道彦の散歩道

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05/10 有平糖&金華糖

2014年05月10日 | スイ-ツ・お菓子

【有平糖】

「有平糖」とは、砂糖を煮て作られた飴の一種であり、南蛮菓子の一つである。金平糖と共に、日本に初めて輸入された「ハードキャンディ」とされている。

語源はポルトガル語のアルフェロア(糖蜜から作られる茶色の棒状の菓子)とする説とアルフェニン(白い砂糖菓子)とする説とがある。

製法は、原料の砂糖に少量の水飴を加えて煮詰め、火からおろした後に着色や整形を行って完成させる。初期の頃は、クルミのように筋がつけられた丸い形をしていたが、徐々に細工が細かくなり、文化・文政期には「有平細工」として最盛期を迎えた。
棒状や板状にのばしたり、空気を入れて膨らませたり、型に流し込んだり、といった洋菓子の飴細工にも共通した技法が用いられる。
江戸時代、上野にあった菓商・金沢丹後の店の有平細工は、飴細工による花の見事さに蝶が本物の花と間違えるほどとされた。

平糖は茶道の菓子として用いられることが多く、季節ごとに彩色をほどこし、細工をこらしたものが見られる。縁日などで行われる即興的に飴細工とは異なるものである。
一方、技巧が進化し高価なものとなってしまった有平糖を、見た目よりも味を重視して廉価格にしたものとして榮太樓本店の「梅ぼ志飴」や、村岡総本舗の「あるへいと」などがある。

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【金華糖】

「金華糖」とは、煮溶かした砂糖を型に流し込み、冷やして固めて彩色した砂糖菓子である。江戸時代に有平糖を模して作られたものとされ、結婚式の引出物や節句祝いどに用いられる一方、昭和期には駄菓子として親しまれた。

型には、主にサクラ材が使われ鯛、野菜、果物、七福神の形をしたものが多かったが、後には、自動車、オートバイ、野球選手等の形の物も現れた。
以前は日本各地で作られていたが、近年では金沢市や長崎市など一部の地域でしか見られなくなった。金沢市では今でも婚礼や雛祭りの時に出されることが多い。

『金華糖と有平糖の違い』

金華糖と有平糖の違いは、「金華糖」は砂糖水を煮詰めて、鍋を火床から降ろして棒で攪拌して、白くなるまで回し、桜材の割り型の穴から流して、中を空洞にする為に、すぐに鍋に戻して作るのに対して、有平糖は砂糖水に水飴加えて金華糖の時より強く煮詰めてから、別の冷やし容器に流し込み、水に浮かべた容器を回しながら、なるべく最小限の手加減で透明な飴の状態まで冷ます。これを小さく切り、暖めながら、ひとつずつ手作りで「さくら」「つくし」「わらび」などに仕上げる。
金華糖は、板状のものと中が空洞の2種類がある。当時として南蛮人が持ち込んだ貴重な砂糖を用いて作ったと考えられる。
長崎から伝わった砂糖文化は九州から上方を経て江戸へ伝えられ、その文化は諸国の大名によって各地方に伝わり、その土地の風土、風習の中で育まれ、色々な金華糖が各地にある。

『糖度』

糖度は金華糖を造る上で大変重要である。大きな金華糖は煮詰める温度を強く、小さな金華糖は少し弱めにして作業を進める。

薄くて固い金華糖を作るには砂糖の純度が高くなければならないので、白双糖を使用する。金華糖は砂糖の固まる性質を上手く利用したお菓子。金華糖の原料は砂糖と溶かすための水でけである。仕上げに色づけをする。
また、木型を使って作るお菓子は手が直接顔しに触れない事から祭祀用として利用されてきた。

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