1971年(アメリカ)原題「VANISHING POINT」106分
★★★☆☆(←独断と偏見による)
<出演>
バリー・ニューマン(「爆走!」「ザルツブルグ・コネクション」他)
<感想>
3冊のがん漂流では、この件に関して一切触れられていませんでしたが、
NHKの見解によると奥山さんの最初で最後の著書となった
小説「ヴァニシング・ポイント」は、
この映画のタイトルから拝借されたそうです。
Primal Screamの曲から拝借したという説や、私自身はNew Orderの曲からの
拝借かなと思っていたのですが、どうやら映画からというのが正解らしい。
というのも、この作品を見ると、主人公のコワルスキがなるほど奥山さん
そのものであるような気がしてならないのです。
主人公コワルスキには、セリフがほとんどありません。
彼が何を思い、必死に車を走らせているのか観客は想像するしかありません。
最初は、冗談まじりにヤクを賭けての勝負でしたが、
どうやらそうではないらしいことが見ているうちに分かります。
奥山さんは、コワルスキが車を全力疾走で走らせることと、
自分が「死ぬまで書き続ける」と言ったことをだぶらせているように思いました。
たまに回想シーンが挿入されてコワルスキの過去が垣間見れますが、
この回想シーンからは、コワルスキが孤独であることが分かります。
ベトナム戦争で戦い、愛するものには先立たれ、正義をつらいぬいたがために
警察はクビとなります。
奥山さんは、とんがって「性欲もなくなった」と書かれていましたが、
やはり愛する人がそばにいてほしかったのかもしれません。
ただ、自分の余命を考えた時に、残されたものに悲しみを与えることを恐れて、
彼女を作らなかったのかもしれません。
あるがん友の方は、「愛する人がいたらもう少し延命できたかもしれない」と
言っていました。これは、宇宙飛行士選択の原理でもあります。
同じ能力だとして、家族のあるものとないものとでは、
家族のある方を宇宙飛行士として選ぶのだそうです。
生きて地球に帰るという生命力が違うとの見解です。
なるほど一理あるかもしれません。
コワルスキの孤独は、奥山さんの孤独そのものだったのでしょうか。
仕事とは言え、コワルスキは車を走らせることそのものに拘っているように感じました。
NHKで最後どうなるのか放送されてしまいましたが、
彼はゴールであるシカゴに到着すると、待ち構えた警察に捕まるのではなく、
まっしぐらにバリケードに突撃してしまうのです。
車は大破し、恐らく即死したでしょう。
激突する少し前にコワルスキの表情が映し出されますが、彼は笑っています。
何か哲学的なものを感じる作品です。
奥山さんは、小説が発売されるや、それを待っていたかのように亡くなられました。
サ母によると、非常におだやかな表情であったと言います。
「オレは作家として死ぬことに決めた」
そう宣言して、本当にそうなりました。
彼もまた全力疾走で、バリケードにぶつかったのでした。
なんだか切ないです。