今日は合唱練習で諫早まで出かけた。
10月に長崎で開催される「日本のうたごえ祭典」で歌う組曲『干潟の海の詩』の練習に参加するために。
月に2回の練習だが、諫早までとなると、なかなか毎回は行けない。
諫早駅で島原鉄道に乗り換えなければいけないし、その待ち時間もあり、
片道2時間~2時間半もかかるから。
それでも、2回のうちの1回だけでも参加したいと思う。
歌うたびにこの組曲が好きになる。
雄大で勇壮で、
穏やかで優しくて、
命が躍動していた干潟の海が見えてくるよう…
しかし、水門を閉め切られて、干潟の海は死の海に向かいつつある。
怒りと悲しみと焦りが、歌うたびに胸に迫る。
練習不足で、音取りも満足にできてないんだけど、
それでも何故かこの曲に惹かれる。
詩と一体になったこの旋律が優しく、激しく沁みてくる。
指揮者の中古賀先生の話によると、
諫早湾を船で行くと、とても広く広く感じるそうだ。
だけど、有明海全体からすると、その面積はたった7%。
「だから閉め切っても大した影響はありませんよ」と、以前、農水省の役人に言われたそうな。
先生たちは、怒り心頭で、エリート官僚に抗議した。
「たった7%でも影響は大有りです!
諫早湾の干潟は、有明海の子宮です
人間の体の中で、子宮もちっぽけなものですが、
小さいからと言って、子宮がなくてもいいのですか?
それで人間は生きていけますか?」
そうなんだ!
諫早湾は、有明海の子宮なんだ!
子宮がないと、命は宿れない。
子宮がないと、命は育たない。
早く、有明海の子宮を元気にしたい。
元気な命が再び満ちる干潟を取り戻したい。
『海に抗う者よ』
海に抗う者は
自らの命の始まりと尊厳を侵す
干潟の海に コンクリートの杭を 打ちこますな!
サンゴの海を コンクリートで 覆うな!
海に抗う者は
自らの愚かさを知れ!
有明海と一口に言っても様々な部分が在るわけで,それぞれが異なった性質を有して機能しています。海と海岸と干潟をひとくくりにして,締め切り面積の割合が全体の7%に過ぎないから,大した影響が無いなどと,そもそもそういう考えは成立すべくもないのです。
現場を知らない官僚どもの妄言ですね。
諫早湾の干潟は,有明海の「子宮」であり,「ゆりかご」でした。
命を宿し,産み,育てる場所である干潟を消滅させ,干潟の水質浄化機能を奪い,へどろの溜まった調整池から有毒などぶ水を有明海に垂れ流しているのが現状です。
裁判の場で,完膚無きまでに叩きのめされた国が,10月に出される敗訴判決に対してさらに控訴できるものやら,今から楽しみにしています。
やや不安もありましたが、竜神さんの予想を知って心強く、ますます期待が膨らんでいます。
石木ダムの方は、何度話し合いを重ねても住民の意思は変わらないのだから、知事のアリバイ作りは、こちらは喜んで活用させて頂きます。それだけ工事の中断期間が延びるのですもの。