今日は、「フリースペースふきのとう」による第5回子どもサミット。
私たち「うたごえフレンド」は、前回同様、オープニングで歌うことになりましたが、
今回は病気やお仕事で来られない人も多く、メンバーが少なくて不安でした。
でも、ギター伴奏の一人Nさん(14歳)が、友達に声をかけてくれて、
女の子たち3人が急きょ参加してくれて・・・大助かり!
大人だけで歌うより、声もずっと通るし、雰囲気も明るくなって大成功!
まさに怪我の功名でした。
オープニングのあと、高垣忠一朗先生(立命館大学教授、臨床心理学博士)の講演があり、
そして、いよいよ6人の若者によるトークが始まりました。
16歳から21歳までの男女、皆不登校経験者で、
今は苦しい時期を乗り越えて、通学していたり社会人になっていたり…。
不登校になった背景も、家族の対応もそれぞれ異なっていましたが、みんなの共通した意見は、
「不登校の子を無理に登校させようとしないで」
「時期が来るのを待って、見守ってほしい」
「不登校を後悔していない。不登校のときがあったから今の私がいる」
「不登校は成長していける期間。大人と闘って、社会と闘って、自分と闘って…」
でした。
特に印象的だった二人・・・
一人は、20歳のY君。
高1の頃から学校に行けなくなった。
自分でも理由がよくわからないのだが、なぜか学校が怖くなった。
なんで怖いのかわからない。
いやなことはいっぱいあったけど、そのどれが原因なのかわからない。
わからないけど、夜になり、明日の朝は学校に行かなきゃと思うと、怖くて眠れなかった。
母に何度も云われた。「どうして行かないの?」「甘えているの?」と。
何も答えられないのがきつかった。
学校に行けない自分が生きていていいのか…と思うようになり手首を少し切った。
母に「もう行かなくていい」と言われたとき、ホッとした。
彼は、体も声も細くて、とても華奢な青年。
でも、何を語る時も、優しく微笑んでいて、春の日差しのような温かさを漂わせていました。
もう一人は、21歳のTさん。
彼女の少女時代は、本当に辛い環境に置かれていました。
中学校に入ってすぐ、小学校の頃からの友人に疎外され、寂しい日々を送る。
母に相談しようとしても、忙しい母はきいてくれなかった。
そのうち、朝制服を着ると頭痛や腹痛に襲われ、登校できなくなった。
母は仮病だと言い、わがままだとも言った。
そして、ほっぺたやお尻をたたかれた。
父は母以上に私を嫌い、食事も与えなくなった。
それで、養護施設へ入れられた。
養護施設でもはじめは辛いことが多かったが、理解してくれる先生に出会って、
こんな私でも生きていていいんだと思えるようになった。
卒業してからは祖父母と暮らしている。
そんな過去を微塵も感じさせない、清楚なお嬢さんという感じのTさんでした。
声もきれいで、話もわかりやすく、ちょっと訛りのあるイントネーションが
その話し方に独特の魅力を与えていました。
今は子どもたちの話をきいてあげる良きお姉さんとして活躍中のようです。
居場所を見つけた彼女は、本当に幸せそうでした。
自分をさらけ出して語ってくれた勇気ある6人の皆さん、ありがとう。
私たち「うたごえフレンド」は、前回同様、オープニングで歌うことになりましたが、
今回は病気やお仕事で来られない人も多く、メンバーが少なくて不安でした。
でも、ギター伴奏の一人Nさん(14歳)が、友達に声をかけてくれて、
女の子たち3人が急きょ参加してくれて・・・大助かり!
大人だけで歌うより、声もずっと通るし、雰囲気も明るくなって大成功!
まさに怪我の功名でした。
オープニングのあと、高垣忠一朗先生(立命館大学教授、臨床心理学博士)の講演があり、
そして、いよいよ6人の若者によるトークが始まりました。
16歳から21歳までの男女、皆不登校経験者で、
今は苦しい時期を乗り越えて、通学していたり社会人になっていたり…。
不登校になった背景も、家族の対応もそれぞれ異なっていましたが、みんなの共通した意見は、
「不登校の子を無理に登校させようとしないで」
「時期が来るのを待って、見守ってほしい」
「不登校を後悔していない。不登校のときがあったから今の私がいる」
「不登校は成長していける期間。大人と闘って、社会と闘って、自分と闘って…」
でした。
特に印象的だった二人・・・
一人は、20歳のY君。
高1の頃から学校に行けなくなった。
自分でも理由がよくわからないのだが、なぜか学校が怖くなった。
なんで怖いのかわからない。
いやなことはいっぱいあったけど、そのどれが原因なのかわからない。
わからないけど、夜になり、明日の朝は学校に行かなきゃと思うと、怖くて眠れなかった。
母に何度も云われた。「どうして行かないの?」「甘えているの?」と。
何も答えられないのがきつかった。
学校に行けない自分が生きていていいのか…と思うようになり手首を少し切った。
母に「もう行かなくていい」と言われたとき、ホッとした。
彼は、体も声も細くて、とても華奢な青年。
でも、何を語る時も、優しく微笑んでいて、春の日差しのような温かさを漂わせていました。
もう一人は、21歳のTさん。
彼女の少女時代は、本当に辛い環境に置かれていました。
中学校に入ってすぐ、小学校の頃からの友人に疎外され、寂しい日々を送る。
母に相談しようとしても、忙しい母はきいてくれなかった。
そのうち、朝制服を着ると頭痛や腹痛に襲われ、登校できなくなった。
母は仮病だと言い、わがままだとも言った。
そして、ほっぺたやお尻をたたかれた。
父は母以上に私を嫌い、食事も与えなくなった。
それで、養護施設へ入れられた。
養護施設でもはじめは辛いことが多かったが、理解してくれる先生に出会って、
こんな私でも生きていていいんだと思えるようになった。
卒業してからは祖父母と暮らしている。
そんな過去を微塵も感じさせない、清楚なお嬢さんという感じのTさんでした。
声もきれいで、話もわかりやすく、ちょっと訛りのあるイントネーションが
その話し方に独特の魅力を与えていました。
今は子どもたちの話をきいてあげる良きお姉さんとして活躍中のようです。
居場所を見つけた彼女は、本当に幸せそうでした。
自分をさらけ出して語ってくれた勇気ある6人の皆さん、ありがとう。