前回「愛宕松」の記述で迷走してしまいました。
あらためて「愛宕松」に再挑戦してみます。
『村山町市』(村山町市編纂委員会編集 昭和43年)のp.543に「石仏分布図」が載っており、この図に「アタゴ松」という地名が見えます。
現在の地図と見比べてみると、武蔵村山市三ツ藤1丁目のあたりです。
ということで「愛宕松」は、残堀川の流れを南に変えた地点を指す地名ではなかったようです。
昔の地図(『地図で見る多摩の変遷Ⅲ(昭和26年頃)』((財)日本地図センター)から、日産村山工場ができる以前の残堀川の流路を2点ピックアップして、現在の残堀川流路と対比してみました。2点とも流向が大きく変わっている地点です。
a:「アタゴ松」
b:現ダイヤモンド・シティ
c:残堀川が南に流路を変えている地点
d:残堀川が東よりに流路を変えている地点
e:上砂川小学校北側(壁の高さが高い地点)
f:下の写真1撮影地点
g:残堀川旧流路標示板位置
h:下の写真2撮影地点
水色線は玉川上水通水以前の残堀川の流れ。cとeを直線で結んだもの
青色線は昭和26年ころ測量の5万分の1地形図からcとdの地点を読み取って
直線で結んだもの
<写真1 前回載せたものと同じ>
<写真2 残堀川現地案内板によれば、江戸時代の流路のようです>
あらためて「愛宕松」に再挑戦してみます。
『村山町市』(村山町市編纂委員会編集 昭和43年)のp.543に「石仏分布図」が載っており、この図に「アタゴ松」という地名が見えます。
現在の地図と見比べてみると、武蔵村山市三ツ藤1丁目のあたりです。
ということで「愛宕松」は、残堀川の流れを南に変えた地点を指す地名ではなかったようです。
昔の地図(『地図で見る多摩の変遷Ⅲ(昭和26年頃)』((財)日本地図センター)から、日産村山工場ができる以前の残堀川の流路を2点ピックアップして、現在の残堀川流路と対比してみました。2点とも流向が大きく変わっている地点です。
a:「アタゴ松」
b:現ダイヤモンド・シティ
c:残堀川が南に流路を変えている地点
d:残堀川が東よりに流路を変えている地点
e:上砂川小学校北側(壁の高さが高い地点)
f:下の写真1撮影地点
g:残堀川旧流路標示板位置
h:下の写真2撮影地点
水色線は玉川上水通水以前の残堀川の流れ。cとeを直線で結んだもの
青色線は昭和26年ころ測量の5万分の1地形図からcとdの地点を読み取って
直線で結んだもの
<写真1 前回載せたものと同じ>
<写真2 残堀川現地案内板によれば、江戸時代の流路のようです>
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