佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

被爆パネル展 ~アルカスにて今日まで

2012-07-28 | 平和

一昨日から、アルカスSASEBOで「原爆と人間」と題してパネル展が開催されています。

一日目の夜遅く、主催者も誰もいない会場でゆっくり見てきました。

入口にドーンと掲げられた毛筆の題字がいいですね。

と思って近づいてみて、その下の「平和都市宣言」を読んでビックリ!

昭和25年だから、私がまだ生まれる前、つまり大昔のようなもんですが、

でも、こんな宣言を佐世保市がしていたなんて…知らなかったなぁ

ここに書かれていたのは、

かつての佐世保は旧軍港として、「専ら戦争目的にのみ供せられてきた」が、

今次大戦によって「市民は住む家なく、帰るべき故郷は既に無く、

荒廃した惨状のなかに失業の群集と化し去った」

「日本は新憲法により非武装平和国家を中外に宣言した」

「佐世保市は茲に180度の転換を以て」

「平和産業都市、国際貿易港として更生せんことを誓うのみである」

「市民はその総意をもって港を永久に平和港として育成することをここに宣言する」

 

なんて素晴らしい!

この宣言が守られていたならば…と残念でなりません。

現実は…今の佐世保港の海は、8割以上が米軍のもの。。

 

どうしてこんなことになったのか?

それは、「平和産業港湾都市宣言」を行ったその年に勃発した朝鮮戦争により、

港湾施設の大半が再接取されるなどしたからでしょうが、

戦争特需を経験した佐世保市民は、もうこの宣言のことなど忘れ去ったのでしょうか。

 

 

長崎原爆の写真といえば、私もすぐにこの「焼き場の少年」を思い出します。

ジョー・オダネルさんの写真展を見に行ったのはちょうど4年前の同じ日でした。

http://blog.goo.ne.jp/michie39/m/200807

 

この写真も有名ですが、ふとんが敷かれていたことは知りませんでした。

 

第五福竜丸も被爆者を生みました。

そして何人もの方が亡くなり、

今また原発事故で被爆者が現在進行形で作られている…

 

この地図を見ると、一目瞭然。

南半球のほとんどは「非核兵器地帯」。

地球の未来を脅かし、今も地球を傷つけているのは北半球の国々なのですね。

 

私はつい数年前まで、日本も非核兵器地帯だと思い込んでいました。

だって、「非核三原則」、習いましたよね、学生時代。

核兵器を持たず造らず持ち込ませず…って。

実際のところはわかりませんが、額面通りに受け取れば、まさに非核兵器地帯そのもの。

でも、これは1967年に国会で決議されただけで、国際法に法ったものではなかったんですね…

確かに、日本国内に点在する米軍基地のことを考えれば、非核三原則など有名無実。

アメリカの核の傘で平和が守られるなんて神話から早く脱して、

日本も非核兵器地帯の仲間入りを果たしたいものです。

 

 

こんな重傷を負いながら生き抜いてこられた谷口さん。

その壮絶な体験を、谷口さんはいつも静かに淡々と語られます。

まだお聴きになってない方は是非、下の動画に耳を傾けてみてください。

 

被爆者の声 ?滅び損ねて生かされてきた?(1) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(2) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(3) / 谷口稜曄さん

被爆者の声 ?滅び損ねて生かされてきた?(4) / 谷口稜曄さん

被爆者の声?滅び損ねて生かされてきた?(5) / 谷口稜曄さん

 

コメント
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