負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

手の楽しさ ・・・ 感謝

2012-07-07 23:08:26 | 原発震災避難者


遠足



詠み人知らずの三十一文字(みそひともじ)に ・・・


今朝もまた箒(ほうき)とる手の楽しさよ

はかなくなりし人にくらべて


・・・ というのがあります。



「 はかなくなりし 」には

「 儚くなりし 」 ( 死んでしまった ) と

「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。

箒ときたから ・・・ こう受けたわけです。


死んでしまった人は 箒をとって庭をはくことも もはやできない。

そういう故人たちに比べてみたら

今朝もまた 生きて 目ざめて 庭はきができる楽しさ。

ああ 生きているとは

なんとありがたい うれしいことか ・・・


生きていること自体を よろこびとせよ

・・・ そう教えている歌だと思います。


「 手の楽しさ 」 という表現がいいですね~。


手こそは 人間の特性をあらわすものです。

その手をつかうことこそ ・・・ 生きていることのあかしです。

死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよね。


「 箒とる手 」は 一つの例で

鍬をとる手

ペンをもつ手

箸をもつ手

子を抱く手

お尻をふく手

介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。


その手に ・・・ 楽しさと感謝を見出します。



明日は知れぬから 今日の感謝 ・・・ といったところでしょうか。






感謝無限 ・・・ 平々凡々たる毎日

2012-07-07 17:47:36 | 原発震災避難者


遠足



平々凡々たる毎日がつまらなくて

「 なにか変わったことはないか? 」

「 オモシロイことはないか? 」

・・・ などと言ったり 空想したりする人がいます。


しかし ここで考えなおしてみれば

平穏無事であることほど ・・・ ありがたいことはありません。


その価値がわからなくて オモシロイことのみ求めるのは

・・・ 感謝知らず というものでしょう。


日々の衣食住に こと欠かないだけでも

感謝無限というべきほどに ・・・ ありがたい現実なのですね。







七夕 ・・・ 酸漿 ( ほおずき )

2012-07-07 10:22:50 | 原発震災避難者


身辺



七夕には 「 酸漿 ( ほおずき ) 」 を飾ります。

ほおずきの杯形をした小さな花は 

いかにも可憐で 涼しい夏の植物です。


熱さまし 咳止め 利尿の薬として用いられていますが

古くは 堕胎 ( だたい ) のために使われていました。


7月の農繁期に 子どもを宿して 出産することが

・・・ 労働力の低下につながるためでありました。


また ほおずきは 女の子がその実を口に含んで

キュッ キュッと鳴らして遊ぶ玩具でありました。


キュッ キュッと鳴る音 ・・・

それは この世に生まれでるべくして生まれでなかった

失われた魂に対する ・・・ 哀悼のうたでもあったのでしょうね。







さらさらと水のごとく

2012-07-07 08:01:16 | 原発震災避難者


遠足



苦から逃げるのも ことさらこれを求めるのも

・・・ ともに 自然にそむいています。


与えられた難局に

逃げ腰になるのでなく また ことさら力むこともなく
 
淡々と これにあたって処理していく

・・・ それが 理想であるような気がします。


はなはだむずかしいことで 私など とても実行できていませんが

・・・ そうありうるように 努力はしているつもりです。



  岩もあり木もありされどさらさらと

       たださらさらと水はながるる


私は この歌がとても好きです。

愛唱歌のひとつとして しばしば口の中で言ってみます。

困難に出あうと これを口ずさんで 心を無にしようとするのです。


自然物でもって すべてを語った象徴的な表現と

淡々と流れるような調べがよい と思います。


明治以降の作らしいですが くわしいことはわかりません。


岩があっても木があっても 水は逃げず また 力まず

自然にさらさらと流れるだけで

そして 岩をも木をも こえていきます。


その無心さ 自然さ ・・・ 

人もこういうように 岩木をこえてゆきたい と思います。



そう言えば かの 『 老子 』 も

「 人は 水のようであれ 」 ・・・ と教えています。