

   

桑名宿 桑名・七里の渡し跡

慶長6年(1601)東海道が制定されて、桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、

海上七里の渡船と定められた。

 

今日のコース

桑名宿七里の渡し→安永の町並み→町屋橋→朝日→冨田→羽津→四日市→日永

    

青銅鳥居としるべ石

「勢州桑名に過ぎたるものは 青銅鳥居に二朱女郎」と詠われた大鳥居

しるべ石は人を探す伝言板

   

員弁川(町屋川)と町屋橋の案内標識

矢田立場

東海道を往来する人の休息場として賑わっていた。

  

東海道・冨田宿  冨田の一里塚

立派な標識  意味不明??

諏訪神社

「おすわさん」と市民に愛称されている諏訪神社は商業・漁業の神として崇敬されてきた

本日のゴール  JR関西本線 南四日市駅

 

秋まつり

大四日市祭り 大入道

三重県四日市で開催される地区の氏神・諏訪神社の例祭。

大入道は妖怪・名称は大きな僧の意味。首がどんどん伸びる

獅子舞が各家を練り歩いていた

秋の気配

萩の花

マメ科ハギ属で落葉低木。秋の七草のひとつ

金木犀

中国南部が原産で江戸時代に渡来した。

秋になると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。

 

本日の宿・・国民宿舎 関ロッジ

本日の見聞きしたことを楽しく話し合い、明日の期待に胸ふくらます

 

 

東海道を歩いて早五日が過ぎた。天候に恵まれて、爽やかな秋晴れの下

東海道を楽しく歩いている。二人とも体調万全で、足が少し痛む程度。

新聞も読まず、テレビも見ず、世の中の変化に全く意識せず過ごしている。

素晴らしいことと思っております。

感謝!!感謝!!


東海道53次 ウオーキング

2011年10月09日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

四日目  2011年10月9日 (日)

佐屋海道を歩く

 

東海道53次  宮宿と桑名宿の間は海上交通

東海道53次の宮宿と桑名宿の間の交通手段である「七里の渡し」は東海道のルートのなかで

唯一の海上航路です。東海道で尾張より伊勢に入るのに

① 宮(熱田)から海上七里を舟で渡り桑名に上がるか

② 宮(熱田)から陸路で佐屋に出て舟で三里を渡って桑名に入る佐屋路を利用する

の二つの方法があった。

船旅は東海道を歩き続けた旅人の骨休めとなったであろうが、風浪の激しい時や

船旅に弱い者は佐屋路を利用したようだ。

 

コース

江戸時代には舟が運航されていましたが、鉄道や道路が発達した現在は

運航されていません。そこで我々は宮宿(熱田)から佐屋海道で佐屋の渡しまで歩き

佐屋から電車で桑名の七里の渡しまで行った。

佐屋海道

  宮(熱田)で東海道と分かれ、岩塚・万場・神守・佐屋の四宿場を経て

   佐屋の渡しへ出て、佐屋川・木曽川・桑名川を川船で桑名まで下る

   脇往還。

   宮と桑名を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航や、船酔いを嫌う

   旅人で賑わった。

 

 

   

宮の七里の渡し跡            桑名の七里の渡し跡

七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、慶長6年(1601)の東海道制定の

際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が七里であったことに由来する。

所要時間は4時間であった。「熱田の渡し」・「宮の渡し」などとも言った。

佐屋の三里の渡し跡

佐屋から佐渡川を下って桑名までの船旅は三里を数えたので、三里の渡しと呼ばれた。

庄内川を歩く

神守(かもり)の一里塚

神守宿の東の外れ、下町の街並みが始まる所。江戸から93里目の一里塚

ふるさとの川   日光川碑

レストラン 葉JUE  日光川手前にある。

本日の昼食場所、相方の横浜の翁、ハンバーグ定食の美味さに感嘆の声

埋田の常夜灯

 

秋の気配

秋の気配を感じながら、横浜の翁元気に東海道を歩く

秋の気配を感じながら、横浜の翁 刈り入れ前の田んぼ道を歩く。

 

 

晴天の中、秋の気配を感じながら気持ち良く歩いた

今日は、東海道ではなく、佐屋街道をあるいた。弥次さんと喜多さんの二人は

宮(熱田)から船で桑名まで行きたかったとボヤキしきりでした。


東海道53次 ウオーキング

2011年10月08日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

三日目  2011年10月8日(土)

今日のコース

  

東海道・東阿野村  →  東海道・宮宿・七里の渡し

東阿野村→前後→新栄→栄屋→有松村→鳴海宿→笠寺村→山崎村→宮宿

有松村の古風な家並み

慶長13年(1608)豊後の絞染からヒントを得て竹田庄九郎が考案した「有松絞(鳴海絞ともいう)」

は、この地の名産品。それらを扱った店々。

古風な家並みが保存されている

鳴海宿

尾張藩領の中でも大村で、概高5千石余。中世末までは海に面した地、鳴海湾として知られていた

江戸時代になって南方に新田が開けて海が遠くなり、宿駅として栄えた。

     

笠寺観音 (笠覆寺)

尾張四観音の一つ。奈良時代に禅光上人が霊木で十一面観音を刻み小松寺を建立。

この寺が荒れ果てて本尊が雨露にさらされているのを見た娘が自分の笠を

観音にかぶせた。

姥堂・裁断橋址

姥堂は延文3年(1358)の創建。本尊姥像は熱田神宮から移したもので「おんばこさん」

と親しまれた。第二次大戦で焼失。平成5年に修復

旧東海道  伝馬町

熱田神宮

熱田の大神を主神とし、天照大神・を相殿神に祀る。境内には織田信長が桶狭間の戦いの

大勝のお礼に奉納した信長塀がある。

新尾頭の道標

南面に「左さや海道・つしま道」、西面に「右宮海道・ひだりなごや道」とある。

ここから北は名古屋・南は宮(熱田)、西へ行けば佐屋の追分。

   

七里の渡し跡

寛永2年(1625)、犬山城主・成瀬正虎が熱田須賀の海浜に建てた常夜灯。

  

桑名の焼き蛤

その手は桑名の焼き蛤 ・・その手は食わないと桑名の名物焼き蛤を掛けたもの

三日目のウオーキングの夕食に名物の「桑名の焼き蛤」を堪能した。

 

 

東海道53次ウオーキング三日目、地味なコースであった。

名所・旧跡も少なく、淡々と歩いた。

最後においしい焼き蛤ですくわれた。

おいしい物が頂ける旅は素晴らしい。ごちそうさまでした!!


東海道53次 ウオーキング

2011年10月07日 | 東海道を歩く

ウオーキング

東海道53次を歩く

二日目 2011年10月7日(金)

岡崎城

愛知県岡崎市康生町にあった城。徳川家康の生地である。別名、龍城

戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城。江戸時代には岡崎藩の藩庁

 

今日のコース

岡崎宿→八丁→矢作→暮戸→宇頭→柿崎→尾崎→東栄→今本→

来迎寺→牛田→知立市→今岡→今川→阿野→前後

    

岡崎宿

東海道53次の38番目の宿場。石高では五万石しかなくとも徳川幕府の下では

神君生誕の三河国岡崎城の城下町を背景に宿場町も大きかった

八丁味噌蔵

岡崎の名物・八丁味噌の起こりは約600年前。産地の八丁村(現在の八帖町)では、

今も見事な蔵屋敷が見られる。原料を入れ3年じっくりと熟成。

矢作川の眺め

雲竜の松

助郷役の免除を願い出て処刑された柴田助太夫の終焉の地である永安寺

雲を天に昇る竜を思わせる松。

明治用水関係記念碑

来迎寺 一里塚

徳川幕府が諸国の街道整備を行ったときに一里毎に築いた里程標を一里塚・一里山と言う。

東海道 池鯉鮒宿 (ちりふしゅく)

光廣歌碑

「うち渡す尾張の国の境橋 これやにかわの継目なるらん」烏丸光廣は江戸時代初期の歌人

当時の境橋は、尾張側は木橋、三河側は土橋のいわゆる継橋で、膠(にかわ)と三河を

かけて詠んだ歌である。

阿野一里塚

     

桶狭間古戦場伝説地

永禄3年(1560)5月19日、天下統一を目指して京都に向かう今川義元が2万5千の軍を

率いて桶狭間に陣を張ったところ、織田信長3千の軍が奇襲、義元の首級をあげた

有名な桶狭間の戦いの場

 

 

二日目のウオーキングも晴天に恵まれ、気温も上がり快適にあるいた。

しかし、知られた地名も無く、名所旧跡も無く、東海道を京へ向けて淡々と歩いた。

ご苦労様でした!!