負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

一生童心 ・・・ わらべごころ

2012-07-08 22:34:41 | 原発震災避難者


遠足



「 一生童心 」 ・・・ 山田徳兵衛という人形研究家が

ある人への色紙に書かれた言葉だそうです。


偉い人 第一人者となる人 自己のもてる力を出し切る人は

いくつの年になっても

心の奥に童心( わらべごころ ) を持ちつづけているようです。

稚気満々といいたい面をもつ人さえいます。


こういう人は 生命力がすこぶるたくましいものです。

「 梅ノ木は ・・・ 種も梅 ・・・ 」 という

そのタネを持ちつづけるからでしょうか ・・・ 。


版画の故棟方志功氏のごときは その好例かと思われます。


童心をもつとは 幼稚 ( オトナになりきれない ) とはちがいます。

タネを中核として 年齢どおりの年輪を重ねてゆくのです。


むしろ そのタネを失った人が 

・・・ 幼稚で 成熟しにくいのかもしれませんね。



* それにつけても
    生前にお会いした棟方志功氏が懐かしい ・・・ 。







朝顔 ・・・ 花の命は短くて

2012-07-08 18:43:12 | 原発震災避難者


身辺



朝咲いて昼に散るともわが務め


桜の花は 咲いてから散るまでの期間が短いので

「 はかない 」 ことや 「 いさぎよい 」 ことの象徴のようにみられていますが

それでも 朝顔にくらべたら まだまだ 「 長生き 」 のほうです。


朝顔は 朝咲いて 昼にはもう しおれてしまいます。

「 花の命は短くて ・・・ 」 といいますが

おそらく もっとも命の短い花でしょうね。

虫の世界でいえば カゲロウといったところでしょうか。


だが 朝顔は

「 すぐしおれてしまうぐらいなら

咲いたってつまらない 咲くのはやめよう 」

などと ・・・ ダダをこねたりしません。

数時間の間とはいえ 美しく咲いて

人の眼をよろこばせるという その務めをよろこんで果たすのです。


巨視的視野からみれば

人の一生だって ・・・ まことに短い はかないもので

朝顔のそれと本質的な差のあるものではありません。


これを 「 はかない 」 と嘆けば はたらくことがイヤになってきます。

そこで 朝顔を見習いたまえ ・・・ というわけですね。


人生の長さなんぞ ・・・ どうでもいい。

とにかく 生きているあいだは

それぞれの務めを果たさねばなりません。


世のため 人のため いや だれよりも自分自身のために

・・・ 美しく咲きたいものです。

これは ・・・ 神からの至上命令であるような気がします。


やるべきことをやりとげたら ・・・

安らかな大往生 キレイに散ることができるはずですよ。





アラさがし ・・・ 自分はどうか?

2012-07-08 08:25:42 | 原発震災避難者


遠足



人間 だれでもそうですが

他人のアラは じつによく見えます。

自分のアラは サッパリ見えません。


肉体とちがって精神面は 鏡に映すことができないからでしょうか ?


これに加えて

自分の欠点は認めたくないという我がまた たいていの人にあります。

そこでどうしても 他人に辛く 自分に甘いということになりますね。


人の世の人間関係がむずかしいことの一半の因は

多くの人が こういう自己中心の見かたに立つことにあるのではないでしょうか。


自分は 欠点だらけのくせに

神のような姿勢をとって 他人の非だけをみて裁きます。

人と人の仲がトゲトゲしくならなかったら 

・・・ むしろ そのほうがフシギです。


人間同士は たがいに鏡のようなものです。

相手のなかに 自分を見ています。


だから ある人の欠点やマチガイを見て

それが 気になったり 苦になったり 咎めたくなる

腹がたつ ケシカランと思うというときには 間違いなく
 
・・・ トンデモナイ! と言いたいでしょうが ・・・

それと同一の あるいは 同質の非が ・・・ 自分にあるものです。


自分に そういう非がないときには

他人の非が見えても それが気になりません。

そういう人のみが 他人の非に対して

愛をもって ・・・ 効ある忠告ができるのだと思います。



よしあしは向こうにあらで我にあり 心直らば影は曲がらじ ・・・ ですね。